◆ キマイラ

それは

大きな流れを生み出す出会い


◆ ◆ ◆



――“鳥籠”。


 その存在を一般の人々は知らない。
 どこにあるのか、どういった施設なのか……そういったことを知らないのではない。

 “鳥籠”そのもののことを、見たこともなければ聞いたことすらないのだ。

 ケイヤ、マサア、タヤク、そしてキーナの四人は、その施設に“閉じ込められて”暮らしていた。

 食事を運んでくる者と、彼らを“検査”する者、そして一人一人を“教育”する者が、外から中に入って出ていくだけである。
 ケイヤ達は“教育者”以外の人物たちのことを、“飼育者”と呼んでいた。“教育者”がそう呼んでいたからだ。

 ここにはいないもう一人の少女を含めて五人。
 彼ら彼女らはそれぞれ別の“教育”を施され、何年も生きてきた。

 そうしたある時に、ケイヤが言ったのだ。

『ここを逃げ出す』

 その引き金になった出来事を、ケイヤは……思い出したくなかった。
 そしていま、彼の言葉は実行に移され、深夜の逃亡劇が始まったのである。


◆ ◆ ◆


 一閃。


 夜の闇を切り裂いて刃が閃く。ケイヤが抜いた剣の一太刀で、石で出来たガーゴイルは真っ二つに切り裂かれた。

「まだいるかっ?!」
「あと一体っ!」

 月の明かりがほとんど届かない森の中、走りながら交わされる言葉。タヤクの問いに答えたのはマサアだった。非常に良い視力の持ち主である彼は、月光に一瞬躍った影をその目で捉えていたのだ。

「見えたのはそんだけっ!」

 鬱然とした森の中では障害物が判然とせず、全力で走るのは大変危険なのだが、ランプなどの明かりは生憎と持っていない。
 術を使えるキーナやマサアに頼めば光球の一つでも簡単に出してくれるのだが、わずかな明かりでも居場所を知らせることになると、ケイヤが嫌ったのだ。

 追われる身としては、少しの危険も冒したくない。

「じゃあそれを片せば、とりあえずは落ち着けるな?」
「多分っ!」

 体力のないキーナを先に先にと走らせ、追ってくる手合いは男三人が悉く打ち倒していた。それらは全て、自分たちを閉じ込めていた“鳥籠”の“検査”で使われていた魔物や合成獣であった。先にケイヤが真っ二つにしたガーゴイルも、魔物の一体である。

 自分たちが“鳥籠”から脱走したことに気が付いた“飼育者”たちが放った追手なのか、それともあの火の手に紛れて自分たち同様に逃げ出してきたのか、その判別はつけられない。

 それでも、不安の芽は摘んでおくに越したことはないのだ。

「ケイヤはキーナのとこに行ってあげて! おれとタヤクでどーにかするっ!」
「分かった」

 その場に足を止めて言うマサアに短く答え、ケイヤは手にした剣を鞘にしまう。彼の右手が鞘先から柄頭まで撫でると、手にしていた剣は跡形もなく消えてしまった。

 ケイヤには空間に干渉する力がある。
 本人にもなぜそんなことが出来るのかは分からないが、気が付いた時には“好きな空間に切れ目を入れて、物を出し入れする”ことが出来たらしい。

 身軽になったケイヤはその場に立ち止まるマサアとタヤクを一瞥することもなく、薄暗い森の奥へと駆け出していく。一匹たりとも取り逃していないはずだが、それでも一人先行くキーナのことが心配だった。

「さって……」

 ケイヤの後姿が闇に紛れて見えなくなったのとほぼ同時だろうか。
 マサアとタヤクが見据える先、自分たちが走り来たほうから獣の咆哮が聞こえた。

「――来たか」

 言うが早いか、マサアは腰にぐるりと巻いたホルスターから肉厚のナイフを取り出し、眼前へと投擲する。放ったナイフは暗がりから飛び出してきた獣の額へ見事に突き刺さり、醜い絶叫が辺りに響いた。

「キマイラか」

 月明かりの下晒された獣の姿を見つめ、タヤクがぽつりと呟く。

 獅子の頭にヤギの胴体、そして蛇の尻尾を持つ醜悪な獣は、頭を一振りしてマサアが放ったナイフを落とし、踏みつけた。それだけで、ナイフの刃は無残にもぽきりと折れてしまう。

