◆ 世界を敵に回した日
「すごいな、おい」
鍛冶場に着いて真っ先に口をついたのは、途方もない賞賛と呆れだった。
声でタヤクだと気付いたのであろう、ケイヤは「なにが?」という風に首を傾げてそちらに視線をやる。彼の目の前には、数十人の人が重なった山が出来ていた。
小首を傾げるケイヤとその後ろの光景が非常に不釣り合いで、思わず苦笑する。積まれた人のほとんどが軽装で、恐らくギルドの人間だろうとタヤクは見当をつけた。
誰もが傷を負っていながらも、死者はいないようだ。
ひょいっ、と近寄ったミカノが一人の頬を突つけば、呻き声が聞こえてくる。
「誰、こいつら」
「ギルドの登録者らしい。襲われたから叩き伏せた」
手に持った長剣に付着している血を白い布で拭う。この鍛冶場で研いでもらったばかりであろうそれは、すでに血脂でてらてらと光っていた。
鍛冶場も噴水広場のように人の姿が見えず疑問に思ったタヤクであったが、ここにいた者たちがギルドに所属していたとは、露とも思わなかった。
何事もなかったようにケイヤは右手に持ったままの鞘に剣を収め、「マサア達は」と問いかけてきたので、ミカノ達が商店街で襲われたことからつい先ほどのハイネたちのことまで、タヤクが順番に説明をした。ミナミとマサアと二手に分かれたことも同時に話す。
“鳥籠”が世界中にあることやミカノが別の“鳥籠”に居たことなどは、彼女自身が語って見せた。おおよそ先にタヤクが聞いていた通りのままであり、すらすらと話は進んでいく。
「……」
その間ケイヤはまんじりともせず、黙って二人の話を聞いていた。時折目を瞑っていたのはなにか思うところでもあったのか。
一息に話してしまったが大丈夫だろうか、とケイヤの様子を伺うと、彼にとっては何ら問題もなかったらしく、
「そうか」
と言ってあっさり会話を断ち切る。持っていた剣はいつの間にか“次元”へとしまわれたようだ。
「そうか、って……」
「新しい話が聞けたのは良かった。道中、邪魔が入ることも事前に分かっていれば対処できることもあるだろう」
淡々と答えるケイヤの姿はいつも通りで、二人の話に驚いた様子など微塵もない。
――ミカノの話に狼狽えたオレって、まだまだなのかな……
内心で苦笑し鼻の頭を掻く。
そうこうしているうちに、聞きなれた賑やかしい声が耳に飛び込んできた。
「あー! みんないるよっ!!」
「あら、ほんと」
「おーい! ケイヤ、大丈夫かー?!」
とんとん、と屋根伝いに走り飛んでくるマサアと、浮遊の魔法を使って移動するミナミとキーナ。
若干服が汚れていたりするものの、普段とあまり変わりない三人の姿を見るなり安堵のため息が漏れたタヤクだった。数刻前に別れたばかりだというのに何週間も会っていないような気持ちである。
すっ、とその足が地面に降り立つと、真っ先に駆けてきたのはミナミだった。そのあとをキーナが、最後にマサアがゆっくりとした足取りで近付いてくる。
「おー、タヤクもミカノも無事だったかぁ」
「あったりまえでしょ!」
「まぁ、なんとかな」
お互いに声を掛け合って傷の様子を見ていたが、大したことはない。キーナが襲われているとミナミが言っていたが、それも大丈夫だったようだとまた人心地着く。
そんな中で「そう言えば!」とミナミが妙に明るい口調で話を切り出した。その声音に他の五人は訝しげに顔を見合わせて、ついで視線でミナミに続きを促す。
「あのねっ、今日、かっこいい人に会ったんだよ! ケイヤと同じくらいに美人だった!!」
“美人”という単語に顔をしかめるケイヤ。
たしかに彼の場合、白い肌に夜のような漆黒の髪が落ち着いた美しさを作り出している。鼻筋もすっ、と通っていて、長い睫は頬に微妙な陰影を作り出し、体の作りも雰囲気も華奢と言わざるを得ないほどに細く繊細である。
