◆ 予感
城門を過ぎてすぐ、割れんばかりの喧騒が耳をついてきた。
広い道なりには露店が連なり、各々の商人が大声で客を呼び寄せている。恐らく他の町や村からの行商人もいるのだろうが、活気に溢れていた。
「うわぁ……っ!」
ミナミは初めて見る華やかで賑やかな光景に、しばしばと目を瞬かせていた。人込みが苦手なキーナは彼女とは正反対で、ミカノの後ろに隠れて彼女の服の裾をギュッと掴んで離さない。
「すごい! 街ってこんなに賑やかなのねっ!」
「イシヤも大きいほうだったけど、これにはさすがに負けるね」
人を避けつつ興奮してはしゃぐミナミを見て、ミカノもにっこりと笑う。
カレアナンは白を基調とした建物でまとめられた、非常に美しい街であった。背の高い建物はあまりなく、澄んだ青空と咲き誇るカサナギの黄色とが街並みに淡く映えている。
落ち着いた街並みとは反対に、街門を通ってすぐにあるこの露店通りは非常に活気に溢れており、通る人々を足止めさせる商人たちの勢いも賑わいに一役買っていた。
こうして歩いているタヤクたち六人にもあちらこちらから声がかけられ、それらをミカノが上手くあしらって通り抜けていく。
それを横目で見ながら、タヤクの意識は自分たちの後方へと向けられていた。
「まーったく、いちいち相手にするのもメンドくさいっ! さっさと宿を取るわよ!」
「あぁ。行商人がかなりいるようだ。早めに動いておくべきだろう」
喚くミカノの言葉に同意するケイヤ。それに他の面々も頷き、宿場街に続いている道を捜し歩く。
「……」
背中に、複数の視線を感じながら。
◆ ◆ ◆
結局宿は取れたものの、やたらと高い宿泊料になってしまった。これからどういう動きを取るか決めかねていたのでなるべく節約したかったのだが、安宿は全て行商人たちで埋まっていたのだ。
仕方なく昼間にミカノが野盗から奪ったマジックアイテムを魔道士協会へと持ち込み、買い取ってもらうことで高い宿代を捻出したのである。
マジックアイテムというものはどれだけくだらないものだろうと、それが“どういう理屈でどう作られたのか”不明なものであればあるほど価値があるらしい。
用途ではなく、作成の過程が重要ということである。
古代の知識や技術というものは、現在あるものよりも遥かにレベルが高いことが多い。今では伝える者もおらず、失われてしまった叡智というものがマジックアイテムに詰まっていることもあるのだ。
そういったものを解明して、現代の魔術や技術に利用しようという組織もあるくらいだった。
ミカノが奪い取ったアイテムも例に漏れなかったようで、大層な金額と取り換えてもらうことができた。なにせ、使い道の分からない石の人形が、金貨百五十枚。
それを更に金交換所に持って行き、金貨十枚を変えてもらったところ、十万ペリア(ペリアは通貨の名称)にもなった。
金貨でも店で使えるが、そのまま持ち歩くとかなりの重量で旅の邪魔になると踏んだため、タヤクの提案で現金に換えたのだ。
一部はそのままで持ち歩くようにして、最終的には百枚を交換した。交換屋の主人が目を剥いて驚き、慌てて奥の金庫へ向かったのには、タヤクも心底同情した。利用した交換所はそう大きい場所ではない。店主の驚きぶりからも、これほどの金貨を交換したことはないようだ。
この後別の客が来たときに交換出来る現金が残っているのだろうか。
タヤクはそんなことを考えていた。
そういったようなやりとりがあって、宿は確保できた。高いだけあって完全個室制の特級クラス。十代のタヤクらが泊まることに胡散臭い目を向けられるかと思いきや、にこにこと迎え入れられた。
この街にはギルドや魔道士協会がある為か、幼いからと言って宿泊を拒否されることはない。そういった組織に所属するのに年齢は一切関係ないのだ。
