◆ 静かな誓い
一週間後にはここを発つ。
昼間の話し合いは、ケイヤのその一言で解散することになった。
廃屋に逃げ込んでから“鳥籠”の動きが全く分からず、いつまでもここに留まっているわけにもいかず、ミナミが癒し手として成長した今が良い時だと彼は判断したのだ。
その言葉に反対する者は誰もなく、一週間後の旅立ちの前まで、六人は思い思い過ごすことにするのであった。
◆ ◆ ◆
深夜。
雲一つない夜の空には、柔らかな光を湛えた細い月がくっきりと浮かび上がっていた。
「……」
外の空気は肌寒く、上着の一枚でも羽織っておけばよかったとミカノは若干後悔する。しかしそれもほんの一瞬で、すぐに空を見上げた。
森の空気は澄んでいて、たしかに肌を刺すような冷たさがあったが、それ以上に心地の良いものがあった。
夜風に草木が揺すられ、僅かな葉擦れの音が聞こえてくる。
ミカノは静かに目を閉じ、昼間のやり取りを思い出していた。
ミナミの要望で、急遽キーナによる攻撃魔法の演習が明日から始まることになった。とはいえ、キーナやミカノが使う攻撃に特化した黒魔法ではなく、精霊魔法や風水術といった、支援や牽制に用いられる汎用性の高い術である。
攻撃の手はもうたくさんあるのだ。むしろ、支援や回復要員が増える方が安心して戦えるというものである。
そうミカノが諭せば、彼女は大人しくそれに従ったのだった。
「どうすっかなぁ……」
「なにがだよ」
呟いた言葉に返ってきた声は男性のものであった。驚いた風でもなく、むしろ分かっていたとばかりに口元を綻ばせ、ミカノはゆっくりと振り返る。寝静まった住処を背に、タヤクが一人佇んでいた。
「寝てなかったの? 暇なヤツー」
「お前だって寝てないだろうが。ほら」
言いながら彼がぽんっ、と放って寄越したのは暖かなケープであった。玄関口に用意してあるものを適当に持ってきたのだろうそれは、ミナミが愛用しているものだと気が付いて苦笑する。けれどもこの場にミナミはいない。
「ありがと」と簡単に礼を述べてから肩に羽織る。一枚あるだけでだいぶ寒さが和らいでほっと一息ついた。
「で、なにをどうするんだよ」
「え。まだ聞くワケ?」
「あのなぁ……」
はぁ、とわざとらしいほどの溜息は、タヤクが心底呆れた時にするクセだった。主にミカノ意外には見られないクセであったが、逆を言えば、彼女だけがタヤクを困らせていると言ってもいい。
「お前もな、大概一人で行動しすぎなんだよ。放っておくと暴走するし、危なっかしすぎて放置なんてできないんだよ」
「うっわなんかさらっと腹立つこと言ったよこの男」
「言わせるお前が悪い」
なおもぎゃんぎゃんと噛みつくミカノをはいはいと適当にあしらう様は、手慣れたものである。“鳥籠”で暮らしていた時も、むやみやたらに“飼育者”に噛みつくミカノをタヤクが諌めていたのだ。
――なんというか、こいつも本当、変わらないな
いかにも面倒くさそうといったタヤクだったが、内心ではこのやりとりを楽しんでもいた。自分に素直で、真っ直ぐで、そんな彼女を見ていることが、好きだったのだ。
「ほら、とっとと言えよ」
「むぅぅぅっ」
憮然として唇を結ぶ彼女の幼い態度に苦笑する。
もう何も言わなくてもいい、ミカノの言葉を待つだけだと。本当に必要なことならばきちんと言ってくれることを、タヤクはちゃんと知っているから。
「別に、大したことじゃないケドさぁ」
僅かに視線を逸らしながら、そう前置きして彼女は口を開いた。
「“騎士”のこと、ミナミに話してなかったなぁ、って。そう思っただけよ」
「……あぁ」
ミカノの言葉に思わずタヤクも声が漏れ出た。誰も何も言わなかったが、たしかにキーナは“鳥籠や騎士、花嫁のこと”を話すと言っていたのだ。
しかし実際には騎士のキの字も出てこなかった。ミナミから問いかけられることもなく、話は終わってしまった。
だけど、とタヤクは思う。
「だけど、“騎士”のことって結局なんにも分からないじゃないか。“騎士”だって言われて育てられたオレたちだって分かってないんだぜ?」
そう自嘲気味にミカノに投げかけた言葉は事実であった。
ミカノとキーナは“花嫁”の役割やそれに関する心構えなどを教育されてきたのだが、“騎士”であるタヤクやケイヤ、マサアは、肉体や精神をひたすら鍛える修練ばかりさせられていたのだ。
彼らは“花嫁”のことも何一つ教えられてはおらず、“鳥籠”から逃げ出す前に初めてミカノたちから聞いて知ったのだ。
――三柱物語にも“騎士”になりそうな登場人物なんていなかったしな
内心で呟く。それはタヤクがずっと思っていることでもあった。
黙ってしまったタヤクの横顔をじっと見つめるミカノは、やがてふぅと息を吐き、
「まぁ、それもそうよね」
と大きく伸びをしながら言う。
「説明のしようもないか」
「そういうことだ」
二人で並んで月を見上げる。細い細いその姿は、両手で握ればぼきりと折れそうなほどに頼りがなく、それでも夜の闇に爪痕のように浮かび上がっている。それは、自分たちの姿を暗示しているようでもあった。
先の見えない闇の中、自分たちが生きている証として強大なものに楯突き、ほんのわずかでも爪痕を残そうとするかのような。
細く細く、ともすれば立ち消えてしまう、か細い願い。
けれども自分たちが残すものは“爪痕”なんかでは足りないことを、ミカノたちは分かっている。
「――寝るか」
「そうねー」
タヤクが言い、ミカノが返す。
明日もまた起きるため。
その次の日もまた、笑うため。
「さっさと寝て、また明日を頑張らなくっちゃね」
緑の瞳を細めて笑う彼女に、タヤクもまた微笑んで頷き返したのだった。