◆ 三柱の女神
「マサアとタヤクからはどこまで聞いたの?」
口火を切ったのはキーナだった。
朝食を終え、手分けして屋敷の掃除と朝食の片づけとを手早く終わらせた後、再び集まったのはリビングルームであった。エル字型のソファの角にあたる部分にゆったりと身を預けて、キーナはミナミをじっと見つめる。
斜め前に腰を落ち着けたミナミは、キーナと、その隣に座るミカノを伺うように、おずおずと答えた。
「えぇと、あの三人がキーナの花婿候補だって。それと、わたしもらしくて……」
しどろもどろになりながらもどうにか言葉を紡ぎ終える。尻つぼみになってしまったのは、話しているミナミ自身がよく分かっていないせいでもあった。
――あの時もマサアの言葉にびっくりして、ちゃんと聞いていられなかったし
ちらりと視線を動かせば、マサアたち男性陣はみなラグの上に胡坐をかいて座っているのが見えた。テーブルを囲うように、ソファに三人、ラグに三人。長話になるからと、キーナとミカノがお茶やらお菓子やらを大量に用意していたのだ。
マサアと目が合いそうになり慌てて顔を反らせば、ミカノが肩を小刻みに震わせて、笑っているのが見えた。
「ちょっと!!」
それがまたも癇に障ったらしくミナミが怒鳴る。いつもはもう少しおとなしい子なのだが、警戒心と恐怖心と、少しの興味がない交ぜになっているようだ。
それもまた無理からぬことだろうと、ミカノは甘んじてその怒りを受け止めていた。
なにせ、顔合わせが強烈過ぎたのだから。
昨晩の魔物。
硬い皮膚に、弱い者……ミナミから崩そうとする知能の高さ。加えて、廃屋とはいえそれなりの造りの家をいとも容易く半壊させてしまった力。
ケイヤの剣でも水が石に落ちていくような無力さで、タヤクの拳ではアレをどうにかする前に拳のほうがどうにかなってしまう。マサアのナイフは弾き返されるのがオチだったであろう。
キーナはと言うと、鞭のようにしなる触手によって打たれ、木の幹にその身をしたたかにぶつけたのだった。
ミナミは……恐怖で何も出来なかった。
情けなくて悔しくて、それでも助けたかったのに身体は動かなくて。初の実践でそうなるのは無理からぬことなのに、彼女は、見てしまった。
赫い風が 虚空に舞うのを。
ほんの、本当に一瞬、彼女は高い木の上から舞い降り、槍を垂直に、グズリと刺した。ただそれだけで、あの強固な魔物をいとも簡単に倒して見せたのだ。
たしかに、マサアが事前に薬をかけておいたことも作用しているのかもしれない。それにしても。
彼女は、圧倒的なまでに、強すぎた。
「なんなのよ! 笑ってばっかり! あなたに何が分かるの?!」
だからミナミはヒステリックに叫ぶ。自分の正当性と、彼女の非人間的強さを隔てたくて。
それでもミカノは“人間”で。
「分かるよ。あたしも“花嫁”だから」
「……え?」
しばしの間の後、ミナミが呆けたような声を出した。理解が出来ない。
――ミカノも花嫁?
そんな頭が真っ白の状態のミナミを真っ直ぐに見据え、
「今から順番に話すから、落ち着いて座って?」
そうキーナが促す。
その言葉に自分がいつの間にか席を立ち上がっていたことに気が付いて、ゆっくりと座り込む。するとそれを見計らってすかさずマサアが水を差し出し、彼女はそれを一気に飲み下した。よく冷えたそれは乾いた口内を潤し、微かに香るレモンの風味で頭がすっきりした気がした。
「ごめん、キーナ」
「気にしないで」
小さな声でしょぼくれて謝るミナミに、ふるりと首を振って見せる。全員の顔を見回し、口元に手を添えたキーナは、「何から話そうかしら」と、問うように語りだした。
「私たちは、ミカノも含めてみんな、“鳥籠”という場所に集められていたの」
「“鳥籠”……」
反芻する少女にこくりと頷いて見せる。その言葉はこの廃屋で暮らし始めた当初から、幾度もキーナたちが口にしていた単語であった。今まで何とはなしに聞いていて、特に問うこともなかったが、よくよく思えばそれが一体なんなのか、ミナミは知らない。
「“鳥籠”と、えっと……しいくしゃ? っていうのはたまに聞いてたわ」
「えぇ。“飼育者”は“鳥籠”を監視し、運営している人たちのことを指すの」
「一人じゃなくって、めちゃくちゃたくさんいたよな」
キーナの言葉に付け足すようにマサアが口を挟み、ミカノが「そうねー」などと簡単に相槌を打って見せる。ミナミはそれらの言葉に対して一々頷き返し、一言一句漏らすことのないように、と耳を澄まして聞いていた。
「“鳥籠”の中で過ごしていたのは私たち五人だけ。“飼育者”たちは中に入ってくるけれど、用を済ませてしまえばすぐに出ていったわ」
「建物は“鳥籠”だけじゃなくって、他にも幾つかあったんだ。オレたちの検査や実験をする場所とか、他にもよく分かんない建物とか」
「そうそう。敷地内に真っ白い筒みたいな建物がぽこぽこ立ってると思えばいいわ」
身もふたもないミカノの言い方に、ケイヤは眉を潜めタヤクも呆れたようにため息を吐く。しかし、実際のところ彼女が言う光景に間違いはないと、内心で頷くのはキーナであった。
見渡す限りの草の海。白い円筒形の施設は幾つも聳え立ち、背の高い木がその場所を囲い隠すように林立していた。繁る葉のせいで日は遮られ、検査や実験の為に“鳥籠”の外に出ても、いつも薄暗かったことを覚えている。
「実験とか検査って……キーナたちは病気だったの?」
「いいえ、そういうのではないの」
ゆるりと首を振って否定するも、キーナの口から続く言葉が出てこない。不思議に思ったミナミが首を傾げてみるも、彼女は固まったように動かなかった。
「えっと、ミナミはさ、三柱物語って知ってる?」
「みはしら……あ、女神さまが悪い神様を封印したお話のこと?」
横から投げられたマサアの問いに少々考えた後、世界中で親しまれている古い物語を口にする。それは、誰もが子供のころに聞いたことのあるお伽噺であった。
しかし、なぜそんなことをいま尋ねられたのか分からないミナミは、不思議そうにマサアを見返す。その意図を尋ね返すように。マサアはそんな彼女の視線も気にすることなく、先ほどミナミにしたように、今度はキーナへ温かな紅茶を淹れて手渡していた。その薄い唇がカップの淵に口付けたのを確認して、
「女神さまってさ、そのお話の中でどうしたっけ」
と、さらに問いを重ねてくる。ますます意味が分からず、ミナミは唇を尖がらせた。
――これのどこがお嫁さんのお話になるの?
