◆ 王都カレアナン
覚悟も 決意も 真実も
何一つ持っていなかった
それでも
◆ ◆ ◆
「いっくよー!」
街道にミカノの大声が響く。
イシヤを出て既に三日。
本日二度目の休憩の際に聞こえたのは、盗賊たちの罵声だった。
◆ ◆ ◆
「キーナちゃん、もう大丈夫なの?」
「えぇ。この通り」
心配するように顔を覗き込んでくるミカノに、キーナは軽く頷いて見せる。前を歩くケイヤもランダンの村で怪我を負ったはずだが、そんなことなどなかったかのようにすたすたと歩いていた。
キーナが連れていかれたイシヤの街はランダンの村からすぐのところにあり、多くの街道が伸びていた。六人はそのうちの一つ、北北東に向かう道を選び歩いている。この大陸の首都である王都、カレアナンへ続く道だ。
さすがに徒歩だとかなりの距離があり、イシヤを発ってからすでに三日も経過している。
当初はキーナが乗せられていた馬車を使おうと言っていたのだが、キーナが頑なに拒み、馬車に近寄ったミカノも「うげ」と言いつつ微妙な顔をしていたので、取り止めとなったのだ。
そこに死体が放り込まれているとはタヤクには知る由もないことなので、不思議そうに首を傾げるばかりであった。
「――なぁ、あとどんくらい歩けばいいの?」
腰に下げていた皮袋から水を口に含み、誰とはなくマサアが問うと、地図を確認していたケイヤがすかさず答えた。
「このままのペースなら昼過ぎには着くだろう」
「昼過ぎって。今何時だよぅ」
「うーんと、十一時くらいだよっ」
「そうなのか?」
陽の位置で大方の時間を告げるミナミにげんなりと言葉を返す。頑張ろうよ、と励ます彼女の言葉にようやく笑顔を見せた。
「それじゃあ……」
そう言いつつ背筋を伸ばしたタヤクの空色の瞳は周囲をぐるりと見回し、
「まずは邪魔者を片して道を作らないとな」
と、不敵に笑ったのであった。
六人を囲うように現れた男たちは野盗なのだろう、手に手にナイフやククリ刀などの得物を握りしめてじりじりと輪を狭めてきた。
怪我が完治したばかりのケイヤとキーナを戦わせたくないな、とタヤクが思った矢先、ミカノがそのただ中に突っ込んでいく。自慢の赤い槍が空を舞った。
「ぐっ?!」
「はいはい、次ーっ!」
何をされたのかも分かっていない様子で吹っ飛ばされる野盗の一人。それにはもう目もくれることなく、槍を鳴らし次の構えを取ったミカノが吠えた。
「もー、いまお金切らしてるから、あんたらみたいなのが出てくると助かるわぁ」
「こんのアマっ! 舐めやがってっ!」
「はいはい、口はもういいから手を出しなさいよ……ねっと!!」
言って、盗賊その二の顔面を槍の柄で叩く。その場に倒れこむ彼の顔には赤い横線が残っていた。
「――ねぇ、ミカノっていじめっこなの?」
ミカノが大立ち回りを繰り広げる街道の木の陰、ひょいと桃色のツインテールが顔を出した。彼女が戦線を切り開いたと同時に、ツインテールの少女……ミナミと、他の四人はさっさとその場から離れたのであった。
普通ならば一人戦うミカノの援護に回るべきなのであろうが、なにせ彼女は普通ではない。輪から離れたタヤクが改めて確認したところ、野盗の数は十人弱。そのくらいの数ならば、ミカノにとっては脅威でも何でもない。
――むしろ足りないとか言いそうなんだよなぁ、ミカノの場合……
思わず「ははっ」と乾いた笑いを漏らすタヤクを、ミナミは不思議そうに見上げていた。
この場所にはミナミとタヤクしかいない。他の三人はまた別の場所に身を潜めて、二人と同じようにミカノのことを見守っていた。
「いじめっ子というか……」
「だって、ミカノすっごく楽しそうよ?」
唇を突き出して呟くミナミの言葉に思わず同意しそうになる。
ミナミの言う通り、盗賊たちを手玉にとって遊んでいるように戦うミカノの姿はいじめっ子に見えなくもない。
が。
「あれはな、“資金調達”ていう世界平和への一貫さ」
タヤクの口からはさらりと嘘が出た。
こと戦闘となると暴走しがちなミカノの面倒を見続け、彼女が何か問題を起こす時は大概タヤクがその尻拭いをするという状態だった。術も槍も体術も並以上の彼女は、色々な意味でタチが悪い。
