◆ 急転
「――キーナぁっ!!」
ギルドの一人と切り結んでいたマサアの声が響く。
すぐさま相手を蹴り倒し、ミナミに覆いかぶさるように倒れるキーナを襲った、銀糸の髪をした男に切りかかる。男はその一撃を細いレイピアで弾いて見せ、後方へ跳ねて距離を空けた。
「キーナ……キーナっ?!」
「早く回復してっ!」
自分を庇って切られた少女の名を呼び続けるミナミに、マサアの叱咤の声が飛ぶ。その間にもギルドの面々の攻撃は止まらず、なんとかマサアがしのいでいる状況だ。
マサアがナイフで応戦する、刃と刃がぶつかる音を聞きながらキーナの状態を窺う。
「……っ!」
白い背中に一本走った紅い線からはじくじくと血が滲み出ているが、思ったよりも傷は浅く、ほっと息を吐く。
それでも痛みに呻くキーナの声を聞くのは辛かったので、詠唱を破棄してすぐさま治癒の術を解放した。
『精霊の癒し手――カーディナル・フォント――』
囁くようなミナミの声に応え、風の精霊が力を貸す。
様々な生命の息吹を乗せて駆け廻る風は、キーナの傷口を一撫でして血を止め、二撫でしてその傷痕を消し去った。
「キーナっ! ごめんね、もう大丈夫だよ!」
「ん……」
頭を振り、身を起こす。
つつましやかな黒いワンピースは無残にも背中が裂けたままであったが、銀髪の男に切られた傷はすでにない。ただ白い背中が見えるだけだ。
「キーナぁ……」
それでも心配そうに見てくるミナミの頭を優しく一撫でし、キーナの瞳はマサアの姿を捕える。彼は件の男と切りあっている最中であり、他のギルドの面々はすでに全員が打ち倒されたあとだった。
先ほど彼女とミナミが唱えた術によって身動きが取れないままの十数名もそうだが、それ以外の地に伏せている者はほとんどマサアが倒したと言っていい。
相手や状況に応じて、ナイフで、或いは下位の術や体術を駆使して駆逐していったのだ。
ガンッ! と一際大きい音がしてミナミがびくりと背筋を正した。マサアの振り降ろしたナイフを、男がレイピアで防いだのだ。
片手でマサアのナイフを凌ぎながら、もう一方の手に握ったレイピアですかさず反撃を試みてくる。細く鋭い一撃をマサアも甘んじて受け入れることもなく、すぐに腰に差したままのナイフを引き抜いて受け止めた。
彼の腰にはぐるりとホルスターが巻かれており、幾本ものナイフがそこで出番を待っている。ほとんどのものは投擲用の、細く鋭いものであったが、中にはいま使用しているような、近接戦に向いた肉厚のナイフも用意してあるのだ。
二本のナイフと、二本のレイピア。
ギリギリと競り合う中、男が口を開く。
「なにをする、だと?」
「ぁあっ?!」
低く小さく呟く男の声が上手く聞き取れず、またキーナが襲われたこともあってマサアは苛立った声を上げる。
それでも男はなお淡々と言葉を紡ぐ。
「破壊の神を倒す、だと?」
「そうだよっ!」
「世迷い事を……何百、いや、何千年も出来なかったことを、なぜお前たちが出来ると」
「出来るかどーかは知らねーってば!」
「……なんだと?」
マサアの言葉に男の表情が歪んだ。眉根を寄せ、訝しむようにマサアを見返す。その視線を真っ直ぐに受け止め、マサアも同じように金色の瞳で男の顔を睨み返した。
「出来るかどーかは知らない! でもやんなきゃ、キーナとミカノがただ死んじゃうだけだ! だったらおれはやるよ!」
たった二人の女性の為に、世界を壊す破壊の神に挑む。
そのことが、男には理解出来ない。
「……」
マサアのことだけではない、ミナミのこともだ。
彼がギルドの依頼で受けたのは、“鳥籠から逃げ出した男三人と女二人を捕縛すること”である。
初めてミナミを見た時には僅かながら疑問を抱いていた。
手配書に描かれた似顔絵とも、そこに記された特徴とも合う部分がなく、なぜキーナたちと一緒に居るのかが分からなかった。
けれどもどうやら、“鳥籠”のことや“花嫁”のことも知っているようで、男の疑問はさらに深まったのだ。
キーナたちが逃げた為に世界が滅ぶかもしれない、というのに、なぜミナミはキーナたちの味方をするのだろうか。
改めてミナミを見れば、やはり男に敵意を剥き出しにしており、射抜くように睨みつけてきている。
ふと視線を逸らせば、彼女に支えられているキーナと目があった。
「――お願い、行かせて」
か細い声ではあったが、透明でよく響く音だった。
「死なせたくない人がいるの。どうしても、生きていてほしい人たちがいるの」
「……」
「お願い……」
祈るように乞うその表情は、酷く苦しそうだと男は思った。
華奢な体で、細い手足で、掠れた祈りの言葉を吐き出す少女。
「……」
脆く崩れてしまいそうなキーナの姿に、男の視線が釘付けになる。彼の手に握られていたレイピアはいつの間にか力なく下ろされ、相対していたマサアもナイフを下げて、じっと男を見つめていた。
「……お前は」
自分を見つめるキーナに対して男が口を開きかけたその時。
男の背後、遠くに見えるカレアナンの城が、突如爆発した。
『?!』
街の入り口からも見えた白く大きな城はいまや半壊し、もうもうと黒煙が立ち上っている。ガラガラと壁が崩れる音がキーナたちの元へも届いた。
「なっ……」
「えっ?! どうしてお城が……えぇっ?!」
驚きと困惑で声を上げるマサアとミナミを尻目に、白銀の男はすぅっと目を細めて身を翻した。
慌ててキーナが後を追うと、男は歩みをピタリと止めてわずかに顔を動かす。その表情は見えず、ただ銀色の髪が揺れただけである。
「済まない。こちらの連れが暴れているようだ。……まさか、目的を忘れたわけじゃないだろうな」
前半はキーナたちに、後半は自分自身に呟くように言葉を漏らす。連れというのはミカノが追いかけたというローブの男のことだろうとマサアは見当をつける。
白銀の男は再び歩を進めこの場を立ち去ろうとしたが、キーナの声がその背に投げかけられる。
「待って!」
「悪いがそれどころではない」
彼女の声にももう振り返らず、ただぽつりと男は言う。
「まだ名乗ってなかったな。シア・シュベルツ。それが俺の名だ」
『?!』
その言葉が聞こえたと同時に、白銀の男――シアは、文字通りに消えた。
彼が立っていた場所を目を見開いて凝視するマサアとミナミだが、そこにはもはや何もない。
「転移魔法……」
キーナの呟きに二人の視線が集まる。
転移魔法は時の精霊と光の精霊に干渉して発動する魔法であり、かなり高度な術の一つでもあった。なにしろ、一歩間違えれば転移対象が時の狭間から出てこられなくなるという危険性を孕んでいるのだから。
詠唱を破棄して発動させられるほどレベルの高い魔道士なのか、あらかじめ転移先に“出口”となる魔方陣を設定していたのか、それとも転移魔法を封じ込めた魔法の道具――マジック・アイテム――でも持っていたのか。
彼女たちには知るすべもなかった。
戦闘の爪痕が残る商店街の中、キーナたち三人はただそこに立ち尽くしていた……――