◆ 敵

 城門前の通り――露天通りを抜けると、大きな噴水が目立つ『噴水広場』に出る。そこから放射状に各エリアへの道が伸びていて、先ほどまでタヤクとマサアがいた宿場街へと通じる道と、これから向かう商店街へ続く道は隣り合っていた。

 露店通りは主に外から来た商人たちの為に設けられた場所であり、国内では見られないような珍しい品が並んでいる。売り物も実に様々であり、この街で暮らす人々にはもちろん、外からもこれらの露店を目当てに来る者もいるくらいである。

 一方で、商店街はこの街に住む商人の為に設けられた場所であり、街の住人の生活用品や旅行者向けの土産物などが溢れていた。ミカノたちはこの商店街で衣服や食料品の調達をするために宿を出ていたのだ。

 周囲に警戒したまま宿を飛び出したタヤクとマサアは噴水広場までまっすぐ走り抜け、商店街への通りを曲がろうとする。
 しかし、各エリアまでの中継地点とあって待ち合わせに利用する人が多く、広場はごった返していた。

「くっそ……っ」

 思わず歯噛みするタヤクの隣では、マサアも焦れたように眉根を寄せて「うぅっ」と唸っていた。

 ちらと噴水へと目を向ければてっぺんには時計が設置されており、時刻は二時半を刻んでいた。人が出回る時間帯なのか、歩けば誰かと肩をぶつけそうになる。



――ちょっと乱暴だけど、押しのけて駆けるか……



 タヤクがそう思いかけた時、耳に聞き慣れた細い声が聞こえた。

「――マサア、タヤクっ!」
「ミナミ?!」

 人込みを掻き分け現れたのは、幼い少女ただ一人。桃色の髪を振り乱しながら二人の元へと走ってくるミナミの息は、荒く弾んでいる。

 その傍にミカノとキーナの姿は見えなかった。

「どうしたんだ一人で……」

 一瞬顔を見合わせたタヤクとマサアだったが、彼女と同じように人波を掻き分け距離を詰める。近くに寄った二人の姿を見て一瞬ほっとした表情になったミナミだったが、次の瞬間にはもう、アメジストのような大きな瞳を歪めて嗚咽を漏らしたのだった。

「何があったか、教えてミナミ? ゆっくりでいいから、ほらっ?」

 見かねたマサアは泣きじゃくるミナミをひょいと抱き上げて、あやすようにその背をぽんぽんと叩いてやる。そうすることで、しゃくりあげながらもようやくミナミが口を開いた。

「ひっ……うっ、買い物してたら、いきなり、剣を向けられて……」
「街中で剣を抜いたのか?!」
「あぅ……ミカノが、その人を追ってて、ひぐっ……キーナがいま、街の人と戦って、て」

 そこまで言って、ミナミは堰を切ったように大声で泣き始めた。なんとかタヤクたちに知らせなくてはと頑張っていたのだろう。
 「よく頑張ったな」と声をかけながら、マサアの肩に顔を埋めて泣く彼女の髪を撫でてやる。

 そして、改めて周りを見回す。
 噴水広場には、彼ら三人以外、誰の姿もなくなっていた。

「……っ?!」

 あれだけ賑わっていたはずなのに、三人が話している間に、こうもきれいに居なくなるものなのかと寒気を覚える。その異様さにマサアと、泣いていたミナミも気が付き、ひゅっと息を呑む。

 そして、居なくなった人々の代わりといわんばかりに。




――がしゃり




 重い、鉄の音が響いた。

 ホワイトメイルに金の縁飾り。手には騎士剣やハルバードなど、おそらくそれぞれが得意としているのであろう得物を握り締めて。

 列を乱すことなく直立する三十余名の姿。
 胸元には、王家の紋章である六紡星に浮かぶ命の火。

「おいおい……っ」

 乾いた声がタヤクの喉を震わせて零れ出る。

 彼は知っていた。
 その鎧が何を示すか、どういった者達なのかを。
 彼は先ほど宿で見たばかりなのだ。カレアナン国王直属の護衛兵部隊『ウィルヘイム』の、勇ましい姿を。

「っ!!」
「な……っ」

 ミナミの泣き声が止み、マサアの口から空気が漏れた。タヤクはただ茫然と立ち尽くし、頭の中は混乱している。



――なんなんだこれは
――どうして国王軍が動く?