仕事の関係で泊まる者や、はたまたホテル自体を住処にする者もいるらしい。
男性陣は三階に、女性陣は四階に部屋を取り、フロントで鍵を貰った後、それぞれの部屋へ向かうためにロビーで別れた。
「ふぅ……っ」
部屋に入ったタヤクはとりあえず荷物を置き、ベッドに身を投げ出した。久しぶりのベッドは高い宿代を叩いただけあって、ふかふかと柔らかく彼を受け止める。それだけで旅の疲れがどっと押し寄せてきて、タヤクの瞼は下がってきたのだった。
ミカノ達は当面の食糧の確保と、薄汚れてきた自分たちの服を新調すると言っていた。
――女の買物ってやたら時間がかかって量が多いとか言うよな……
キーナやミカノはともかく、ミナミはそういう女性の典型なような気がして、思わずため息が口をついた。しかし仮にそうだったとしても、ケイヤの“次元”でどうにかなるだろうと無理矢理に思考を止める。
そのケイヤは自身の武器である剣や刀を研ぎに出すと言って、一時間ほど前に宿を出た。彼は特定の剣だけを使用しているわけではない。タヤクが目にしただけでも十本以上の剣を使用している。
全てが愛用の剣であり、全てがケイヤの為にある。
そう言っていいほど、剣と称されるものはケイヤの為に働いた。
線が細く華奢であり、その細腕でどうして長剣だけでなく大剣まで振り回せるのだ、と問いかけたこともあったが、ケイヤは首を傾げて、「使えるから使うだけだ」と答えたのだった。
一方マサアの場合、基本は体術を中心とした動きだが、ナイフや簡単な魔法も扱える器用なタイプである。
体術の投げ技はタヤクよりも上手であったし、ナイフの投擲も的を外すことがなく、魔法も下位のものであれば白魔法黒魔法、精霊魔法など種類を問わずに扱える。
なんでもソツなくこなす彼には羨ましいものがあると、タヤクは常々思う。
「――とは言っても、魔法はオレには無理だしな」
一人呟き身を転がす。
タヤクには、本来全ての人に備わっているはずの魔力が一切なかった。
ただの一滴たりとも彼の中には魔力が存在せず、それゆえに魔法が一切使えない。それが何故なのかタヤク本人にも分からず、“鳥籠の飼育者”たちにも解明することは出来なかった。
魔法が使えるなら使いたかった。そう思って魔法に精通しているキーナにこっそり相談したこともある。けれども、彼女は悲しそうに目を伏せて、言ったのだ。
◆ ◆ ◆
『……あのね、タヤク。林檎があるでしょう?』
『林檎は種を植え、苗ができ、やがて木になり花が咲き、そしてやっと収穫を迎える。魔法も同じ。元になる魔力があり、それを修行で育て、立派に扱えるようになって初めて役に立つ』
『けれど、私のこの手には林檎の元になる種も苗もない。だから林檎を育てられない』
『……タヤクも同じ。元になるものがないから、魔法を教えられない』
『ごめんなさい……本当に、ごめんなさい……』
◆ ◆ ◆
そう言われた時から、タヤクは魔法を扱うことをきっぱりと諦めた。元々使えなかったものだ、特にこだわりはなかった。
ただ、魔法を使えれば、ミカノたちをもっと守りやすくなるのでは、と思っただけで。
「――使えるようになったとしても、付け焼刃じゃどうにもならないしな」
ぽつりと零れた言葉は無意識のものだった。
ベッドに寝そべったまま荷物の一つに手を伸ばし、指先に当たった本を仰向けになって眺める。読書は嫌いではなかったので、暇さにかまけてそれを読破しようと唐突に思う。
本はカレアナンの街に関しての情報本だったようで、風土や気候、食物や産業のことなどが書かれていた。挿絵もふんだんに挟まれており、先ほど通った露店通りや人々の食事の風景から、王直属の護衛部隊『ウィルヘイム』という兵士たちの姿まで、実に様々なことが掲載されていた。