ミナミがミカノと初めて出会った時の印象は、ミナミが思う以上に深く深く心に刻み込まれているのではないかとタヤクは思っている。戦闘に縁がなかったであろう少女が目にするには、かなり強烈な状況だったはずだ。
ゆえに、「ミカノは戦闘が大好きで大好きでたまらないんだよ」と言う必要はないと思ったのだ。
せっかく二人の仲が出会った当初よりも改善されているのだから、わざわざ悪化させることはない。
だから、ミナミに教え込むように身をかがめて話してやった。
「盗賊たちを倒して、近くの町の警護兵詰所やギルド、魔導士協会とかに連れて行く」
「ふんふん」
「そうすると、そいつらの悪どさに応じて報奨金や、場合によっては懸賞金がもらえる、ってわけさ」
これらの知識は“鳥籠”に入る前から備わっていたものであった。ミナミも少しはそう言ったことは知っているようで、
「そう言えば、おじいちゃんの治癒院に来てた傭兵さんもそんなこと言ってた気がするわ」
と、幼いながらも神妙な顔つきで頷いていた。
とっさに口を突いて出た嘘ではあったものの、そう素直に信じられると、タヤクの胃は良心の呵責でキリキリと痛むのであった。
そうこうしているうちにミカノのほうは片がついたようだ。
「さ、て、と」
にまにま笑いながら野盗の頭目と思われる男に近づく。びくりと身を竦めた男の様子も大して気に留めず、正面に立ち腰をかがめ、槍をがつっと地面に刺してからその顔を覗き込む。
「わ、もっ、もうあんたらのことは狙わねぇよっ!」
「そうじゃなくて」
がくがくと震える声で言う男を無視して、槍を持つ手とは反対の手をミカノは差し出した。
「このままギルドにしょっぴかれるのと持ってるもん全部よこすの、どっちがいい?」
「えぇっ?!」
「どっち・が・いい?」
わざと言葉を区切って言うミカノの笑顔には凄味があり、二人のやり取りを見守っていた他の野盗たちまでが、思わず「うぅ……っ」と呻き声を漏らして後ずさる。
それ以上何も言わず手を差し出したままのミカノに、野盗の頭目は「ぐっ」とだけ声を漏らし、
「おらっ!」
と、懐にしまっていたずた袋をミカノの手の上に置いた。それ以上男に対しての興味は削がれたらしく、槍を手にしてさっさと立ち上がり、そのまま受け取った袋の中身を地面にばらまく。固い音と共に地面に落ちたのは、年代物の彫刻や高価そうな貴金属類と、金貨であった。
中身の大半は金貨であったが、ミカノが槍の先でちょいちょいと掻き回すと、木の葉のようなものまで紛れ込んでいた。野盗がわざわざ戦果に紛れさせて持っているのだから、たかが葉っぱ一枚に見えても高価な薬草なのだとミカノは判断する。
薬草と一口に言っても種類は数多あり、傷薬から召喚術、不死の実験に用いられるようなものまで、効果や効能は様々である。
当然効果が高いものや入手が困難なものには高値が付き、ものによっては薬草一枚で家一軒が家具付きで購入出来たりもするのだ。
ミカノには到底理解できないことだが、薬草を調合する薬師だったり実験を主とする研究タイプの魔導士には、喉から手が出るほどに欲しい商売道具である。
それこそ効果が高い入手困難な稀少種の薬草が目の前に現れたら、借金を負ってでも入手したい、という者もいるのだ。
しかしミカノにしてみれば“ちょっと高く売れる葉っぱ”というだけだ。いまも「マサアにやっとけばなんか薬でも作るんかね」としか考えていない。
マサアは投げ技とナイフを使った戦闘を好んでいるが、薬草の調合も好んで行っている。廃屋に住んでいた時も森から調達した薬草類の栽培に勤しんでいたのをミカノは覚えていた。
もともと植物を育てることが好きだったらしいのだが、趣味が高じて調合へ目が向いたのかは分からない。
一通り袋の中身を均してまじまじと見つめていたミカノは、再び野盗の頭目に目を移して呆れたように言葉を漏らした。
「悪いこと結構やってんのね」
「……あんただって」
言いかけた男の頬を掠めて、ミカノの投げた槍が真後ろにあった木の幹に真っ直ぐ刺さった。
「なんか言った?」
「言ってません」
にっこりと微笑む彼女に対して、野盗がそれ以上何か言うことはなかった。
「ミカノすごーい! かっこいー!」
思わず拍手を送るミナミの隣で、タヤクは顔を顰めて額に手を当てていた。
――お前の方がよっぽど野盗だろうが!!
