◆ 元“騎士”候補
どのくらい走ったのだろうか。
噴水広場から見えた城は高台に聳えており、たしかに距離はあると思ったけれど、こんなに時間がかかるとは思わなかった。
――それともオレが焦りすぎてるだけ……だろうなぁ
自分の考えに苦笑し、ふとその表情が急に引き締まる。耳を掠める風に乗って、聞き慣れた声がタヤクに届いたのだ。
甲高いその声は、道の終わりである城の真正面から響いていた。聞こえる声は二人分。うちの一人は聞いたことのない男性のものであった。
「……」
走る足を少しずつ緩め、徐々に身を低くして近付いていく。城の門前は手入れが行き届いており、タヤクが走ってきた白亜の道から続く赤煉瓦の壁は、そのまま堅強な城壁へと続き、城を囲うように左右に広がっていく。
城壁に沿うように植えられていたのが、この国に辿り着く前に見たカサナギの木々であった。
城の門へ続く道も、白い玉砂利から白御影石へと変わり、陽の光を照り返している。その道の両側はちょっとした庭のようで、柔らかな草の絨毯が広がっており、色とりどりの花が咲いた花壇も見て取れた。
「……」
やがてタヤクが視界に捉えたのは、御影石の道を挟んで向かい合って立つ二人分の人影であった。
城を正面に、タヤクから見て右にミカノ、左に見知らぬ男。
二人は何事かを言い争うように大口を開けていたが、戦闘の兆しは見えず、しばらく様子を伺おうと決めたタヤクは近くにあった木の陰に身を潜めた。
「……」
そっと顔を覗かせて二人を見つめる。
男は遠目に見ても分かるほど、整った、けれどもどこか愛嬌のある顔立ちをしていた。
アーモンドのような色の髪はざんばらに切られ、クセ毛なのかあちこち跳ねている。タンクトップから覗く腕はタヤクよりも細かったが、しっかりと筋肉が付いているのが分かる。背の高さに比べてひょろりとした体だったが、手足は常人よりも些か長いのが異様な姿だった。
「……」
息を潜めて耳を澄ます。
そうしているうちに、段々と二人のやり取りの詳細が聞こえるようになった。
「――だーから、なんであんたに“鳥籠”に帰れとか言われなきゃなんないのよっ」
「しょうがねぇだろ、こっちだってそう言われたから行動してんだし」
「うっわ、自分の意思も持てないで行動してんの? 低能」
「あのなぁ、依頼だよ、い・ら・い! ギルドに入ってるって言っただろうが! 依頼受けて行動するのは普通だろっ」
「ふーん。誰からの?」
「それは……って、言えるかっての!」
「……っ」
思わず脱力する。
内容はともかくとして、幼児に勝るとも劣らない言い合いのレベルに呆れたのだ。
その最中に城の中からも幾人か兵士が現れたのだが、彼らを全く無視して言い合っている二人に戸惑っているようで、兵士同士で顔を見合わせている有様である。
或いは、タヤクと同じように呆れているだけかもしれない。
――できればオレも近寄りたくないが……
はぁ、と深い溜息を吐き出して、身を隠していた木から姿を現す。兵士たちからタヤクの姿は丸見えになるが、誰もがミカノと見ず知らずの男に注目していた。
先に気付いたのはひょろ長い男だった。
赤茶色をしたやや垂れ気味の瞳がミカノから外され、代わりに近付いてくるタヤクをその視界に捕える。ぽかんと開いた口から出たのは、男性にしてはいささか高い声であった。
「あ? あんたはたしか……」
「へ? タヤ」
っぱぁぁぁぁっん!!
