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まだ梅雨の季節には早いというのに、今月になって真夏日の連続記録は六日目になる。天気予報では週末まで雨は期待できそうもない。また野菜が値上がりするかも知れない。そう思うと山の稜線を明るいオレンジ色に染めながら沈んでいく太陽を、つい恨めしく思ってしまう。
今日もまた会社帰りにこの古本屋に寄ってしまった。別に読みたい本などある訳じゃない。だからと言って他に行きたい場所がある訳でもない。とにかく会社に行けばやらなければならないことは山ほど溜まっている毎日に辟易としていた。
考えてみれば、ファッション誌の編集という仕事は心から好きで飛び込んだ世界ではない。他よりほんの少し給料が良くて、立地が銀座であるというだけで、友人に胸を張っていられるという愚かな見栄で選んでしまったのだ。あの頃は誇らしかった今の会社に対する淡い期待も、時間が経つにつれ綻び、輝きは失せてしまった。
(じゃあどうするの。辞める?)
同僚の幸子に言われた言葉が頭の中に浮かんでは消えていく。
(そうじゃないけど)
そう返すのがやっとだった。
女ふたりで新橋駅のそばにあるワイン居酒屋の立席で飲むなんて、まるでサラリーマンのオヤジ族だ。自分たちは違うんだ。そう心の中で否定しながら、やっていることは何一つ変わらないのだから。
ストレスという目には見えないウィルスに感染でもしたのだろうか。しっかりと自分の両足で立っているためには、幸子の言う通り、全てを自己肯定するしか方法はないのだろうか。でももし肯定することに疲れてしまったら、次はどうすればいい?
頭の中はいつも堂々めぐりを繰り返す。答えの出ない疑問と格闘しながら。
「あの、落としましたよ」
驚いて振り返ると、あどけなさを残す青年の笑顔に迎えられた。
「こちらの定期入れ、お客様のではありませんか?」
それはネットで購入したオレンジ色の開運パス入れだった。
「あ、そうです、ありがとう」
この古本屋にこんな若い店員がいただろうか。驚きと一緒に恥ずかしさが一気に心の中で膨らんでいく。こんな戸惑いを気取られては堪らない。クールに構えなければ。クールに? 誰に対してクールでいなければならないの。ありのままではいけないの? 迷いは困惑に変わり急に息苦しくなっていく。
「具合が良くないのですか? 良かったらこちらへどうぞ」
見知らぬ男性ではあるが、この店の店員ならば大丈夫だろう。私の頭の中はまるで稲妻が走り回るような不安と痛みが渦巻いていた。意識を手放してしまわないように、床にしっかりと足をついて支えようと足掻いた。だが頼りない足元はゆらゆらと揺れ始めた。
「さあ、こちらですよ」
彼の言葉だけがはっきりと聴き取れた。不安に絡め取られ、寄る辺ないまま左手を伸ばした。そして私の手に彼の手が触れた。
続く