◆ 襲来
「……っく!」
キーナの目の前で光が炸裂する。
それよりも一瞬早く防御の魔法障壁を自身の前に展開し、飛んできた炎の玉を打ち消す。同時に、頬を嬲る熱風と黒煙とが舞い上がった。
◆ ◆ ◆
――数刻前。
「もうムリっ! さすがにあたしでも持てない!」
両手いっぱいに抱えた紙袋の重さにミカノが音を上げる。その両腕にもたくさんの袋をぶら下げている彼女のことを、誰が「根性なし」などと責められよう。
おおよそ女性が持つにはふさわしくないほどの量の荷物は、六人分の食料品が大半を占めていた。それ以外は洋服がちらほらと、袋から見え隠れしている。
「ミカノー、大丈夫?」
よろよろと歩くミカノの後ろから、ミナミが心配そうに声をかけた。その手には小さめの袋が一つだけ下がっている。ミナミに並んで歩くキーナの手にも、同じく服が入った袋が一つだけ。
服に頓着しない男性陣に代わって六人分の服をまとめて購入したものの、思った以上の量になってしまったのだ。後回しにしていた食料品を買い足すと、とても三人で持てるとは思えないくらいまで荷物は膨れ上がった。
「宿に行ってマサアたちに助けてもらおうか?」とミナミが提案したのだが、それはミカノに却下された。
「このくらいならあたしだけでだいじょーぶっ!」
そう自信満々に笑うミカノに押される形でこうして歩いてきたのだが……
「うあー……やっぱ無理っ! 重いっ! 死ぬっ!」
最初の内は悠々と歩いていたのだが、時間が経つにつれて上げたままの腕は疲れるし、ぶら下がる袋のひもは食い込んできて痛いしで、徐々にミカノの口から泣き言が漏れ始めたのだ。
いまもぶちぶちと「死ぬー」だの「むりー」だの喚くミカノに、通り過ぎる人たちがちらちらと振り返っては笑っていた。
「もう……、ミカノが大丈夫! って言ったのにぃ……」
くすくすという笑い声と視線が自分たちに向けられていることに、ミナミは恥ずかしそうに身を縮こませた。
その隣を歩いていたキーナの足が突然早まり、そのままのたのたと歩くミカノを追い越し振り返って、「お茶にしましょうか」と微笑んだのであった。
近くにあったカフェを覗くと店内は満席であったが、外のテーブルはいくつか空いていたのでそこに座ることにした。
大荷物を抱えたミカノは一番近いテーブルの奥の席に座り、両隣の椅子に荷物をどさりと置いて「あーっ!! 疲れた!!」などと大声で言いながらぐりぐりと肩をほぐす。
その様子を苦笑して眺めながらキーナが席に着き、最後にミナミが通りを背にする形で椅子に座った。
「まったくもう、恥ずかしいったら……っ」
「だって重かったんだもーん」
どちらが年上なのか分からないようなやり取りをする二人を微笑みながら見ていたキーナだったが、ウェイターが近付いてきたのでさっさと自分の注文を済ませてしまう。
それを見て慌ててミナミも「ケーキセットのオレンジジュース!」とオーダーし、ミカノも「アイスココアとー、ミルクティーとー、水」などと飲み物ばかりを頼んだ。よほど喉が渇いていたらしい。
ほどなくして運ばれてきたそれぞれの飲み物に口をつけ、ようやく一息つく。
ちなみにキーナが頼んだのはジンジャエールであった。乾いた口内で炭酸がパチパチと弾け、心地よい。
「あー……生き返るぅぅぅー……」
「いい加減にしゃきっとしてよミカノ」
「いいじゃーん、休憩中だしー」
“本日のケーキ”として提供されたザッハトルテを味わうミナミは、相変わらずぐだぐだとだらしなくテーブルに頬をつけるミカノを窘める。年下にいくら言われてもどこ吹く風で、無茶苦茶な組み合わせで頼んだ飲み物を次々に飲み下していくだけである。
――と。
「ミカノ?」
急に身を起こし鋭い目で辺りを見回し始めたミカノに戸惑い名を呼ぶミナミだったが、返事はない。キーナも同じように眉を潜めて周囲を窺う。
二人の急な変化について行けずおろおろと交互に彼女らの顔を窺うミナミであったが、その動きはすぐに止まった。
「――“花嫁”はいつから三人に増えた?」
声と同時に、ミナミの首筋に剣が当てられる。その冷やりとした感触に身がすくみ、動けなくなった。
「ミナミっ!」
ガタンッ、と派手に音を鳴らしながら席を立つミカノに、しかし返事は出来なかった。恐怖で声が出ないのだ。