「ったぁっ?!」
皆まで言わす前にミカノの頭をひっぱたく。予想以上にいい音がして、ミカノの瞳には薄く涙が滲んだ。
見知らぬ男は驚きタヤクをまじまじと見つめるが、叩いた本人は素知らぬ顔で振り下ろした手を振っている。
そんな彼の様子にも腹が立ったのだろう、じんじんと痛む頭に手を当てたまま、楕円の瞳をさらにキツく吊り上げたミカノが怒鳴りつける。
「いきなりなにするかなぁっ、あんたは!」
「うるっさい。こっちは散々お前を探してたんだから一発くらい叩かせろ」
「いやいや、理屈になってませんよタヤクさ~ん?」
「お前に理屈はいらない」
「ひっど!!」
次々と言葉をぶつけてくる彼女に若干辟易しながら目を逸らすと、にやにやと愉快そうに眺めてくる男と視線がかち合った。
このままミカノと言い合っていても埒が明かないし、ケイヤのいる鍛冶場にさっさと移動したいのがタヤクの本音である。
適当にミカノをあしらったタヤクは、男に向き直って話を切り出した。
「で、あんたも“鳥籠”関係者なのか?」
「ん? あぁ、そうかな。関係者だ」
にやにやと、男の笑いは止まらない。
さきほど男自身がミカノに言っていた通りだろう。“鳥籠”の“飼育者”と呼ばれる者たちが、ギルドにタヤクら五人の捕獲を依頼したに違いない。
――“鳥籠”にいなかったミナミのことは……だめか、こいつが見てるんだもんな
ミナミに刃物を当てたのが目の前の男だったことを思い出し、ため息を吐く。
最悪の場合、彼女だけはどうにか逃がそうと考えていたのだが、顔を覚えられてしまっているだろうし、恐らくギルドにも連絡がいってしまってるのだろうと考える。
男をじっと見据えながら考えるタヤクに対して、ミカノはつまらなそうに手にした槍で御影石の道をがつがつ突いている。タヤクが割って入ったことにより、彼女の男への興味が薄らいでいるのだ。
そんな二人の様を、男は笑みを崩さないままに眺めながら言う。
「関係者っつーか、当事者で被害者だな」
「?」
眉根を潜めて沈黙で返すタヤクに、男が三度、口を開く。
「オレも“鳥籠”の元住人で、“騎士”候補の一人だった」
「なっ……」
それは、タヤクにとっては想定外の驚愕であった。
この国が“鳥籠”に関わっているのは想像出来ていたが、自分たち以外に“騎士”の候補がいたなど、聞いたこともなかった。
かつてタヤク達がいた“鳥籠”には、彼ら以外に“騎士”も“花嫁”もいなかったのだ。自分たちの他にいたのは“鳥籠の飼育者”であり、“教育者”たちだけであった。
呆然と目を見開くタヤクの様子に、男はさらに笑みを深める。暗い色を湛えた赤茶の目は、濁った水のように薄暗く、底が見えない。
「知らなかったか? まぁ、アンタらがいた“鳥籠”はどうやら少人数制だったみたいだしな。少数精鋭育成所ってか?」
くひっ、と奇妙な笑い声が口の端から漏れる。
男の背はマサアよりも少し低いくらいだったが、それでもタヤクとの身長差は十センチ程あり、男に見下されている気分になった。
その長い腕が開かれると、余計に威圧感が増す。
「“鳥籠”は世界中にある。あんたたちだけじゃなくて、世界中に数十人の“花嫁”と“騎士”が存在していた。オレもそのうちの一人だった、ってワケだ」
「そんな……いや、っていうか……」
男の言葉を頭の中で整理する。タヤクの隣ではミカノが暇そうに自身の枝毛をいじっていて、また頭をひっぱたいてやろうかと思ったが、自重する。
しかし。
――世界中に“鳥籠”が?
――いや、それよりも……
訝しげに目の前の男に視線を戻せば、彼は「ん?」と口の端を釣り上げて首を傾げてくる。城から現れた兵士たちがいつの間にか三人を囲んでいたが、いまだ手を出すことが出来ないでいた。
「あぁ、気になることがあるってか? 分かる、分かるよその気持ちぃ」
タヤクの視線をどう解釈したのかは分からないが、男は腕を組み、一人うんうんと頷いて見せる。それにタヤクが何かを返す前に、彼は勝手に話し始めたのだった。
「まずは一つ目。オレがなんで“過去形”で話したかってことだ。“花嫁”たちが“いた”、オレも“騎士”の一人“だった”」
「……」
「これは何のことはない、他の“花嫁”たちが必要なくなったからだ」
男の言葉にタヤクの眉が顰められる。
“破壊神”の封印は未だに不安定な状態であり、その封印を立て直す為には“花嫁”という人柱が必要で、その為に自分たちは追われていて……そこで、タヤクの表情がはっと強張った。
「――ミカノとキーナが、正式に“花嫁”に決まったってことか?」
「そゆことだ」
初めて男の笑みに寒気を覚える。
「“鳥籠”は世界中、どこの国にもある施設だ。三柱物語、あるだろ? どこの国でもおんなじ話が伝わってるんだと。で、世界中のお偉いさんは考えました」
“私の国が世界を救ったら、世界中を支配できるのでは?”
