◆ 凶刃
その場にいた全ての者が息を呑み、盛大に巻き上がった土煙を凝視する。
「っ?!」
落下してきたモノのすぐ傍にいたキーナもその眼を瞬かせ、やがて霞んだ視界の中に見覚えのある姿を捕えた。
「いってぇぇぇっ!」
「マサア、大丈夫?!」
空から――近くにある店の屋根から飛び降り現れたのは、ミナミとマサアであった。
屋根の上を移動している時にキーナを見つけ飛び降りたものの、抱きしめていたミナミの分まで負荷がかかったため、両足に襲いかかった衝撃はこの上なかった。
しばらくの間「づぁぁぁっ」だの「うぇぇぇっ」だのと、のた打ち回っていたマサアのことを、ギルドの面々も茫然と見ている。いっそ呆れていると言った方が正しい。
転げまわる彼の傍では、ミナミが心配そうにその様子を見守っていた。
「……あっ」
同じようにその光景を呆然と見ていたキーナだったが、数瞬後、我に返って二人に駆け寄る。自分と同じようにギルドの面々に追われたり、襲われたりしていないかと心配したのだが、飛び降りて転げまわった際の擦り傷以外、マサアには怪我一つなかった。
一人で走らせたミナミにも怪我はなく、ほっとする。
そうして二人の無事を確かめてから、
「マサア、どうして……」
地面に膝を付き、座り込む彼の頬に白い手をそっと添えながらキーナは問う。
ミナミには“ミカノを助けてくれ”と伝言を頼んだはずであった。それなのになぜ、彼がここにいるのかが分からなかった。
ケイヤとタヤクの姿も見えず、それにも不安になる。
そんな彼女の不安など吹き飛ばすように、マサアは人懐っこい性格そのまま、顔をくしゃくしゃにして笑い返し、
「キーナを助けたかったから、走ってきた! ミナミはおれに道案内してくれたんだよ」
そう言ってキーナを懐に入れてぎゅっと抱きしめる。驚いた彼女が「きゃっ」と短い悲鳴を上げても構わず、その耳元で囁く。
「タヤクはミカノのとこに行った。ケイヤは出掛けてたから分かんないけど、大丈夫!」
「!!」
思わず見上げれば彼はにっこりと微笑んでいて、その言葉に強張っていた体から力が抜けた。
ミカノのことはタヤクに任せておけば大丈夫だろう、そう思う一方で、どこでどうしているのか分からないケイヤのことが心配だったが、
――マサアが“大丈夫”と言ったんだもの……大丈夫
そう、心の内で頷いた。
彼の言葉に根拠があるわけではないが、長年同じ屋根の下で暮らしてきた“家族”である。マサアが大丈夫と言えばそれは“大丈夫”であり、ケイヤ自身の強さをキーナも知っていた。
――だから、“大丈夫”
そうして立ち上がるマサアに支えられ、キーナも立ち上がる。ミナミも彼女と同じように、マサアの腰元にしがみついた。
「……」
そうこうしている間に土煙はとっくに晴れ、ギルドの面々は三人を囲うようにじり、と距離を空けていた。その手にはそれぞれの得意な獲物が握られており、またそうでない者はいつでも発動できるようにと、攻撃や防御の術を唱え上げている。
三人の瞳はそれらの人物ではなく、ただ一人、自分たちの真正面に立つ男を捕えていた。
「――“無垢なる獣”か」
マサアの姿を認め、銀髪の男が呟く。
呼ばれたその名に、すぅっと目を細めて睨み返す。普段のマサアからは信じられない様相に、ミナミがびくりと震えた。
「うるさい、呼ぶな」
「その小さいのは新しい“花嫁”か?」
「人の話は聞けよ」
目線でミナミを指す男に、マサアは苛々と言葉を歪めていく。そんな彼の様子も意に介さず、白銀の男は淡々と話を進めていった。
「お前も“鳥籠”に戻る気はないのか」
「ないね」
「世界が滅び、すべての人間が死滅しても?」
「構わない」
はっきりと、少しの間もなく答えたマサアの言葉に、三人を囲っているギルドメンバーからは怒気が膨れ上がった。
“すべての人間”にはここにいる彼ら彼女らはもちろん、その仲間や家族も含まれているのだから当然であろう、とキーナは思う。
突き刺さるような視線を全身で浴びながら、それでもキーナは顔を伏せたりしなかった。
それが、自分たちで決めたことなのだからと。
白銀の男は続ける。
「自分たちが生きるためなら、他の者は死んでもいいと?」
「自分たちが生きるためなら、おれたちは死んでもいいの?」
“花嫁”が三柱の女神の依代となり、破壊神を封印し続ける。そうすれば世界は平和なままなのだろう。
それでも、“花嫁”の命はそこで絶えるのだ。
「お前たちがいまここで“鳥籠”から逃げおおせたとしても、破壊神が復活すればどうせ世界は終わるのだぞ。ならば、生き残れる者だけでも救おうとは思わないのか?」