「あぁぁぁっ! おれのナイフぅぅぅっ!」
「まだ馬鹿みたいに持ってんだろ?」
「そうだけどさぁ……」

 “馬鹿みたいに”という言葉は否定せず項垂れるマサアの姿に苦笑し、再び視線をキマイラに向ける。

「とりあえず――さっさとこいつを片すぞ」

 言いながら放ったタヤクの拳は、襲いかかってきたキマイラの顔面を殴りつけていた。

『ルァッ……ッ』

 殴られた勢いでその身を近くの木に打ち付けたキマイラだったが、跳ねるように起き上がり、すぐさま体勢を整えて大きく口を開く。

「やっべ!」

 タヤクとマサアが後ろに跳ねたのと同時に、灼熱のブレスがキマイラの口から吐き出された。炎は森の草木に引火し、勢いよく燃え始める。

「マサアっ、消火!」
「わかってる! そっちは頼んだからなっ」

 言いながらマサアは炎に向かい、口早に水系列の術詠唱に入る。彼は下位とされる魔法しか扱えないのだが、それでも火を消せないわけではない。
 キマイラの口の端からは未だにぼうっ、と炎が漏れ出しており、自分に背を向けたマサアへ駆けだそうとしたが、すかさずタヤクが割って入った。

「お前さんの相手はオレだ」

 雄叫びとともに突進してくるキマイラを横っ飛びに躱し、タヤクの右手がキマイラの尻尾を掴んだ。尾の先には毒針が潜んでいるので、刺されないよう注意を払う。そのままぐんっと力を込めて引っ張ると、キマイラの巨体は軽々と宙を舞い、地面に叩き伏せられた。
 衝撃に身を伏している間に、四本の足を順に折って動きを止めに入る。

「っと!」

 その間も尻尾でタヤクを狙い続けていたキマイラだが、それらは悉く打ち払われる。暗い森の中、骨の折れる鈍い音と獣の苦痛の声だけが響いていた。

 払いのけられても尻尾を振り回し続けるキマイラだったが、一際大きく振ったのと同時にタヤクも四肢を砕き終わったので、跳躍してその場を離れる。

『グルル……っ』

 痛みに唾液を垂れ流しながらもしばらくジタジタと暴れていたキマイラだったが、やがて肩を立てるようにして首を起こし、再び炎を吐くために口を開け……

「させねぇよ」

 太い木の枝が、キマイラの喉を突き刺した。

 キマイラの手足を折ってすぐ、タヤクは手近な木から人の腕ほどの太さの枝を調達していた。そうしてキマイラが口を開く瞬間を狙っていたのだ。
 動きを制限してやれば次の出方も自ずと分かってくるもの。四肢を壊されたキマイラに出来ることは、炎を吐くか尻尾の毒針を使うことに限られる。

 尻尾だと攻撃範囲が限定されてしまうが、炎ならばある程度離れていても届く。故にタヤクは、わざと距離を取って炎を吐かせようとしたのだ。

 大口を開けたキマイラの口腔内を貫通し、肉を、皮を内側から貫き、後頭部から枝の先が現れる。折れたはずの手足がしばらくびくびくと痙攣していたが、それもすぐにぴたりと止まり、絶命した。

「ま、こんなもんか」

 手にした枝を放り出し、息絶えたキマイラには目もくれずにマサアの姿を探す。彼の方もあらかた火は消し終えたようで、地面が水でびしゃびしゃにぬかるんでいた。

「おう、そっちはどうだ」
「んー……おしっ、終わりっ!」

 両手をパンパンと叩き合わせながら最後の消火活動を終えたことを告げる。振り返ってマサアが目にしたのは、傷一つ負わずにこちらを見るタヤクと、その向こう、木の枝に串刺しにされて転がったキマイラの死体だった。

「うぇ。えげつな」
「仕方ないだろ、手っ取り早く片すにはこれが一番簡単なんだから」
「うぇぇ……」
「いいから、もう行くぞ? キーナたちに追いつかないと」
「そうだった!」

 タヤクの言葉にぴっ、と背筋を正したマサアは、そのままキーナとケイヤが向かっていった方向へと走り出す。
 置いていかれたタヤクも、慌ててそのあとを追いかけた。

伽世
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伽世

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