“主導権を握れるのではなかろうか?”
「だから“鳥籠”が出来上がりましたとさー」
ぱちぱちぱち。
軽口のような声と共に、一人分の乾いた拍手が響く。
「あそこでやってた検査だとか何だとかは、どこの“花嫁”がいかに優れているのかをチェックする為のものだったワケだ。“飼育者”たちがそのデータを持って集まって、より優れた“花嫁”と“騎士”を選別する」
「……」
沈黙するタヤクに構わず、男は未だ枝毛探しに没頭するミカノを指さし、
「それでそこの嬢ちゃんと、もう一人の嬢ちゃんが選ばれたってワケだ」
「……」
「お前らが正式な“騎士”に決まったから俺みたいな“騎士候補”はお役御免になって晴れて自由の身になった、ってことだな」
それがお前の二つ目の疑問だろ? と男は笑う。
たしかに、“騎士”候補だったという男が何故こんなにも自由に、ギルドにまで所属しているのか気になっていたが、それについてはタヤク自身が話を聞いている間に、薄々勘付いてはいた。
――オレたちがあそこを逃げ出す間際にでも決まったことなんだろう
――だからこそ、“鳥籠”に関係する奴らがオレたちを追っかけてくるわけだ
今までは自分たち以外に“花嫁”や“騎士が”いるとは思わず、唯一の存在だと思っていた。故に“鳥籠”が自分たちを探しているのだと思ったのだ。
けれども実際は違う。
ミカノやキーナが正式な“花嫁”だとして選ばれていたということ。
他のどの“花嫁”よりも優れた人柱になるということ。
「寄せ集めの、それこそ比べあっても大差ない“花嫁”を使ったってロクな封印は出来ないだろうよ」
男は笑う。にやにやと、粘っこく、陰鬱に。
「――だけどな、お前らは違った」
一際低く、腹に響く声に、タヤクが一歩下がる。
ミカノが顔を上げ、緑の瞳に男を映す。
「他の“花嫁”なんて足元にも及ばないほどの力がお前らにはある。それこそ女神の依代に最適な……圧倒的、って称してもいいって言われたんだぜ?」
「……」
「な、理解できたか? “鳥籠”だけじゃない、ギルドも国も、お前たちを掴まえるために全力を出すんだ。逃げられるわけないだろ?」
男の言葉に思わずタヤクは歯噛みする。たしかに、自分たちの方が圧倒的に不利な立場であろうことは彼も分かっていた。それでもあの場所を逃げ出し、どうにか出来ると信じていた。
しかし、いざ口に出して面と向かって言われると、その重みが改めて分かる。
たったの六人ぽっちで、いったい何をどこまで出来るのか。
「分かったら早いとこ“鳥籠”へ帰ろうぜ?」
男は「なぁなぁ」とタヤクとミカノを促すが、彼女は何も反応しない。タヤクが横目でちらりと様子を伺ってみるも、ミカノの表情には何の変化も見つけられなかった。
紅くてきれいなポニーテールは風にたなびき、緑の瞳は真っ直ぐに男を見据えている。見慣れた、凛とした立ち姿だった。
「ミカ……」
思わず呼んだその名も言い終わらぬうちに、彼女はふとタヤクに向かって微笑んで見せ、そして相対する男を睨みつけた。
「帰らない、って言ってんでしょ」
「おーい、オレの話聞いてた? みんな死んじゃうんだぜ? オレもまだ死にたくないしさ」
「あんたの命とか、他の人の命なんて知ったこっちゃないね」
きっぱり。いっそ清々しいほどに彼女は言い切る。
「見たこともない他人のために命を賭けろって? 誰がやるか。あんた、あたしとかこの国のヤツとか、見たことない輩の為に死ね、って言われて死ねる? 」
