◆ 決意
――わたしはいま、どんな顔をしてたんだろう
頭の片隅の、どこか冷静な部分でミナミはそんなことを思う。自分はよほど酷い顔をしていて、それでマサアがこうして慰めてくれたのだと、そう思ったのだ。
――でも、わたしよりもずっと……
ミナミの耳に、ようやく聞き慣れてきた甲高い声が告げる。
「あたしがリヴェスの、キーナちゃんがイアの依代よ」
それは、実にあっさりとした言い方であった。
ミカノの声はこれまでと変わらない明るさを感じさせて、どうしてそんなに普通でいられるのか、ミナミには理解できなかった。自分がその立場にいたなら、きっと受け入れられず、泣き叫ぶことだろうと思う。
「……っ」
そうして思い出す。
マサアの言葉を。
「わ……」
「ん?」
「わたしも、“花嫁”になる、の……?」
自分を包んでくれているマサアの服をぎゅっと握りしめ、消え入るような声でミナミが問う。その言葉に彼は「しまった」と言わんばかりに顔を顰め、ミカノとタヤクが無言で睨んだ。
「あ、あのな、ミナミっ!」
「……ごめんなさい」
慌てて口を開いたマサアを制したのは、キーナであった。
「キーナ……」
蚊の鳴くような小さな声で名前を返したが、それにも彼女は黙って首を振り、マサアは口を噤むしかない。優しい幼馴染に淡く微笑み、そうしてミナミに向き直った顔は、一転して悲痛さに満ちていた。
「破壊神がいる祠には、封印や結界が幾重にも施されているの。生身の人間ではその中に入ることができず、世界中に残された女神の法具が必要とされているの」
「……」
「法具は一柱ごとに用意されていて、三人の“花嫁”が揃ってそれを持っていないといけないのよ」
訥々と語るキーナの様子は、マサアに抱き締められているミナミには見えないが、それでもなんとなく彼女が普段と違うということは分かった。悲しいとも苦しいとも言えるその感情は、ミナミの心にもちくちくと痛く刺さる。
「リヴェスのミカノちゃん、イアの私、そして……慈愛の女神には、ミナミが最適だと思った」
慈愛の女神アフロディテは、癒しの力が随一であったとされている。
――だから、わたしは治癒の魔法ばかり教えてもらってたの?
祖父母から受け継いだ力を伸ばしてもらっているのだと、ミナミは思っていた。キーナたちが追われ、逃げているという話も聞いていて、癒し手の少ない彼女たちの力になれると喜んだのだ。
「三柱の女神の封印が弱くなれば破壊神の目覚めは早くなり、解けてしまえば甦るのも道理。だから、あたしたちは“鳥籠”を飛び出した」
「……え?」
ミカノの言葉に違和感を覚えた。思わずマサアの懐から顔をあげ、ミカノとキーナを見る。
「えっと……だって、封印が解けたら破壊の神様が暴れ出しちゃうんでしょ?」
「そうよー」
「それで、“花嫁”は女神さまへの生贄で、世界を護るための人柱で……?」
「そ。世界を護るためには破壊神の復活を阻止して、その為にはおとなしく“鳥籠”で“花嫁”になる教育を済ませて、女神サマに体をあげなくちゃならない」
だけどそんなの、絶対イヤ。
あんまりにもはっきり言うミカノに驚き、ミナミは瞳を真ん丸に見開く。
深紅の髪のその人は、燃え盛る炎のように激しい気性も露わに微笑んでいた。その笑顔に、思わず背筋がぞわりと粟立つ。
誰もが見惚れてしまう美しいミカノ。
それがいまは何よりも恐ろしかった。
「知らない他人のために命を賭けろって? 見たことない人の為に死ね、って言われて死ねる? 悪いけどあたしはそこまでできた人間じゃないからさ」
そこまで言って、ミカノは急に肩の力を抜き、ふぅと息を吐き出した。その表情も穏やかで、初めて見た優しい笑顔にミナミは戸惑う。
「あたしが“花嫁”になったのは、キーナちゃんを助けたかったから。キーナちゃん一人だけだったら、知らない人の為にも死んじゃうから。あたしがあの子のストッパーになるために“花嫁”になったの」
「……ごめんなさい」
次々に口を開くミカノの言葉の隙を縫って、キーナが口を挟む。言葉こそ震えていたが、その眼はしっかりとミナミを見つめていた。
「自分やミカノちゃんが“人柱”となれば、全ての人が救われるのは知ってた。たくさんの命が、生活が守られることも知っていた。……それでも」
“人柱”となるミカノが救えない。
それが、キーナには到底受け入れられないことであった。
自分が“人柱”になることに抵抗はあまりない。ケイヤやマサア達が生きていてくれれば、そこに自分がいないのは少し寂しいけれど、いいと思える。
「ごめんなさい……私の我儘なの、ミカノちゃんに生きていてほしいの」
ごめんなさいと繰り返すキーナを、ケイヤは黙って見つめていた。静かな眼差しで、ただじっと。
「――それがオレたちの我儘なんだ」
ふと空いた間に、タヤクが口を開く。穏やかで、けれどもどこか、いつもより硬い声。
「世界が救われたって、ミカノやキーナが死ぬのは嫌だ。だからオレたちは“鳥籠”を逃げ出して」
「破壊神を殺すことを決めた」
タヤクの言葉を引き継ぎケイヤが紡いだ言葉は、ミナミの頭の中を一瞬真っ白に塗り替えた。
――破壊の神様を……殺す?
