◆ 繋ぐ手

「――キーナちゃんのこれは……結界?」

 首を傾げながら言うミカノにタヤクが相槌を打つ。

「多分、そうだろうな。自分で自分を閉じ込めるための結界だろ」
「うぅん……なんでキーナちゃんが自分を封じ込めなくちゃ……マサアがふるぼっこ出来た相手なんだから、キーナちゃんが殺るなんて簡単でしょーに」
「……マサアみたいな力技は、こいつには無理だろ」

 呆れたようにため息を吐くタヤクにミカノが食って掛かるその横で、ケイヤがじっと、キーナを見つめていた。彼女を閉じ込めるそれに触れる手つきは、酷く優しい。

「氷、か?」

 ぽつりと呟いた声にミカノがそちらへと向き直る。タヤクもほぼ同時にケイヤに視線を向け、ついで氷柱に目をやった。

「氷ねぇ……それは“物質的”な氷? それとも“アストラルサイド”の?」
「……冷たくはない」
「あー、アストラルサイドね」

 はいはいと適当な言葉を返しつつ、ミカノも彼の横に並んで同じように手を伸ばした。たしかにケイヤの言う通り、氷柱は決して冷たくはなく、むしろキーナの鼓動でも伝わりそうなほどに温かい気がした。

 “物質的”というのは主に召喚魔法と呼ばれる種類であり、実際にこの世界にあるものをあるがままに具現化して、影響を及ぼす種類の魔法を指す。炎や水などで攻撃する術などが良い例であろう。

 逆にアストラル――精神的というのは、“この世にないものをこの世にある形で召喚”し、影響をもたらすものとして考えられている。白魔法や黒魔法、精霊魔法がこれらに該当するとされている。

 人間が住んでいる次元とはまた別に、精霊や妖精、神々や魔物が住んでいる次元がある。その次元にあるもの、または存在する力を“こちらの次元にあるもの”の形を使って行使する術のことを指す。

 つまり、キーナを覆っているこれは、“この世界にない何かを、氷という形を使ってこの世界に現した”魔法という認識になるのだ。実際にこの次元に存在する氷ではないが為に、触れても冷たいと感じないのである。

「アストラルかぁ……ふむん」

 氷柱の周りをぐるりと一周しながらまじまじと観察し、時々手で触れながら、ミカノはうんうんと頷くような動作をしていた。その間に着替え終わったマサアとミナミが三人の元に駆け寄ってくる。

「キーナ……」

 改めてキーナの姿を見つめたマサアの口が、弱々しく彼女の名を呼ぶ。それがたまらなく辛くて、ミナミは彼の手をぎゅっと握りしめた。

 やがて再びキーナの真正面に戻ってきたミカノは、ぽんと手を一つ打ち、

「おし、やるかねぇ」

 と、にっこりと笑ったのだった。

 ぶんぶん両腕を振り回して気合いひとつ。ミカノは氷柱の前に仁王立ちで佇む。そうして両手を前に突き出して集中すると、彼女の紅い髪がはためいた。集まる魔力に反応してなびいているのだ。

『大地に眠りし灼熱の光よ 彼方に忘れし閃光の力 集いて一瞬の炎と化せ』

 言葉の一つ一つに反応して、魔力が徐々に高まっていくのを感じ取る。ミカノの魔力はキーナには到底敵わないが、それでも彼女は“炎の器”なのだ。


――火炎系統の術には一利あるっ!


『灼光炎舞――フレア・バースト――っ!』

 掛け声一線、ミカノの手から巨大な火の玉が弾け飛んだ。キーナの使った術が氷を模したものならば、炎を模したものに弱いだろうと判断した結果の術である。

 アストラルサイドというのはその名の通り、より精神に近い側の力のことである。ゆえに、術者の魔力は勿論、意思の力に左右される側面も併せ持った術であるとも言えた。

 ちりちりと目が焼けそうな熱の塊は、キーナの眠る氷柱へと当たり、そのまま徐々に氷を溶かしていく。ミカノの生み出した火球の熱気は数歩離れた場所で見守るタヤク達にまで届いていたが、対して直接熱をぶつけられている氷柱は、だらだらと水を垂らす程度であった。

 さらに、と魔力を高めて火球の勢いを増そうと踏ん張るも、厚い氷の壁はなかなか崩れない。

「ミカノ、大丈夫?!」
「う……ん、さすがキーナちゃん、ってとこかなぁ」

 不安そうに声をかけてくるミナミに「一筋縄ではいかないわ」とにやりと笑って見せるも、ミカノの額には汗が滲んでいた。魔力を高出力で放出し続けているので、かなりの負荷がミカノにかかっているのだ。

 キーナに次いで魔力が高いのはミカノである。
 ミナミの魔力もミカノに劣っているとは言えないが、どちらかと言えば治癒系統に向いた質の魔力を有していた。


――それに、ミナミは攻撃に繋がるような術がほっとんど使えないしねぇ


 内心でため息を吐きつつも、彼女の表情は全く変わらず、にやにやと含みのある笑いを浮かべたままであった。
 じりじりと氷は溶けていくが、このままではミカノの魔力が先に尽きてしまう。