同じく席を立ったキーナを庇うようにミカノが前に立ち、黒いローブをまとった人物とミナミを挟んで睨み合う。相手の顔はフードに覆われていて口元しか分からなかったが、その視線はじっとミカノに注がれていることが感じられた。
商店街の、人通りの多い場所でギラつく刃を少女に向ける黒いローブの……男。体つきは細く見えるがローブの袖から覗く腕は筋肉質で、鍛えて相当絞っていることが容易に想像できた。
意外に高いその声はよく響き。
――商店街は、悲鳴と逃げ出す人とで混乱に落ちた。
通りにいた人々は悲鳴と共にあちらこちらへ逃げ出し、ミカノたちの周りには人っ子一人いない状況になる。
道沿いに並び営業していた店も一つ残らずシャッターを下ろし、さらには魔法の道具――マジックアイテムを利用して、簡易の結界を店に張る店員もいた。
「……」
わぁわぁと人の声で騒がしい中、ミカノは視線を一度も逸らすことなく、ローブの男を睨みつけていた。その手にはいつの間に取り出したのか、腰に下げていた槍が握られている。
ミカノの槍は三つに折り畳める形のもので、一振りするだけで彼女の背を超すほどの長槍になるのだ。
男も黙ったままじっとミカノを見返していたが、やがてミナミの首筋に当てていた剣を下ろし、
「来いよ」
と、短く一方的に言い放ち、そのまま近くの店の屋根に跳び上がった。その際に軽く突き飛ばされたミナミがよろめいて座り込み、すぐにキーナが傍に駆け寄った。
男の姿が屋根伝いに走りどこかへ去ったのを見送ってから、ミカノがようやく口を開く。
「あたしが行って様子見てくるわ」
それは、男の言葉を受けての答えであった。不安げな眼差しで見上げてくるキーナに軽くウィンクを返す。
「キーナちゃんたちはタヤクらと合流してて?」
「でも、ミカノちゃん一人で」
「大丈夫だって!」
そう力強く答えながらにっこりと微笑む。
その笑顔はキーナを安心させるには十分だったようで、彼女は小さく頷き返すことでそれに応えたのだった。
しゃがみこんで肩を震わせるミナミの頭をぐしゃぐしゃと乱暴に撫でた後、男と同じように近くの店の屋根に跳び乗り走り出し、あっという間にその姿が見えなくなる。
その姿を、キーナとミナミはじっと見つめることしかできなかった。
眉をハの字にしながら、おずおずとキーナを見つめるミナミ。
彼女の薄靄のような蒼い瞳は見えないミカノの背を追っているように、そちらを向いて剥がれない。
「ねぇ、大丈夫かな?」
思った以上に小さい自分の声に、ミナミはぎゅっと唇を噛んだ。
――わたしよりもミカノの方がいま危ないんだから……っ!
それに、とミナミは思う。
自分よりも、キーナの方が彼女の心配をしているのではないだろうか、と。
「ミカノちゃん、強いから……だから――」
自分自身にそう言い聞かせるように、キーナは呟く。
ミカノの言葉は力強くて、その笑顔はとても安心できて。
それでも、拭いきれない不安はあって。
そんなキーナの心境を思うと、ミナミの心は辛くてしょうがない。思わず彼女の両手を握りしめ「大丈夫だよ!」と言葉をかけようとしたのだが……
「えっ?!」
それよりも一瞬早く、キーナに強く抱き寄せられる。
「キ、キーナっ?!」
困惑した声を上げるミナミに構わず、そのまま体ごとぐいと引っ張るように、無理矢理横っ飛びにその場を移動する。その際に揺れたキーナのスカートの裾を何かが焦がし、今まで彼女たちが座っていた椅子を粉砕した。
「っ?!」
爆風に押されるようにして、キーナはさらにその場から距離を取っていく。
そうしている間にも椅子を粉砕したそれ――火炎の球は、二人を目掛けて幾つも放たれていた。
「な、なんなのっ、これってなんなの?!」
「……っ」
自分たちが襲われていることを把握したミナミが、悲鳴のような声を上げる。
火球の熱は自分たちのすぐそばを通り過ぎ、二人が走る先を邪魔するように地面へ着弾していく。そのたびに地面を舗装していた赤煉瓦が細かく砕け散り、破片が手足や頬に当たって細かな傷をキーナたちに負わせていた。
「ん、もうっ!」
困惑から自力で立ち直ったミナミは、自分を抱えたキーナが走る方とは真逆の方向――火球が飛んでくる方を睨み、早口で詠唱を開始した。