男の言葉にキーナの体が硬直する。眉をしかめて唇をぎゅっと結び、何かを言おうとするが声が出ない。華奢な手は真っ白になるほど強く握りしめられていた。
「それでも」
「違うもん!!」
再びマサアが口を開きかけたその時、不意にミナミが声を上げた。
大きなアメジストのような瞳に怒りを湛え、先ほどまで怯えていた少女と同一人物とは思えないほどの意思を込めた視線で、目の前の男を射抜く。
「違うもん! どうして誰かのために誰かが死ななきゃいけないの?! おかしいよ!」
「ミナミ」
「どうして誰も元を絶とうとしないの?! 破壊の神様が悪いなら、破壊の神様をみんなで倒しちゃえばいいだけじゃない!!」
大声で叫ぶミナミの言葉に、そこかしこから嘲笑の声が聞こえる。子供の戯言だと、出来もしない妄言をと、その声たちは言うのだ。
目の前の男も同じことを思っているのかもしれない。切れ長の瞳をさらに細め、じっとミナミを見据える。
少女はしっかりとその視線を受け止めて、噛みつかんばかりに吼える。
「倒さなきゃ、この先ずっと、誰かが死ななきゃいけないんだよ?! そんなの駄目だよ!」
「言うのは容易かろう。それを出来るかどうかは別として」
ミナミの言葉をさらりと受け流し、男は再びレイピアを構える。これ以上話すことはない、とでもいうような態度であった。
それでもミナミは彼を睨み続け、キーナは男に対抗すべく小さく呪を唱え始める。相手は力づくでも自分たちを“鳥籠”に戻らせるつもりなのだ、彼女たちはそれに抗う以外、道はない。
「……」
黙って彼女の言葉を聞いていたマサアも、腰に下げていたナイフに手をかける。そうして再びこの場にいる全員に聞こえるような太い声で、
「おれたちがそれをやるよ」
と言い切り、戦闘が始まった。
先手を打ったのはギルドのメンバーだった。
魔術師なのであろう何人かが、あらかじめ唱えておいた術を解き放つ。彼らが唱えていた“力ある言葉”に応えて現れた火の玉は、マサアたちの目の前で花火のように炸裂した。
「ありがと、キーナ!」
それと同時にマサアがキーナに短く礼を述べる。彼女もギルドの魔術師たち同様、あらかじめ術を唱えていたのだ。相手とは違い、攻撃ではなく防御の術を。
彼女が解き放ったそれは薄青色をしたドーム型の防御結界であり、対魔法攻撃に優れているものであった。魔術師たちが放った火の玉はその結界にことごとく弾かれたのである。
「来るわ」
キーナの声を受けて、マサアとミナミが緊張を高める。三者三様にそれぞれ別の方向を見つめ、やがてバチバチと散る火花と立ち込める煙の中に煌めく光を見つけた。
それを捕えた瞬間、ミナミもいままで留めていた術を“力ある言葉”と共に解放する。
『風封盾――ウィンディ・シールド――!!』
彼女の力強い言葉と共に、薄い緑色をした円柱の防御結界が展開される。
それは飛んできた光――ナイフやダガーを次々に弾き返し、それらが地面に落ちる甲高い音が商店街に響いた。
“私が唱える術とは別の呪文を”
それは、この街に来る道々、ミナミがキーナに教わったことであった。
防御魔法にはいくつか種類があり、物理攻撃に優れたものと魔法攻撃に優れたものとに大きく分けられる。
二人で一緒に対物理の結界、もしくは対魔法の結界を張れば結界の強度はぐんと上がる。二重に張ることになるのだから。
しかし、キーナはそれを良しとはしなかった。
『片方が対物理の結界を唱えていたらば、あとから唱えるほうは対魔法の結界を唱えること』
『そうすれば、片方が物理攻撃を遮り、片方が魔法攻撃を退けられるから』
ミナミが回復や支援の魔法に優れていたからこそ、キーナはそう教えたのであった。
脆い結界ならばその強度を上げてやらなければいけないが、こういった魔法に関してはキーナよりもミナミの方がよほど優れている。だからこそとれる戦法であった。
「どりゃぁぁぁっ!!」
火花も煙も治まり視界がクリアになるのと同時に、二人の張った結界からマサアが躍り出る。
ギルドの面々も同じように三人に向かって走り迫っており、その足元にマサアの投げたナイフが幾本も突き刺さった。
先ほどまでキーナが受けていた攻撃の影響で、舗装されていたはずの道は地面が剥き出しになっている。壊れて砕け散った煉瓦の破片が散乱していることもあって、足場は酷く悪い。
それでも誰もがスピードを緩めずに、徐々に三人との距離が縮まっていく。マサアが放ったナイフもあまり効果がないようだった。
それでも構わずマサアも走り、ギルドの一人が振り降ろした剣をナイフの腹で受ける。力づくでその刃を押し返して腹に蹴りを入れてやると、後ろから襲い掛かってきた別の男の足を払って転ばした。
それに巻き込まれて幾人かがよろめいたのを見逃さず、ナイフの柄や肘を使って次々に倒していく。