「うぅーっ、あとひと押し、なんとかならないかねーっ!」

 そう呟いたとき。


『炎蛇渦流――ロックファイア――!』


 ミカノの後ろから火の手が上がり、それはそのまま彼女が発動した術に、蛇のように絡みついてきた。下位の精霊魔法であるそれを発動させたのは、マサアだった。

「ちょっとくらいはさ、ミカノの魔法の燃料くらいにはなるだろっ?!」

 ミカノから半歩離れた位置に立ち、にっと笑うその姿は普段と変わらない。
 彼の言う通り、放った魔法はミカノが発動させた高位魔法に飲み込まれ、火力が一気に上がった。
 同じ系統の下位魔法を上位の魔法に飲み込ませることで相乗効果が発動し、先ほどまでとは比べものにならない早さで氷は溶けていく。

「うぉぉぉぅ……っ?!」
「もっと根性入れて魔力の出力を上げろってーのぉっ!」

 思った以上の勢いで飲み込まれていく自身の魔法と魔力と、それに驚くマサアにミカノの叱咤の声が鞭のごとく飛んでくる。
 術の使えないタヤクやケイヤは固唾を飲んで見守るしかなく、ミナミも時折「頑張って!」などと声援を投げかけていた。


――長い時間が掛かったと、ミカノは感じていた。


 実際は、この部屋に乗り込んでからまだ数分ほどしか経っていないのだが、そう錯覚するほど魔力を放出し続けて疲弊していたのだ。

「ミカノ……」

 タヤクが名を呼ぶその視線の先、ミカノの額から汗が流れるも、すぐに炎の熱気に掻き消されてしまった。彼女の顔色も決して良いとは言えない。

 一旦休め、と彼が口を開こうとしたのを見計らったかのように、ミカノの唇が笑みを象って見せた。

「――終わりっ!!」

 ヴンッ、と右手を一線。
 彼女の声と動きに呼応するように炎は上から下へ切られ、氷にひびが入る。

「うっへ……」
「ミカノっ!」

 魔力を使い過ぎた影響か、片膝をつく彼女の傍にミナミが駆け寄る。心配そうに自分を見つめる少女に「だいじょーぶっ」と笑顔で返したあと、彼女の深緑の瞳は目の前にある氷を睨みつけていた。
 つられたようにミナミも氷柱を見つめ、

「……?」

 ぱきっ、という、微かな音を聞いた気がした。

 その音はやがてぱきぱきと連続して聞こえるようになり、それに合わせて細かな破片が辺りへ散らばり始める。
 そうしてひときわ大きなひび割れの音が聞こえたと思うとほぼ同時、割れた氷の合間からキーナが倒れ出た。

「あっ」

 慌ててミナミが両腕を伸ばす前に、ケイヤがわずかに早く正面に回る。全身の力が抜けている状態のキーナの体は重くなっているはずだが、受け止めた腕にはただ温かさだけが伝わってくる。

「ケイヤ、キーナはっ?!」
「――大丈夫だ」

 安堵の吐息を隠すように、小さく言葉を紡ぐ。彼のその言葉に、他の面々もほっと胸を撫で下ろし、ミカノもようやく床にどっかりと座り込めたのであった。

「ケイヤ、そこにいて! すぐ回復するからっ」
「わかった」

 ミナミの言葉に頷いて見せ、そのままキーナを抱えるようにして焦げた床に座る。すぐに駆け寄ってきたミナミが治癒魔法を唱え始めた。

「うぅ……っ」

 怪我はないようだが、衰弱が激しい。呼吸をしているものの、その胸はわずかにも動いているように見えなかった。

「すぐ良くなるからね……治癒の雨――ディクアレイン――」

小さく呟くミナミの言葉に反応して、文字通り雨のように降る癒しの光がキーナの全身を包み込む。それは雨粒が地に浸み込むように彼女の肌へと吸い込まれていき、ぽうっと淡い瞬間の輝きを見せては消えていった。

 穏やかに彼女を包み込むそれが止んだころ、黒い瞳が眩しそうに瞬く。

「う……っ」

 ゆっくりと瞬きを繰り返すキーナの視界に、見知った顔が次々と映り替わっていく。

「キーナっ!」
「おー、目ぇ覚めたか」

 歓喜の声を上げるミナミと安堵のため息をつくタヤク。

「ばっかじゃないの! あー、もうっ! 助けを呼びなさいよっ!」

 キーナの頭をぺしぺしと叩きながらしきりに怪我がないか探るミカノ。

「……すまない」
「……ごめんなさい」

 なぜか謝るケイヤとタヤク。

 いまだに事態を把握していないキーナは、目の前にそろっている仲間の顔をぼう、と見つめ返すことしかできなかった。

「痛いとこない、キーナ? 大丈夫?」
「えぇ……」

 わずかに頭がぐらりとしたが、特に怪我をしているわけでもなく微かに頷いて見せる。そうしてなぜここにいるか、どうして自分がこんなにも心配されているのかを思い出す。

「――ごめんなさい」

 そう言わなくてはいけない気がしていた。ずっと、ずっと。

 悲痛に顔を歪める彼女を五人は黙って見つめる。その表情は様々だが、キーナの身を案じていることは共通していた。
 たまらずにミナミがぎゅうと力強く彼女を抱きしめながら、ふるふると頭を振り、