「――その少女が、新しい“花嫁”か」

 動揺を露わにするタヤク達に構わず、兜の下からくぐもった声が聞き慣れた単語を発する。その途端、タヤクとマサアの体に緊張が走った。
 嫌な予感が痛く重くのしかかってくる。

「“聖なる獣”マサア・ハインデルク。“枯れた大地”タヤク・ルラーナ」

 国王の騎士たちが何故自分たちの名前を知っているか。

「“鳥籠の飼育者”の名前の元に、“鳥籠”への帰還を命ずる」

 なんとなく理解する。

「命賭して、全霊を掲げて」

 あの“鳥籠”という施設は……

「世界の礎となるがいい」
「走れっ!!」

 言うが早いか、タヤクは走り出していた。



――やばいやばいやばいっ!



 国王軍を相手にするのは苦でも何でもない。倒せる自信も実力もあるのは、自分たちが嫌というほど知っている。

 だが、手を出せない。

「国を敵に回してたまるか……っ!」

 倒せるのに倒してはいけないというジレンマに、タヤクは憤った。

 イシヤの街で一帯を統べる領主であるソエルがキーナを拐った時から、タヤクはずっと考えていた。
 “鳥籠”の支援者だと言ったソエル。少なくとも領主クラスの人間は“鳥籠”に絡んでいるのだということがそこで分かった。

 タヤク達は“鳥籠”に閉じ込められていたが、“鳥籠”が何によって運営されているのかは知らなかったのだ。ソエルに会って初めて領主が関わっていることを知った。

 しかし、彼はあくまで“支援者”でしかなかったのだ。
 “運営者”とは、違う。

 破壊神や三柱の女神が関わっていることから、狂信的な集団が“鳥籠”を運営しているのだろうとタヤクは思っていた。
 地方では土着神の信仰が盛んであるし、三柱の女神たちもそれぞれに祀られている神殿や教会が各地にある。

 そういった中の一つが“鳥籠”を運営しているのだろう、とタヤクは思っていたのだが……

「まさかの“国ぐるみ”だったってわけか!」

 舌打ち交じりに吐き捨てると、隣を走るマサアもぎゅっと眉根を寄せて顔を顰めた。

 その可能性も考えていないわけではなかった。
 一つの宗教団体にどこまで力があるかわからない。けれども、“鳥籠”の僅かな話も、噂ですら一つも流れず、誰一人としてどこにあるか、どういった施設なのか、見たこともなければ聞いたことすらないのだ。

 カレアナンに辿り着くまでに出会った商人や旅人達、それにカレアナンに着いてからもそれとなくそういった話を振って情報収集を試みたのだが、誰一人として“鳥籠”のことを知らなかったのである。

 隠したりしているわけではなく、本当に“知らない”。

 水も漏らさぬ、とはよく言ったものだとタヤクは思うが、ここまで徹底して完璧にものごとを隠すことがそう簡単にできるものなのだろうか。
 そう言った意味でも“鳥籠”への国の関わりを考えなかったことはなかったのだが、できれば外れていてほしいと願っていたのも事実であり。

 いまこうして国王軍に所属する騎士たちに追われている現実は、非常に受け入れたくないものであった。

「……っ」

 走りながら頭を振り、思考を切り替える。
 考えることはこの場を切り抜けてからでいい。それよりも先に、しなければいけないことがあるのだから。

 右を見れば自分に並んで走るマサアと、彼に抱えられているミナミと目が合い頷きあう。

「オレとミナミが商店街に行く」
「わかった」
「ミカノはお城への道に屋根を使って跳んで行ったよ!」
「そうか、ありがとうなミナミっ!」

 えへへっ、と笑うミナミの目には、もう涙は残っていなかった。それにつられるようにタヤクも笑みを返し、ふともう一人のことを思い出す。

「鍛冶場にいるケイヤは……」
「ケイヤは強いから大丈夫だ!」

 やけに強い声でマサアが遮った。幼馴染のことをずいぶん信頼しているらしい。
 ケイヤのことはマサアの方がよく分かっている。故に、「わかった!」とだけ返して目の前の分かれ道を睨む。

 適当に走って逃げたせいでどこをどう走っているのかはもう分からなくなっていたが、先ほど宿で頭に叩き込んだ街の案内図を脳裏に思い浮かべる。細かい場所まではさすがに無理だが、大雑把な地理ならどうにかなる。

