◆ 廃屋
「なにこれ」
先行くケイヤとキーナに追いついたマサアの、真っ先に出た一言がそれだった。
夜の闇の中、同じような風景が続く森の中は迷いやすい。それでもあまり時間をかけずに合流できたのは、キーナが道々、目印を置いて行ったからである。
一定距離ごとに地面に転がされた、淡く光る小石。それは、そこいらに転がっている小石にキーナが光属性の魔法をかけた、簡易の目印であった。
発光量を抑えた為に目を凝らさねばうっかり見落とす可能性はあったが、その程度の光でも鬱蒼とした森においてはかなり有効な目印となる。
いつ合流できるか分からないマサアとタヤクの為に、光量を少なくして持続時間が長くなるよう調整したのだ。
先にその目印を利用して追いついたケイヤが彼女に問うたところ、持続するとはいえ一時間もせずに光は消えると返ってきた。マサアとタヤクが追いつくには十分すぎる時間である。
そうしてその数十分後にマサアとタヤクも追いついたのだが――
「……家?」
ぽっかりと森の中に開いた空間。呟くタヤクの視線の先、そこにはかなり大きな家が鎮座していた。屋敷と言っても差し支えないだろうその大きな建物は、何年も手入れがされていないのか、壁の塗装が剥げ落ちている。
木の陰に隠れて何かを伺うケイヤとキーナを真似て、追いついた二人も身を潜めて彼らの視線の先に目をやり、見えたのがそれであった。
「人が住んでるとしたらすごいとこに住むよな」
「一応警戒はしてみたが特になにもないようだ」
小声でやりとりをするマサアとケイヤの会話に、キーナの溜息交じりの声が挟まれる。
「“鳥籠”に関係するものでなければいいのだけど」
「調べてみればいい」
彼女の言葉を受けて、ケイヤは身を隠していた木から一歩前へ出る。そして迷うことなくその屋敷へと近づいた。
他の三人も彼に続き、辺りに警戒しながらも玄関へと辿り着く。
「空き家、みたいだな」
「すっげーぼろぼろ」
「……」
間近に寄って改めて眺めれば、その荒れように誰ともなく「はぁ」と息が漏れでた。
塗装はすっかり色が抜けて落ちてしまい、ささくれだった木の壁や柱は触れればちくちくと肌を刺すだろう。あちこちに張られた蜘蛛の巣は、獲物ではなく、積もりに積もった埃を引っ掛けてたわんでいる。
口々に屋敷の感想を言うタヤクとマサアの声を聞き流しながら、ケイヤの視線はドアノブをじっと見つめたまま離れなかった。それに気が付いたキーナは小首を傾げてその横顔を覗き込む。
「どうしたの、ケイヤ?」
「いや……」
キーナの問いになんでもないと答えた彼の手は、躊躇なくドアノブに掛けられ、重い軋みと共に扉は開かれた。
「埃っぽーいっ!!」
中に入ってすぐさまマサアの大声が響いた。玄関マットが敷いてあったのだが、それを踏んだ瞬間すさまじい埃が舞い上がったのだ。それをまともに吸い込んだキーナは、口元を抑えながらけほけほと咳を繰り返した。マサアらもパタパタと手を振って埃を払うが、あまり効果は見られない。
「酷い埃ね……」
「どう考えても廃屋だろ」
噎せ返るキーナへ腰に下げていた水を手渡しながら、タヤクも相槌を返す。
こんな森の中にわざわざ建てられた屋敷。恐らく貴族の別荘だろうとケイヤは見当をつける。
「避暑地にでもしていたのか……」
「“鳥籠”からそんなに離れてないよな、ここ」
「いや、途中でキーナに飛行の術を使わせたから、それなりの距離は取れているはずだ」
タヤクの言葉を受けてのケイヤの返事に、キーナもこくりと頷いて見せる。
「人数が多かったからあまりスピードは出せていないけれど……」
受け取った皮袋から水を口に含んだものの、まだ粉っぽさがどうにも取れないことに眉をしかめながら、しかしはっきりと答える。
常人とは比べ物にならないほどの魔力を有しているキーナにとって、飛行の術を使い続けることは、魔力の上では大した負担にはならない。森の中を走る足跡を誤魔化す為に飛行術を唱えて移動していたのだが、如何せんキーナは体力に乏しい。膨大な魔力と見事なまでに反比例している。