「……」
しばらくぱらぱらと本を眺めていたタヤクだったが、
「――タヤク、いる?」
という声に本を閉じ、ベッドの上に身を起こす。ノックもなしに突然開いた扉の向こうには、キーナ曰く“太陽のような陽色”をした髪がひょっこり覗き込んでいた。
「あ、いた」
百八十センチを超える背をおずおずと縮こませていたが、タヤクを見るや否やその長身に似合わない童顔をほっとさせて笑う。それに対してタヤクは呆れたように眉間に手を当て、ため息を吐く。
「お前なぁ……いるか分かんないのにいきなり開けるか?」
「や、知ってる奴だからいいかなぁって」
「……親しき仲にも礼儀あり、って知ってるか?」
「おうっ! 馬鹿にすんなっ!」
――お前が馬鹿だって言ってんだよ……
にっかりと笑って答えるマサアに思わずそう言いかけ、大きく吸い込んだ息は再びため息となって吐き出される。
とりあえずその言葉を寸前で飲み込むことに成功したタヤクは、呆れた表情のまま用件を尋ねた。
「で、何の用だ? お前は買い物とかはいいのか」
一応そう聞いたものの、タヤクには彼が言うことの見当が付いていた。先ほどマサアが見せた安堵の顔は、タヤクが部屋にいたからというのもあるだろうが……
――一人で動いていいのか判断がつかなかった、ってところか
そう内心で当たりをつける。
ベッドの上で足を組みながらじっと見つめてくるタヤクの視線を受けながら、マサアは後ろ手に部屋と廊下を繋ぐドアを閉め、ベッドの向かいにあるソファに腰を下ろした。
いつも六人の行動に関して提案と方向を出すのはキーナであり、それを咀嚼して吟味するのがケイヤ、実行に移すのがミカノという流れが出来ていた。
タヤクやマサアはそれらの補助役であり、必要な時に必要な力を使うだけである。
いまはそのケイヤもキーナもいない。故に迷った末、マサアはタヤクの部屋を訪れたのだ。自分よりも格段に正しい判断ができるだろうと思って。
マサアはその表情を少しだけ神妙なものへと変え、
「気付いてるよな?」
と、逆に問い掛けてきた。
何を、とは言われなかったが、タヤクは彼の言葉に深く頷き返す。
街に入ってからの複数の“悪意ある視線”。時に混ざっていた殺気は、気のせいなんかではないと確信した。
「あぁ。結構な数がいるな」
「やっぱり?」
「どのくらいの数がいるか分かるか?」
尋ねられたマサアは複雑な顔をして視線を宙に泳がせる。数瞬ののち躊躇うように口を開いたが、彼の返答を聞くのではなかったと、タヤクは心底から後悔した。
「はっきりこっちを意識してたのは十人くらいだけど……」
「だけど?」
「こっちに向けてなのか、よくわからない曖昧ないのは倍以上」
「おいおい……」
冷や汗が背筋を流れていく。
イシヤの領主であるソエルが“鳥籠”の支援者というのをキーナから聞いていたから、他にもそういった手合いの人間がカレアナンで待ち伏せをしているかと警戒はしていた。
しかしマサアの言うそれは、先ほど通ってきた露天通りにいた行商人の数に近い。“曖昧な視線”というのはこちらが警戒するのを防ぐためにわざと散らしていた気配であり、殺気に違いないと二人とも分かっていた。
タヤクの脳裏を嫌な予感が過る。
「……マサア、行くぞ」
ともあれこうしていても埒が開かないと踏み、座り込んでいたベッドから腰を上げる。それに応じてマサアもソファから立ち上がった。
「おぅ」
「ここから近いのは……」
荷物から市街マップを取り出し、宿の位置を確認する。ケイヤの向かった鍛冶場街より、ミカノ達のいる商店街のほうが近いことを確認して、二人は顔を見合わせ頷き合う。
そして頭の中にその図を叩きこみ、マサアはタヤクから受け取った地図を尻のポケットに捩じ込んで宿を飛びだした。