「ちっ!」
最中、数人がマサアの横をすり抜けて、キーナとミナミを攻撃の対象に定める。すでに二人は防御結界を解除しており、背中合わせの状態で迫り来るギルドの面々をしっかりと捉えていた。
『侵略の蔦――イノゲーション・ウィラ――ぁっ!』
ミナミの声に応じて放たれた光の礫は地面へと潜り、すぐに無数の蔦となって地上に現れる。それらはギルドの面々へ素早く伸びて絡みつき、手にした武器を取り上げ、或いは口への噛ませとなって魔術師の妨害をした。
それでもまだ向かってくる者には、キーナの術が炸裂した。
『氷の蔓薔薇――アイシング・ホープ――っ!』
彼女が叫ぶとその足元から幾本もの氷の蔓が現れ、ミナミの術から逃れた者たちへと向かってまっすぐに伸びていく。その蔓が触れた部位はたちまち凍りつき、ほとんどの者が地面と足を縫い付けられて身動きが取れなくなった。
『火炎の球――ファイア・ボール――!』
相手の魔術師も負けじと応戦し術を放つが、キーナの腕の一振りでそれは掻き消された。魔術師の放った術へ彼女が干渉し、発動そのものを“なかったこと”にしてしまったのだ。
中位や高位の術では干渉は難しく、せいぜい相反する魔法をぶつけて相殺させるのがいいとこであろう。魔術師の術が下位のものであったことが功を奏したのだ。
「かかってきなさーいっ!」
自身を鼓舞するように大声を上げるミナミに、ギルドの面々の目が鈍く昏い光を湛えて反応する。普段ならばその視線に怯えるミナミであったが、今は違う。
――絶対に守るんだから……っ!
ことが始まってしまえば、ミナミの頭の中にはそれしか残っていなかった。
マサアたちに出会って二年。
たったそれだけの付き合いかと笑われるかもしれないが、ミナミにとっては何よりも濃く、大切な時間だった。
ぐるりと眼だけで周囲を窺えば、次々に術を唱えて応戦するキーナもいて、ナイフで確実に相手を仕留めるマサアもいる。
大好きな人たちと、この先もずっと、生きていくために。
その為に、彼女にとっては“圧倒的な強さを持つ”ミカノの姿を真似てでも強くなろうとした。
「だらぁっ!!」
ミナミの後ろから男が襲い掛かる。その手に持った肉切り包丁を真っ直ぐに振り降ろすが、彼女はそちらを見ることもせず、左斜め前に向かって走った。スカートの裾を僅かに裂いたその刃は、あとは空を切るだけである。
彼女が声のするほうを振り向かずに“左斜め前へ走った”のは、素手で戦うタヤクにもらったアドバイスのおかげでもあった。
彼とミナミ、それにキーナには、得物と言えるような武器はない。
敵が持つ武器に対して無手の者がどう動けばいいのかタヤクは事細かに話してくれたのだが、武術の心得があるわけではないミナミには、いまいち理解できなかった。
その様子に苦笑しながら「じゃあこれだけは覚えておけよ?」と、彼は言ったのだ。
『たくさんの武器があるけど、剣っていうのは使い手が一番多いんだ』
『そして大体の奴は“右上から左下に袈裟懸けに”斬ってくる。オレが斬るほうだとしたら、正面にいるお前さんには、左上から右下へ刃が動くように見えるな?』
『背中を取られたらいっそのこと見るな。振り向く間に斬られちまうから』
『剣の動きに合わせて“左斜め前”に全力で走れ』
「はぁ……はぁ……っ!」
額に汗を浮かべ肩で息をしながら、ミナミはタヤクに教わったことを思い出していた。スカートの裾を斬られはしたが、怪我はしていない。
どきどきと早く打つ心臓の音を無視するように、襲い掛かってきた男の動きに集中する。そうして男が分厚い包丁を再び構えようとしたその間に、
「やぁぁぁっ!」
ミナミの気合が込められた絶叫と同時に、空気の塊が男の腹に命中した。
「ぐぅっ!?」
まるで鉄の球でも当たったかのように、男の口からは苦悶と空気が漏れ、体をくの字にして吹き飛ぶ。
彼女がいま放ったのは、主にクレリックなどの回復や援護の魔法に特化した者が扱う、護身用の術である。自身の腕を砲身に見立てて空気の塊を放つ精霊術だ。
二人の男女が吹き飛んだ男に巻き込まれ、近くにあった店の壁に思い切りぶつかった。その衝撃は凄まじく、壁にヒビが走るほどである。
「ふうっ!」
よしっ、と小さくガッツポーズをとったミナミは再び対戦相手を探す為に戦場をぐるりと見回し……
自分に振り降ろされる凶刃が、視界で煌めいた。
揺れる銀色。
見える菫の、淡い紫の。
「……あ」
それがどのくらいの間だったのか、ミナミには分からなかった。
自分が本当に「あ」などと間抜けた声を出したのかも定かではない。
ゆっくりと流れる時の中、見開くミナミの視界はやがて黒になり――赤に変わった。