魔法を使う上でも肉体的な疲労は出るのだが、今回は男三人を抱えた状態で飛んでいたのだ。余計に体力は消耗し集中力も切れてしまう彼女を、男たちが交代で抱えて走ったり、彼女が回復したらすぐさま術での移動に切り替えたりしていたのだ。
「馬でも二日、三日はかかる距離は取れたと思うわ」
「そっか」
キーナの言葉にタヤクも相槌を返す。一瞬、森の中で襲い掛かってきた魔物のことを思い浮かべたが、すぐに首を振って思考から消した。
魔物たちが追いかけてきたのは予想外だったが、あれらの足を人と一緒にしてはいけない。術など使わずに飛ぶことができるものもいれば、馬よりもはるかに速い脚をもつ魔物もいるのだから。
代わりに、
「もしかしたら“鳥籠”の“飼育者”たちがこのあたりの土地を買い取ったのかもしれないしな」
と、口を開く。
「それで貴族がここを手放した、ってことかぁ……貴族が言うこと聞くとか、“鳥籠”ってどんだけの存在なんだろ」
ぼやくマサアに、返る言葉はなかった。
◆ ◆ ◆
「とりあえず、ここで一晩過ごせるか見て回ろうぜー」
率先して言ったのはマサアだった。
百八十センチを優に超える背に似合わない童顔をきらきらと輝かせ、明らかにこの状況を楽しんでいる。
それに対して何かを言いかけたケイヤだったが、すぐに口を噤んだ。いずれにせよ休める場所は欲しいし、その為にはこの屋敷の中を洗うことも必要だと考えたからだ。
「……」
「キーナ、大丈夫か?」
疲労でうとうととしかけているキーナの肩を揺すって、タヤクが声をかける。それに反応した彼女は目を瞬かせ、「ごめんなさい」と呟きながら、ずれた眼鏡を直した。
「うんじゃ、こっちからー」
玄関ホールのすぐ右手にある扉のドアノブ。そこにも真っ白な埃が積もっていたので、マサアが服の裾で拭ってから手をかけると、現れたのはリビングルームであった。ガラスの天板にヒビが入ったテーブルと、元は色鮮やかな緑色のソファがあったが、いまは分厚い埃で固められている。
奥にはダイニングルームが存在し、カウンターキッチンも見えていた。テーブルには椅子が五脚あり、うちの二脚は背の小さな子供用であった。それらの椅子には蜘蛛の巣が幾つも作られていて、何年も使われていないのが一目で分かる。
「おーっ! こっちこっち!」
何時の間にリビングを出ていたのか、玄関の方からマサアの大声が聞こえた。呆れたように顔を顰めるケイヤを「まぁまぁ」とタヤクが宥め、二人そろってそこを後にする。
リビングへ続く扉の丁度向かい、玄関の左手にある部屋の中からマサアがひょっこりと顔を覗かせていた。
「ここすごいぞーっ!」
「なにがすごいんだ?」
手招きする彼に誘われるまま、タヤクがひょいと部屋を覗き込む。その部屋には二段ベッドが四つ入っており、ハンガーラックには袋を被せられたままの制服が幾つも掛けてあった。
「使用人部屋か」
「すんごい金持ちだったんだな、ここに住んでた人」
「……貴族なら金はあるだろうな」
使用人用の部屋とはいえだいぶ広く見える。出入り口にベッドが集中しているために狭く見えるが、奥に足を踏み入れてみれば結構なスペースがとられていて、大きめのローテーブルもあった。
「……?」
ふと、ケイヤは先ほどから静かなキーナが気になった。
部屋の中ではタヤクとマサアがあちこちを物色していたが、キーナの姿は見当たらない。
部屋に二人を残したまま、すっとその場を離れる。もう一度リビングを覗くと、そこに彼女がいた。
「……」
リビングのソファに深々と腰かけて眠るキーナの姿に、安堵のため息が漏れる。先ほど見たときは埃まみれだったソファは、いまは小綺麗になっていた。
「……」
彼女が風系列の術を使って埃を窓から捨てたのだろう。未だ開いたままの窓を閉めながら、ケイヤはそう推測した。
すぅすぅと穏やかな寝息を立てる彼女の頬にそっと触れる。キーナの肌色も白いが、ケイヤの指先も女性かと見紛うほどにほっそりとしていて白い。
「――気付かなくてすまなかった」
疲労ゆえか、触れても目が覚めないほどに眠りこける彼女の寝顔をじっと見つめる。艶やかな黒髪を一撫でし、今のうちに確認すべきことをマサアたちに告げるため、ケイヤはリビングを後にした。