奇しくも野盗と似たような言葉を吐きかけて、思いとどまる。長い間ミカノに付き合ってきたタヤクが覚えた、自己防衛とも言えた。槍は彼女の手から離れていたが、代わりにその辺りにある石を投げてくると予想がついているからである。
ミカノと野盗たちからは数メートル離れた距離にタヤクはいたが、彼女なら必ず自分に当てるということが、嫌と言うほど分かっていた。
「――さてと。これだけあれば足りるから、返すわ」
しばらくまじまじと戦利品を眺めていたミカノは、金貨を一掴みと、恐らくマジックアイテムと思われる品を数点手に取り、その様子を眺めていたタヤクへと放って寄越した。
投げ渡されたタヤクは慌ててそれらをキャッチし、その間に彼女は残った全てを袋に戻して野盗へと放り返したのだった。返された野盗とそれを見ていたミナミは呆然とするばかりである。
そんなことなど気にする様子もなく、ミカノはにっと野盗に向かって笑ってみせた。
「あんた達さ、ナイフの使い方は悪くないから、近くのギルドに行けば?」
「……はぁ?」
「ギルドってさ、腕と中身がよければ、経歴は問わないんだって」
幹に刺さったままの槍をぐいと引っこ抜いて回収したミカノは野盗へは目も向けず、タヤクとミナミの元へすたすた行ってしまった。
集まった三人の元へケイヤとマサア、キーナも合流し、そのまま何事もなかったかのように街道を歩き去っていく。
そんな六人の後姿を、盗賊たちは困惑したような目で見送るしかできなかった。
◆ ◆ ◆
「ねぇ、ミカノ」
「なーに?」
ミナミが声をかけたのは、あれから十五分ほど歩いてからだった。最初こそ険悪だった二人の様子も、いまはミカノが彼女を猫かわいがりする形で落ち着いている。
もともとミナミの方が一方的にミカノを嫌っていただけなので、その溝を一足に飛び越えてこられるとは思っておらず、困惑している間に懐柔されたようなものだった。
しかし、ミナミを見守っていたマサアとしてはそれで良かったのだと思っている。全員の前でミカノを「大嫌い」とまで言って拒絶していた手前、今更どんな顔で長旅に付き合っていけばいいのか戸惑っていたはずなのだ。
――ミカノの押しの強いとこは、ほんとこういう時に助かるよな
目の前を歩く少女たちのやり取りを見つめながら、マサアは一人にこにこと微笑むのであった。
「どうしてあの人たちを捕まえなかったの?」
「んー?」
マサアが何を思っているかなど露とも知らず、ミナミはミカノに思ったことを問いかける。ミカノはただ、彼女の質問に鼻歌でもしそうな雰囲気で目線を向けただけであったが、ミナミはさらに言葉を重ねた。
「悪いことしてた人達なんでしょう?」
「そうねぇ……」
桃色の髪を優しく撫でながら、ミカノの目はキーナへと一瞬向けられた。その眼差しはとても優しくて、慈しみに満ちていたが、すぐにいつもの悪戯っぽい目に変わる。
「でもね、悪いことをしたら捕まる、ってことばかりじゃないのよ」
「?」
そんな二人を視界の端で見ながら、タヤクの目もミカノと同じようにキーナを捉えていた。
イシヤでの疲労はすっかり癒えたようで、いつもと変わらずにミカノのすぐ後ろを歩いていた。その更に後ろを歩くケイヤもマサアと何かを話しており、いつも通りに見えるので少し安心する。
――オレたちも、世界から見れば十分に“悪人”なんだろうな……
内心で思い、苦笑する。
“鳥籠”に大人しく捕らえられたまま、ミカノとキーナが世界に捧げられていれば……三柱の依代となっていれば、世界はしばらくの平和を得られたのであろう。
数百年か数千年か、その頃にはまた新しい“花嫁”が同じように捧げられて、そうして世界の平和は保たれていく。
けれども……
――オレたちは、その流れを絶ったんだ
世界中に溢れる命よりも、自分たちの命を選んだ。
世界よりも、友人の命を選んだのだ。
それは、タヤク達にとって当たり前の選択でしかなかった。それでも世界中から非難されることだとは自覚していたのだ。
「……」
きっかけはケイヤの言葉であった。彼にその言葉を発させたのは、キーナだったが。
「――いまさら、なんの後悔もないけどな」
頭を振るって、今まで考えていたことを吹き飛ばす。先のことはまだ分からないが、目的は決まっているのだから今更迷う必要はない。
そう思い直して小さく頷くタヤクの視界には、マサアにじゃれ付くミナミの姿が映った。桃色のツインテールを揺らしながらマサアの太い腕にしがみつき、「ねぇねぇっ」と無邪気な笑顔を振りまく。
「カレアナンってどんな街なの? イシヤよりも大きいの?」
『……』
一瞬、ミナミ以外の全員が口をつぐんだ。
“鳥籠”にいたタヤク達には外のことなど分からないから答えようがない。
どうしたものかとタヤクが口を開きかけた時、
「カレアナンはこの大陸の王都だ」
よく透る声でそう答えたのはケイヤであった。
タヤクやミカノが驚いたように目を丸くして見つめていたが、ミナミはきょとんとした表情でマサアの体越しにケイヤを見つめ返す。
「おうと?」
「この大陸全土を治める王が住む街のことだ」
「へぇ~」
ふんふんと、ケイヤの言葉に感心したように相槌を打つミナミ。
ミカノは単純に「いつの間にそんな情報仕入れてんのよ」と呟いていたが、彼らの後ろにいるタヤクは、ケイヤが手にしているそれに目が釘付けになっていた。
彼の手には『目指せ☆王都踏破MAP』というタイトルの、やたら賑々しい冊子が握られていたのだ。
いずれにせよ、どこからいつの間に持ってきたのか分からないそれには気が付かないふりをすることにしたタヤクであった。
その間にもケイヤの“カレアナン”講義は続いており、
「――今の季節なら、カサナギの花が街全体で咲き誇っているはずだ」
あんな風に。
そう言いながら彼が指し示す方向を見ると、薄い黄色に包まれた高い城が、青空に白く映えていた。