あまりにもはっきり言葉にするミカノに目の前の男は呆気にとられるが、反対にタヤクはふと口元を緩めた。
ミカノはこういう奴なんだよな、という安堵を覚えたのだ。
彼女は変わらない。真っ直ぐすぎて、それが時に羨ましくもあって。
「あんたを雇ったのが誰だかは知らないけどさっさと帰って伝えなー」
ミカノの周りに風が集まる。最初はそよ風程度だったのだが、いまでは周囲の木の枝がしなるほどの強風になりつつあった。
石畳を掻いていた槍を構え、不敵に笑う。
「っ!?」
思わず息を呑み、すぐさまミカノの後ろへと逃げるように張り付く。
風はいよいよその姿をはっきり現して、ごうごうと唸りを上げる巨大な竜巻へと変貌した。
それは彼女と一番相性の良い、炎属性の威力を上げる常套手段で。
「あたしらは誰も“籠の鳥”になんかならないよ、って!!」
言葉と同時に振り下ろした槍を伝い、炎が吹き荒れる。炎は先ほどから舞い上がっていた風に飲まれ、炎の竜巻が熱風の渦を巻いて男のいるほうへ勢いよく飛んで行った。
わぁわぁと無様に逃げ惑う兵士たちとは違い、男は微動だにせずその場に立ったままで、その脇を掠めるように炎の竜巻が過ぎ去っていく。彼の髪をわずかに焦がし、ミカノの放ったそれは城の一部を吹き飛ばした。
「うおぉぉぉ……っ」
すさまじい音をたてて崩れていく城の一部と、巻き上がる黒い煙。そのただ中にあっても、男のにやにやした笑いは変わらなかった。
轟音の最中、やや声を張り上げて男は言う。
「すごいな、これが生命の女神の力か」
「そんな力、持ったつもりはなかったけど?」
「仕方ないだろ? “花嫁”は見立てなんだからよ」
その場を慌ただしく逃げだす騎士たちを尻目に、三人は変わらず対峙し続ける。落ちる瓦礫の風圧によって黒煙が視界を邪魔するが、ミカノはそれを槍の一振りで消し去った。恐らく風系列の術でも使ったのだろうとタヤクは推測する。
「お前が生命の女神で、もう一人の女が知恵の女神のポジションだったはずだ」
「おとぎ話には一人足りないわね」
ふっと鼻で笑うミカノだったが、その眼は艶を失くしたまま、目の前の男を睨みつける。爆風に結わえた髪を煽られながら、男はその瞳を閉じて静かに続ける。
城の崩れ落ちる音も、炎の熱風も、兵士たちの叫び声や鎧の擦れる音さえも、ミカノたち三人の耳には入ってこない。
お互いの声だけしか、聞こえない。
「“鳥籠”にいたときから言われてただろ? “つがいになるには一羽足りない”って」
“花嫁”と“騎士”は二人で一対の存在。
たしかにそう“教育者”に教わっていたことをタヤクは思い出す。
“鳥籠”で飼われていたのはキーナとミカノ。そのつがいにケイヤと、マサアと、タヤク。
――誰のための一羽が足りない?
「だけど、お前たちは見つけた。もう一羽を」
長い腕の長い指が、ある方向を指した。
それはつい数刻前までミカノもいた、男と初めて対峙した場所で。
「いただろ、さっき。ピンク色したちっちぇガキ」
男の顔から、あの厭らしい笑いが消えた。
「オメデトウ。三対の鳥の出来上がりだ」
男の言葉にタヤクが舌打ちをし、ミカノの目がすぅと細められる。三者の視線が絡み合い、お互いを見透かすように溶けていく。
そうして無言のまま緊張がピークに達した、その時。
「――何をしているんだ、お前は」
男のすぐ隣に複雑な文様を描いた魔方陣が浮かび上がり、そこからまた別の男が現れた。