それは男にしておくのは勿体ないほどの“綺麗さ”であった。
しかし言われた本人としてはそんなものちっとも喜ばしくはなく、彼にしては珍しく嫌悪で眉間にしわを刻んでいたが、そんな彼の様子など構わず、ミナミはツインテールをゆらゆら揺らしながら興奮気味に続けた。
「あのね、銀色の髪の毛の人で、すごくかっこよくて、ひゅって消えちゃったの!!」
「ミナミ、それだと分からないと思うわ」
「……想像も出来ん」
キーナの突っ込みとケイヤの憮然とした言葉にむぅと頬を膨らませるミナミだったが、銀髪の男、というのに心当たりのあるタヤクとミカノは、互いに顔を見合わせた。
「もしかして……シア、とか言う男じゃないか?」
「そう、その人っ! なんでタヤクが知ってるの?!」
「やっぱりか。ミカノも知ってるよ。城のほうに転移してきた」
そして、先ほどケイヤにした説明と同じことを、三人に繰り返し話した。ついでにミカノが同じく“別の鳥籠”の話をすれば、さらに場は騒々しくなる。
「やっぱりあの爆発はミカノちゃんだったのね」
「やっぱりってなにさーっ!! ていうか、食いつく場所違うよねっ?!」
「シアさんって“騎士”の人だったんだねー」
「そうね」
「うわーん、最近キーナちゃんが冷たいー!!」
さらりとミカノのハイテンションを流すキーナの腕に思わず感心するマサアと、その隣で苦笑するタヤク。
――女三人寄ればかしましい……ってやつか
目の前に広がる平穏な光景に、思わず頬が緩む。同時に、やっぱり死なせたくないな、と強く思う。
――本当の本当に、寿命が尽きるその時まで、全員がそろって笑っていられればいい
――そのためなら、なんだってやろう
決意も新たに「よしっ」と小さく声に出して頷く。それに気が付いたミカノが彼に視線を寄越し、それは他の面々にも伝わって、やがて全員の視線が交わった。
「これからどうしようか」
まるで「ちょっと散歩に出かけようか」とでもいうような穏やかさでミカノが問いを投げる。それを拾ったのはケイヤだった。
「……先程の奴らのような者たちは、これから先も出てくるだろう。そういった手合いを捌きながらの道行だから、当然とんとんとは進まんだろうな」
「ギルドや国が敵に回るということですものね……」
ケイヤの言葉を受けて憂鬱そうに顔を伏せたのは、キーナだった。
今回のような襲撃であれば躱すことは難しくない。世界中に“鳥籠”があるということは先ほどミカノから聞いたばかりだが、恐らく国ごとに“鳥籠”を管理しているのだろうとケイヤは思う。
それ故、国王の配下にある騎士たちからの攻撃は、恐らく国さえ出てしまえばないだろうと考えられる。
けれどもギルドには国など関係ない。報酬さえあれば、どの国の誰がどんな依頼を出したとしても受けるのがギルドなのだから。
不安に揺れる瞳でキーナが地面を睨みつけていると、
「――なぁ」
と、マサアが口を開いた。
「あいつらはさ、オレらが破壊神の元へ向かうって言っても邪魔をすんのかな?」
マサアが呟いた疑問にミナミが「あ」と声を漏らす。脳裏にまざまざと浮かんだのは、先ほどシアと対峙した際の光景であった。
『破壊の神様が悪いなら、破壊の神様をみんなで倒しちゃえばいいだけじゃない!』
それは、彼女がシアに投げつけた言葉である。
たしかに彼らの目的が“花嫁”を利用した破壊神の封印ならば、その破壊神を打ち倒そうとするタヤク達の目的は、むしろ協力した方がいいのでは、と思わせる。いつ綻びるか分からない封印よりも、消滅させて得られる永遠の平和を手にした方が良いのではなかろうか、と。
しかし、
「そりゃ邪魔してくるでしょうよ。ねぇ、キーナちゃん?」
ミカノはあっさりとマサアの問いに頷いた。次いで、キーナも彼女の言葉に頷きつつ「そうね」と答える。