――だって、それは……
「だって、女神さまも倒せなかったから封印したんじゃ」
「三柱物語にはそんな記述一切ないじゃない」
おずおずと口を開くミナミに、猫の様な楕円の瞳を楽しげに歪ませてミカノは答える。
「大体が封印したとか眠らせた、でしょ? たぶん倒せないわけじゃないと思うんだわ」
ミカノの言葉に、先ほど彼女から聞いた逸話を思い出す。
曰く、三柱の一人が、破壊神の恋人だった、と。
――大好きな人だったから、殺せなかった?
女神や破壊神に人のような感情があるのかは分からない。けれど、ミナミにはそれを否定する気にはなれなかった。
「だから、ミナミには祠に掛けられた封印を解除するまで助けてもらいたかったの」
「え? なんで」
「先に話したように、三柱の残した法具は三人の“花嫁”……人柱が揃っていなければ使えないから。封印さえ解けばあとは私たちだけで破壊神に」
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
申し訳なさそうに眉尻を下げるキーナの言葉を、両手を突き出して制する。自分を抱きしめていたマサアの懐から「うんしょっ」と抜け出し、ソファに座るキーナの前で仁王立ちをした。
「どうしてそうなるの?!」
「……ごめんなさい。私たちが破壊神を倒せなかったら、この世界が終ってしまうことは分かっているの。でも……」
「そうじゃなくって!」
もうっ、と腰に手を当てて軽くキーナを睨む。泣きそうな顔で小首を傾げる彼女から視線を外せば、タヤクやマサアも、ミナミの気勢に驚いたように目をぱちくりと瞬かせていた。
「そうじゃなくって、どうしてわたしを最後まで巻き込まないつもりでいるの?!」
「……え?」
両の膝をつき、キーナの手をとってその瞳を覗き込む。自分の想いが彼女に伝わるようにと、ミナミの表情は真剣そのものであった。
「わたしはみんなより……そこにいるミカノよりも付き合いは浅いかもしれないわ。でも、二年も一緒に居たのよ? 大事な話だからわたしに言えなかったのは仕方ないけど……わたし、ちゃんと言ったよ?」
この場にいる誰よりも年下の少女の必死の言葉に、誰もが耳を澄ませていた。
それはまるで、願い、乞う姿のようで。
「理不尽なことで死ぬかもしれないよ、って言われた時、わたしはいいよ、って言った。たぶんキーナたちは、人柱のことを言ってたのかもしれない」
「まぁ、“飼育者”たちに掴まったら“鳥籠”に逆戻りだもんね」
「そんなことさせないもんっ!」
ミカノの横やりにも噛みつく。大きな瞳に涙が滲んでいるのは、興奮しているからか、それとも。
――ミナミはよっぽど人懐っこい子なのか、感情に流されやすい子なのかねぇ
内心で苦笑しながら、ミカノは横目でキーナを伺う。彼女は未だにミナミの様子に驚いており、目をぱちぱちと瞬かせていた。ミカノが知る限り、彼女がこんなにも表情豊かだったことはなかった。
“鳥籠”にいた時も、微笑ったり悲しんだりはしていた。特に彼女の悲痛な表情は、忘れられないほどにミカノは見てきたのだ。
――こんな、目をまん丸くさせるなんてなかったのにね、キーナちゃん
なんとなく嬉しくて、思わず笑ってしまった。それをタヤクに見咎められたが、仕方ないじゃないか、と彼女は笑う。
狭い狭い、“鳥籠”で出会った友人の世界が広がったことが、こんなに嬉しいとは思わなかった。彼女を大事に思ってくれる人が外にもできるだなんて、思ってもみなかった。
そんなことをミカノが思っていると知らないミナミは、
「そんな、“飼育者”なんて人たちが来たら、わたしが全部追っ払っちゃうから!」
などと声を荒げて宣言する。
年相応に細い手足のか弱い少女に何ができるというのだろう。そう思いながらも、ミカノは黙って聞き続けた。
「そうと決めたら、タヤクとマサアから体術も教えて貰わなくちゃねっ! キーナも、治癒の魔法ばかりじゃなくて、攻撃に使える魔法を教えてね?」
「え、あの、ミナミ?」
眉を潜めて口を挟むマサアに、ミナミはくるりと振り向いて、
「とにかく! わたしは最後までマサアたちと一緒に居るんだから!」
そう力強く言って微笑ったのだった。
「キーナと……ついでにミカノも助けられるんなら、わたしは頑張る。最後まで一緒に居たい」
ついで、と言われたミカノはずるりとソファを滑り落ち、マサアがそれを指さして笑う。そうして起こる小競り合いを、ミナミは柔らかな目で見つめていた。
「こういうね、普通の時をずっと続けたい。せっかくキーナに治癒の魔法を教えてもらったんだもん。役立てなきゃ、ね?」
「……ごめんなさい」
「もう、キーナってばぁ」
小さく謝り俯くキーナの髪を、ミナミはその温かな手で撫で続けた。いつまでも、いつまでも。