“花嫁”という単語を勝手に“お嫁さん”と書き換えて、頬を膨らませてじとりとマサアを睨むものの、全く効果が出なかった。しかも彼の問いは全くの無意味、というわけでもないようで、タヤクはおろかケイヤまでもが黙ってミナミの答えを待っていた。
自分が何か言わない限り話が全く先に進まないのだということにミナミも気が付き、頭の中で一所懸命に三柱物語のことを思いだす。
祖父母の診療所に置いてあった童話を読んだくらいで、まばらにしか記憶に残っていない。それも字を覚えたての三つ四つの頃のことなので、なおさら曖昧な記憶だった。
「たしか、破壊の神様が世界をめちゃくちゃにして、それに怒った三人の女神さまが破壊の神様を封印したんだったと思う……」
言いながら、幼い頃に読んだ童話の内容が徐々に甦ってくる。一ページ一ページにとても綺麗な絵が描かれていたなぁ、とミナミはぼんやり思った。
……闇は人々の心を安らげるために存在し、その闇から生まれたのが破壊の神である。安らぎは恐怖へと塗り替えられ、破壊の神は世界を壊そうと襲い掛かった。
しかし、それは三柱の女神によって防がれた。
世界を創造したのが三柱ならば、光と闇を生み出したのもまた、三柱の女神である。
故に、破壊の神も三柱の生み出したものの一つと言えた。
三柱の女神たちは、破壊神を封印するために……――
「そうよ! 女神さまたちは破壊の神様を封印するために、エルフや竜族や人に頼んで祠を立てたんだわ! そこに破壊の神様を閉じ込めて――」
「――どうやって?」
思い出した勢いで喋るミナミの言葉を遮るように、ミカノの声がリビングに響く。彼女の声は非常に高く、誰しもの耳によく通った。
一瞬、ぴたりと話すことを止めたミナミは、
「……え?」
と、ミカノの言葉の意味が理解出来ないと、目を丸くして彼女の顔をまじまじと見つめる。深い緑の瞳は真っ直ぐにミナミを見つめていて、逸らされることはなかった。
「どうやって、女神サマとやらは、破壊神を封印したのか、って聞いてるの」
「どうやって、って……」
わざとらしく言葉を区切って訊ねてくるミカノに戸惑いを隠せない。
ミナミの読んだ童話には、『はかいのかみさまは、さんにんのめがみさまのちからで、ほこらのなかにとじこめられてしまいました』としか書いてなかったのだ。
それ以上のことはミナミには分からない。
口元に手を当てておろおろと視線が忙しなく動くミナミの様子に気が付いたのはタヤクだった。手にしていたマフィンを紅茶の入ったカップのソーサーに置き、「ひょっとして」と静かに口を挟む。
「ミナミの読んだ本には詳しいことは書いてなかったんじゃないか? 童話や絵本なんかだと子供向けに多少アレンジされてるのかもしれないし」
「あぁ、そうか……」
彼の言葉にマサアも頷く。
たしかにミナミが読んだのは子供向けの童話だ。挿絵もふんだんにあしらわれていたから、ひょっとしたら少し良い絵本だったのかもしれない。けれど、ミナミには絵本と童話の違いは分からなかったので、特に気にすることはなかった。
若干冷えてしまった紅茶で口腔内を潤して、タヤクは再び口を開く。
「三柱の女神、つまりは長女のリヴェス、次女のアフロディテ、三女のイアは、封印の礎として、破魔の力が強い水晶に自分の身を沈めたんだ」
「え? 女神さまが水晶の中に?」
「あぁ。大きな水晶柱に自分を封印し、三つの水晶で破壊神を囲い込んだ」
「そうだったの……初めて聞いたわ」
大きな目をさらに真ん丸と見開き、ほうと息を吐いて目の前のカップに手を伸ばす。自分が読んだ本の挿絵では、女神はいったいどんな最後だったろうか。
そんなことを考える間もなく、
「“それ”が“花嫁”の仕事だ」
そう、誰かの声が聞こえた。