「“鳥籠”から破壊神が眠る祠へ行く際に、“花嫁”は封印を施されるそうなの。そうして、水晶柱に封印した“花嫁”を無事に神殿まで運ぶのが“騎士”の務め」
「そうなの?」
驚いて問い返すミナミに優しく頷き返す。傍で話を聞いていたタヤクも、気が付けば「へぇ」と声を上げていた。思えば“騎士”のやることを初めて聞いた気がする。
“鳥籠”でもあまり教育をされた覚えがないのはケイヤもマサアも同じだったようで、タヤクと同じように不思議そうに聞いていた。
長い年月が経過するうちに、“騎士”の存在は“花嫁”よりも希薄な扱いになっていったのだろう、とタヤクは考える。
「封印を施された“花嫁”は当然身動きが取れないし、そこを狙って破壊神の眷属である魔物が襲ってくるそうなの」
「当然だろうな。自分を封印するための人間が運び込まれるのを、みすみす見逃すわけがない」
「えぇ、ケイヤの言う通りよ。だからこそ、道中の魔物に負けない屈強な肉体を作ることが“鳥籠”での“騎士”に対する教育だったのでしょうね」
「ふぅん。だったら祠で封印を施せばいいのにね」
ミナミの言葉にマサアもうんうんと同意を示す。
無論、そのほうが道中の移動は楽だと思われるが、魔物を切った返り血や体液で“花嫁”が穢されたり、最悪の場合殺される恐れがあったりする為、事前に“封印”を施す運びとなったらしい。
そう説明すれば、再びミナミとマサアは「ほぉほぉ」などと言いながら大きく頷くのであった。
一通りキーナの話が終わったのを見計らって、今度はミカノが口を開く。
「んで! 破壊神を“封印”させるのがあいつらの目的で、あたしらは“消滅”させるのが目的なワケ。封印はいつ解けるか分かんないけど、それでも数百年とかは平和でいられるわ。けど、消滅させることを選択した場合、失敗したら破壊神の封印は完全に解き放たれて、世界滅亡ってなわけよ」
「……そっか」
後の世の不安よりも、今この時の平穏を望むことは決して悪いことではない、とタヤクも分かってはいる。
自分もきっと、一時の平穏が確実に手に入る封印の道を選んでいたであろう。
ミカノたちが犠牲にならなければ。
「――だからこそ、こんなところに留まっていないで先を急ぐぞ」
スパッ、と流れを切ったのはケイヤだった。ここで話している時間ですら勿体ない、とばかりに足を進める。慌てて、五人もその後を追った。
「ちょっとケイヤ! あんたね、人の話を中断させんじゃないわよっ」
「聞くが、あそこで話していてなんらかの進展はあるのか」
「うー……とりあえず、情報の共有?」
「それなら歩きながらでもいい。……見ろ。長々と喋っていたから追いつかれた」
言われてミカノが後ろを振り返り「げっ」と短い声を上げて一目散に走りだす。その様子に他の面々も顔を見合わせ振り返り、王家の紋章を胸に刻んだ『ウィルヘイム』の集団がその視界に映った。
「うそっ! まだ追ってくるのー?!」
悲鳴のような声で叫ぶミナミをひょいと小脇に抱え、マサアが「にっげろーっ!」と大声を上げる。
その声に反応した騎士たちが一際大きく鎧を鳴らして駆けて来るが、軽装で身軽な六人の足のほうが速いのは道理であった。
どんどんとその間隔は広がっていき、適当に距離を空けたところでタヤクが問う。
「っと、とりあえず次はどこへ行くんだ?!」
「それこそ走りながら考える」
返ってきたのはケイヤの淡々とした言葉だったが、焦ることも憤ることもなく、逆により冷静になることが出来た。
六人分の靴音が石畳に響く。
逃げているはずなのに、それでも口元が緩んでしまうのはなぜだろうか。
世界中を敵に回した日。
――あぁ、でも
「ほらー! タヤクーっ! 走れーっ!!」
名前を呼ばれるこの世界の、なんて愛しいこと。
この日常が守れるのなら、それでも構わないと心底から思った。
紅い髪が目の前を走りゆく、この日常を。