◆ 人柱
一瞬、自分の耳が悪くなったのかと思った。
突然耳に飛び込んできた“花嫁”という単語。
口に残る、紅茶の甘さが気持ち悪かった。
「はな、よめ?」
聞こえた言葉を繰り返す。言いながら、自分でもなにをわけの分からないことを、とミナミは思ったが、自分のすぐそばの床に座るマサアと目が合い、彼ははっきりと頷いた。
「破壊神の封印が綻びないように、三柱の女神に捧げる供物が“花嫁”なんだ」
淡々と語るタヤクの唇が怖かった。
「え、なんで……」
「女神の力も万全と言うわけではなく、周期的に不安定になるそうだ」
震えるミナミの声に答えたのは、いままで一言も発さなかったケイヤだった。いつもと同じ、やや高めの、それでいて深い声音が鼓膜を揺らす。
「女神の力よりも破壊神の抗う力のほうが強いだけかもしれんがな。その女神の力を支えるために“花嫁”は必要とされている。要するに、三柱に見立てた人柱だ」
「人柱……そんな」
喘ぐミナミに、誰も何も言わなかった。
ケイヤ達にとってはそれが当たり前のことだったのだから、今更驚くこともなく、怖がることもない。
「……」
俯くキーナの手が、ぎゅうときつく締められる。その拳を覆うように、ミカノが優しく手を重ねた。
「でも、だって、なんで女神さまの力が弱まるの? どうして、“花嫁”なんて呼ぶの?!」
「ここで暮らしている二年の内に、魔物が急に増えただろう」
ケイヤの言葉に口を噤む。
確かに、この廃屋に住むようになってからしばらくたちが、最初のころとは比にならないほど魔物が出没するようになった。元々滅多に魔物に出会うことはなかったのだが、今では二、三日に一回は必ず魔物が出現している。
そのたびに男性陣が始末をしているのだが、それが当たり前の光景になったのはいつだったろうか。
「魔物は破壊神の眷属だ。女神の力が弱まった為に世に溢れるようになったのだろう」
「女神の封印が破壊神に及ばなくなれば、自分の配下にいる奴らを動かすのも簡単だろうし、最悪の時は封印自体を壊すかも知れないしな」
普段よりも暗いマサアの声。
「そんで、人柱を“花嫁”なんて悪趣味な呼び方するのはね」
いつもと変わらない調子で口を開いたミカノは、一口紅茶を飲み下し。
「三柱の一人が、破壊神の恋人だった、ってとこかららしーわ」
そう、実に面白くなさそうに吐き捨てた。
「はか……え、だ……え?」
上手く言葉が出てこない。ミカノの言葉に何かを言おうとするのだが、何も言えないのだ。
「ま、そんなもん嘘かもしれないしホントかもしれないし、あたしには分かんないわ」
「だ、だって! 女神さまは破壊の神様を封印して、世界を助けて! それに、破壊の神様も女神さまが……」
「女神が生み出したのはあくまで“闇”だって話よ。そっから勝手に生まれたのが破壊神なワケでしょ? 大体、このテの話って近親相姦もありだし」
「ミカノ……」
呆れたような目で窘めるタヤクも意に介さず、ミカノはしれっとした顔で新しく紅茶をカップへ注いで飲み下す。マサアとミナミはタヤクが何に対してそんな反応を示したのか全く分からずに、互いに見つめ合って首を傾げた。
「とーにーかーくっ! あたしらもこれ以上のことはよく分かんないわ。なにせ“教育”を全部受ける前に“鳥籠”から逃げ出してきたワケだし」
「教育って……」
「“花嫁”になる為の教育よ。“鳥籠”は“花嫁”を送り出す為の施設なんだから」
さらりと言ったミカノの言葉にぎょっと目を見開く。
「三柱物語の正しい解釈だとか“花嫁”のやることだとか、まぁそんなんが教育としてたたっ込まれてきたってワケ」
「えっと、ちょっと待ってね」
――なにか、忘れてる気がする
ミカノやタヤクの話を一度に聞き、頭の中が混乱する。自分を落ち着ける為にミナミは紅茶を一口含み、口内で飴でも舐めるように転がしてから飲む。その間、誰も何も言わなかった。
「“鳥籠”はマサアたちを閉じ込めてた場所で、そこでは“花嫁”さんを教育してて」
ぶつぶつと呟きながら、教えられたことをミナミが指折り数えていく。一から声に出すが上手くまとめられない。
「“花嫁”さんは三柱の女神さまの……身代わり?」
「依代、というほうが正しい」
「よりしろ……」
女神に“花嫁”の体を捧げ、女神は“花嫁”の肉体に宿り、女神と“花嫁”の双方の力を持って破壊神を封印し続ける。
それは、何千何万年と続けられてきた、人柱の儀式。
「三柱の女神には、それぞれ司るものがあるの」
キーナの声にそちらを向く。黒髪のその人は、先ほどまで伏せていた顔をあげ、真っ直ぐにミナミの目を見つめていた。
「長女のリヴェスは生命を司る炎の女神。次女のアフロディテは慈愛を司る風の女神。そして三女のイアは、知恵を司る水の女神」
彼女の声はいつもよりも硬質で、それなのに張り詰めて切れそうだと、聞いているミナミは感じた。事実を語っているだけだと言わんばかりのキーナの心情はどういうものなのか、ミナミには図ることができなかった。
「リヴェスは別名戦いの女神。アフロディテは癒しの御手、そしてイアが魔女の始祖と呼ばれているの。“花嫁”はそれぞれの女神の特性に合った人を選んで教育するのよ」
「癒しに特化してる女神とか魔術に精通してる女神とかはいいけど、肉弾戦大好き女神とかどうなワケ?」
茶化すようなミカノの合いの手には、マサアだけが苦笑する。ケイヤは普段と変わらない無表情で目を瞑っており、タヤクは気まずげに視線を泳がせている。
キーナは、ぴくりとも動かなかった。
――なんだっけ……花嫁……マサアの?
「――違う」
「え?」
思わず呟いたミナミの声にマサアが問い返すも、彼女は真剣な眼差しで一人また、話をまとめる作業に没頭している。
「鳥籠で花嫁を教育して。花嫁は三柱の女神の依代で。女神は破壊神を封印していて……」
『三柱の女神は、封印の礎として、破魔の力が強い水晶に自分の身を沈めたんだ』
『それが“花嫁”の仕事だ』
『破壊神の封印が綻びないように、三柱の女神に捧げる供物が“花嫁”だ』
――思い出せ・・・・・・思い出してよ!!
『どうせ“花嫁”のことだろう?』
『どーいうことっ?! マサアとキーナ、結婚しちゃうの?!』
『しないしないっ!』
――どうしてわたしはこんな話を聞こうと思ったの?!
『キーナは“花嫁”を辞めるために逃げ出したんだぞ?!』
『分かるよ。あたしも“花嫁”だから』
「!!」
はっと目を見開き、その人たちを見る。
紅髪の少女は微笑み、黒髪の少女は泣き出してしまいそうだった。
「キーナとミカノ、が……“花嫁”って」
声が震える。
マサアがそっと抱きしめてやると、その小さな体は抵抗もなく、簡単に彼の胸元に収まった。