「キーナは何もしてないよ? 悪いのはあそこにいる人だよ?」

 と、床に転がっているソエルを目で示した。

 驚いて目を見開くキーナの視界に、マサアの罰の悪そうな顔が映った。気まずそうに、目が合わないよう伏せている。
 そうしてまた、キーナの胸が痛んだ。


――あぁ、マサアが手を出してしまったのね
――私のせいで


 昔々の記憶が甦る。


――私がいたせいで孤児院が燃えて兄弟が死んで先生が死んだ
――私がいた孤児院が私がいたせいで


「“痛い”思いをさせて、ごめんね」

 そう言葉を漏らすと、彼はいまにも泣きだしそうな眼をして首を振った。

「キーナが無事なら、いい。それでいいんだ」

 しっかりと、伏せていた眼をキーナに合わせてはっきりと言い切る。
 優しい彼は、優しいままに傷を深めていく。

「まぁ、早いとここんな場所移動しよ? キーナちゃんもケイヤもまだまだ休まなきゃだめでしょ」

 てきぱきとミカノが指示を出し、さっさとキーナに肩を貸して城外へと歩き出す。他の四人もぞろぞろとそのあとをついて歩き、

「……」

 キーナは一度だけ振り返り、イシヤの領主を見つめた。


◆ ◆ ◆


「ねぇ、キーナちゃん」
「なに?」

 イシヤの街を後にした、夕焼けの街道。
 ミカノに支えられて歩いていたキーナは、ぽつりと呼ばれた名に反応して、伏せていた顔を上げた。

「今日の魔法は二度と使わないで」
「え?」

 疑問符がついた声を上げるキーナを、ミカノがじっと見つめていた。紅い髪がさわさわと首筋をなでてくすぐったい。

 ソエルの城を出たところで、キーナが使った魔法がどんなものだったのか、またどういった理由で使ったのかをマサアが問い詰めたのであった。

 白状した彼女の頭には、仲間たちのこぶしが容赦なく飛んできて、「そんなことしないで待ってろよ!」だとか「どうして一人で片づけようとしちゃうの?!」だとか、様々な言葉が投げかけられたのであった。

 そんな中、ケイヤとミカノは何も言わず、ただ黙ってキーナを見つめていた。


――ケイヤはきっと、私の心中を察して黙っているのでしょうけれど……


 自分の前を歩く、黒衣の背中を見る。男性にしてはかなり薄く華奢なその肢体は、しかしキーナにとっては何よりも頼りになる盾であり剣でもあった。

「――ね、キーナちゃん」

 再び自身の名を呼ぶ声にはっと我に返り、もう一度、自分を支える美しい少女へと目をやる。夕日に溶けるようなその深紅の髪は、燃え盛る炎のように温かく、何よりも美しかった。

 キーナがミカノを見つめるのとほぼ同時に、彼女の緑の瞳はついと真正面に向けられ、そのまま口が開かれる。

「キーナちゃんやこいつらになんかするヤツがいたら、あたしがぶっ飛ばすから。だから、絶対に一人で死なないで」

 そう言った彼女の横顔は凛としていて、あぁ、やっぱりこの人たちが好きなんだなぁ、とわけもなくキーナは思う。

 だから、

「うん、ごめんね」

 素直に言えた。
 その言葉にようやく満足したのか、ミカノはいつものように口の端をにっ、と持ち上げて笑い返した。華やかな雰囲気のある彼女がそういった笑みを浮かべると、大輪の花が咲き乱れるような、見惚れてしまう美しさが生まれた。

「謝っただけで済むと思わないでねー」
「じゃあどうすればいいのかしら」
「死ぬまでずっと生きててね?」
「……分からないわ、意味が」
「分かってよこの気持ち?!」

 芝居がかった調子で声の強弱を変えて訴えてくる彼女に、キーナはふふっ、とおかしそうに笑った。
 笑えるうちは大丈夫なんだと思う。


――ごめんなさい、ソエル
――私はやっぱりこの子たちが好きで、この子たち以上に大事なものなんてなくて


 世界が無くなっても“この子たちが生きていればいい”と思ってしまう
 “鳥籠”も“花嫁”も“騎士”も、そんなもの、壊してしまえと思う。


 あの日あの時あの場所から逃げ出したときに、自分はこの人たちのために生きると、そう決めた。
 何を敵に回すかなんて関係ないし、どうでもいい。


――ただ、愛しい人たちと笑って生ける世界が欲しい


「ミカノーっ、早く来いよーっ!!」
「うっさい馬鹿犬っ! 行こう、キーナちゃん」

 遠くで手を振るマサアに答えてミカノが手を握る。キーナもその手を強く握り返し、淡く淡く、微笑みを返す。

 この手を離す日が来ないことを、強く願った。

伽世
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伽世

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