『風の流れよ 時に逆らい渦巻く衣となりて我が盾となれ! 風封盾――ウィンディ・シールド――っ!』
ミナミの解き放った“力ある言葉”に応え、風の精の力を借りた防御結界が二人を包み込む。
対魔法攻撃に優れた結界であり、飛んできた火球は結界に触れて爆散するが、爆風どころかその熱さえ二人には届かなかった。
「キーナ、これって……」
結界の中でようやくミナミを下ろしたキーナの息は、すでに切れ切れになっていた。もともと力も体力もない女性である。自分一人で走り回るだけでも一苦労なのに、小さく軽いとはいえ、少女一人を抱えて走っていたのだ。
「は……はっ……っ」
「キーナ……」
短く息をするキーナを心配そうに見つめる。不安げに見守るミナミの声に反応し、キーナの目が彼女の姿を捕えて優しく微笑んだ。
「お願いがあるの、ミナミ」
「なに? どうすればいいの?!」
未だに結界の外では火球や氷の礫が襲い掛かってきている。ミナミが唱えた結界はかなり頑丈でびくともしていないが、いつまでもこうしているわけにはいかなかった。
――すこし危ないけれど、こうするしか……っ
ぎゅっと下唇を噛み締め、キーナは祈るように両手を組む。ミナミはじっとそのさまを見ていたが、自分の体を淡い光が包みこんだことに目を丸くして驚いた。
突然視界が膜に覆われ阻まれたようになり、それがなんなのか分からなかった。膜の向こう側にはキーナがいて、膜に包まれた自分を見つめている。
「走って、ミナミ。宿までの道は覚えているわね?」
「なん……」
驚くミナミの言葉を最後まで聞かず、キーナは真剣な眼差しで言う。彼女の身に、防御魔法を纏わせて。
「行って、タヤク達に伝えて。ミカノちゃんを助けてって!」
白い指がミナミの背を軽く押し、促す。なぜ自分にだけ防御魔法を纏わせたのかわからず、混乱したまま押された勢いで歩を進める。
二人を護っていた結界を出ると、そこは火球や氷の礫で荒らされて、もはや道がなかった。赤煉瓦はあちこち剥がれて破片が散乱し、煙があたりに充満している。
――なんでこんな……っ
先ほどまでキーナやミカノと買い物をしていた場所とは思えないほど変わってしまった光景に、眉尻を下げて息を詰める。
普通に人が暮らしていて、普通に生活していた場所が、なぜこんなことにならなければいけないのか。
走りつつも悲惨な光景に目を取られていたミナミの前に、人影が立ちはだかる。その手には骨斬り用の厚くて大きな包丁が握られていて、
「っ?!」
ミナミがそちらに気が付いたのとほぼ同時に、それを振り降ろした。
「きゃうっ!?」
思わず足を止めてしゃがみこむ。両手で頭を押さえて目を瞑るが、いつまで経っても切り裂かれる痛みはこなかった。
「……?」
おずおずと薄目を開けてみると、男の包丁はキーナが施した防御魔法に阻まれて、みしみしと音を立てていた。まるで強固な壁に刃を突き立てているように、それは一向にキーナの魔法を破ることが出来ない。
「あ、あ……」
目の前に迫る刃物に声が出ない。両足ががくがくと震えて上手く立てないミナミの背に、力強い叱咤の声が飛ぶ。
「走って、ミナミ! 私の防御魔法はあなたのものより弱いの! 二重に張って、走って!!」
「うぁ……」
キーナの声が耳に入り、泣きそうになるのをこらえてどうにか立ち上がる。
目の前にはいまだに包丁で防御魔法を破ろうとする男が、ギラギラとした目でミナミを睨みつけていた。
「うぅ……っ」
一度だけ強く目を瞑り、そして開く。浮かび上がっていた涙を払いのけ、すぐに新たな防御魔法を唱えて自分の身に纏わせた。
その後すぐに風の精霊の力を借りた飛行術を唱えて、一気に商店街の通りを飛び去って行く。
いつの間にか通りには幾人もの人がいて、その人々は一斉にミナミに向かってナイフや攻撃魔法をけしかけてきたが、それらは悉くキーナとミナミで唱えた二重の防御魔法によって阻まれた。
ミナミはもうそんなことに構っていられなかった。万が一防御魔法が打ち破られて傷ついたとしても、きっと気にもしなかっただろう。
――早く、早くマサアたちに言わなくちゃ……っ!!
ミナミにはそれ以外、なにも考えられなかった。