 後ろからは白い鎧の群れがガシャガシャと音を立てながら迫ってくる。装備が重いようで今はまだ距離があるが、油断はしない。

「じゃあ、鍛冶場通りで落ち合おう!」
「おうっ」
「わかった!」

 タヤクの言葉にマサアとミナミも力強く頷き返し、彼女を抱えたまま、二人は商店街にいるキーナの元へと走り出す。
 その後ろ姿を見送ったあと、タヤクはミカノがいるであろう城へ続く道に、一人向かって駆け出した。


◆ ◆ ◆


「ミナミ、こっち?!」
「うんっ!」

 腕に少女を抱えたまま、マサアは商店街を疾り抜ける。

 この国に入ってすぐにあった露天通りは白砂を撒いただけの土道であったが、そちらとは違い、商店街の通りには赤煉瓦が敷かれていて、走るたびに固く冷たい感覚が足裏に響いた。

 こちらも広場と同じく、住民の姿が見えない。それどころかすべての店のシャッターが落ち、例外なく鋭い爪でひっかいたような跡が残っていたり、高熱で溶かされたようにどろどろと冷え固まったりしていた。

 一目見て戦闘があったと分かる有り様である。

「どうして街の奴がキーナを襲うんだよっ!」

 マサアが吐き出した悲痛な声は、誰もいない通りに空しく響く。彼に抱えられたままだったミナミは胸を空くような声音に思わずその顔を仰ぎ見、そして見るのではなかったと後悔した。

 そう思うほど、彼の表情は悲しみに彩られ、深く深く痛んでいたのであった。

 彼にとってのキーナは、大事な家族の一人であった。孤児院で育った幼馴染のキーナとケイヤ、この二人はマサアの中でも特殊な位置にいる。

 マサアは十九、ケイヤは十八、キーナは十七歳と僅かな年の差があり、マサアは二人を本当の弟と妹のように扱い、慈しんで守ってきた。

 “鳥籠”に連れて行かれるのも本来はキーナ一人だけだったのだが、その際に二人が抵抗し、彼らも一緒に閉じ込められる羽目になったのだ。結果的に、彼らも“鳥籠”で飼われるだけの素質があると後になって分かったのだが。


 ずっと守ってきた存在だった。


 大事に大事に慈しみ、ずっと傍にいて、全ての悪意から守りきれると信じていた。



――それなのに……っ!!



「マサ」
「どうしてっ!」

 心底哀しくて憎い、という声を出す彼を、ミナミはそっと見つめるだけだった。

 カレアナンに辿り着くまでにケイヤはぼろぼろに傷つけられ、キーナは浚われ、そして今また何者かに襲われているというのだ。自分の知らないところで。

 ミカノのことも心配ではあったが、彼女は強い。躊躇いなく、自身に降り注ぐ悪意を全て蹴散らせてしまう。そういう意味では、キーナは脆弱であった。

 誰かの為に、は戦える娘ではあるが、自分の為に、は戦えない。

 それが、マサアが不安になる一つの要素であった。

「薄皮一枚だって傷つかせたくないのに……っ!」
「――ね、マサア」

 怒りで沸騰しかけた脳を、甘やかな声が揺さぶる。はっと我に返って胸元を見れば、彼に抱えられたミナミがじっと自分を見つめていた。いつもと同じ可愛らしいその顔は、いつもと違って笑顔がなく、まっすぐにマサアを見つめている。

「……っなに?」

 それだけを返すので精一杯だった。
 それ以上言葉を出そうとすると、ミナミに対してまでこの、もやもやと湧き上がっている怒りや苛立ちを吐き出してしまいそうで。

 そんなマサアの気持ちを知ってか知らずか、ミナミは微笑った。マサアが見慣れている、明るくて快活な笑顔ではなく、本当に薄らと。

「――行こう、一緒に」

 胸元に収まっていた腕がマサアの首に回されて、より強く密着する。
 彼女が言った言葉は本当に何と言うこともない他愛のないもので、それだけでしかない。

「……」

 マサアは何も言わなかった。ただ、走る足をもっと速くと踏みしめた。


 いくつもの枝道に分かれる商店街をどれくらい走っただろうか。
 辺りを見回していたミナミが、はっと目を見開く。

「マサア、あっち!」

 言われたほうに顔を向けると、道を二本ほど奥に行った場所から黒煙が立ち上っていた。それを睨みつけながら、マサアはミナミを自分の懐に強く抱きこむ。

「きゃっ」

 短い悲鳴を上げて顔を赤らめる彼女を尻目に、

「近道するから、気を付けてっ!」

 そう言い放つと地面を強く踏みつけ、一息に近くの店の屋根まで飛び上がった。

伽世
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伽世

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