◆ 分断
王都カレアナンから逃げ出したのはいつだったか。
ケイヤとミカノは現在、道に迷っていた。
カレアナンから北東に位置する港街から別大陸に移動しようとした六人だったが、ギルドに狙われていることもあり、徒歩での旅に切り替えた。日数はかかるが、船上で立ち回りなどになったら目も当てられない。
幸い、今まで旅をしてきたこのローア大陸と、目的地のレズウェル大陸とは陸続きになっていて、時間はかかれど歩いて渡ることが出来る。
しかし、長年陸路として使用されなかったのにはそれなりの理由があり……
「だーっ! なんっなのよ、この森はぁぁぁっ!!」
ミカノの絶叫が響き渡る。
すでに二日ほど歩き回っているので、ケイヤにもその気持ちが分からなくはなかった。
◆ ◆ ◆
大陸と大陸とを繋ぐ道は、“迷いの森”の傍にあった。
“片側はいつ崩れるかという断崖絶壁、もう片側はいつ果てるとも知れぬ迷いの森”
そういう話を街道で出会った行商人から聞いていたので、ミナミなどは怖がってしまい、マサアの手を握ったまま離さなくなっていた。
「いやいや、これはたしかにねぇ……」
実際にその場所へ辿りついてのミカノの第一声に、斜め後ろを歩くタヤクの頬も引きつる。
確かに今まで歩いてきた街道よりも道幅はやや狭く、森と崖との間は足の長いマサアで六歩も歩けば、といった状態だ。
森の方も、廃屋があった場所よりも木の背は低く太陽の光は差し込んでいるようだったが、迂闊に入り込めば迷うのは目に見えるほどの深さはある。
それらを確認したのち顔を見合わせた六人であったが、すぐにタヤクが口を開く。
「まぁでも、行かないわけにはいかないしな」
「そーね。うだうだ言っても仕方ないかっ」
「うぅ……、まだ怖いんだけどなぁ……」
よしっ、と気合を入れるミカノとは対照的に、ミナミはより一層マサアの手を強く握りしめる。もはやその恰好は腕にしがみついている、と言っても過言ではない。
一方で蒼褪めた顔をしているのはキーナである。彼女は高所恐怖症であり、崖に近寄るなど考えただけでも卒倒しそうであった。飛翔の術ですいすい飛んでいるキーナの姿を見るたび、タヤクは首を傾げたくなる。
キーナのことを良く知っているケイヤは、彼女が森側を歩くようにさりげなく気遣っていた。細い道では並ぶことは叶わないが、僅かに崖側へ体を置いてキーナの足取りを森側へ向けたのだ。
初めのうちは順調であった。
最初こそ一列縦隊で歩いていた六人だったが、徐々に道幅が広がってきて、三人程ならば並んで歩くこともできた。びくびくと歩いていたミナミもやがてマサアから離れて周りを見る余裕ができたようで、飛び交う蝶や鳥を珍しげに見ている。
「おー……ここもなんというか……」
ミナミが離れたのをきっかけに先行していたマサアの、やや茫然とした声が聞こえる。見れば、わざわざ崖下を覗き込んでいる姿がケイヤの目に飛び込んだ。
――高所恐怖症のキーナには絶対に真似できない芸当だな
幼馴染の奇行に溜息をつきながらも、そのすぐ傍に立ち同じように覗き込む。それは確かに、言葉を失くすほどに圧巻の光景であった。
そこには幾つもの滝が存在していた。
崖の下は海である。通常ならば滝など存在しないのだが、底になんらかの起伏でもあるのだろうか、大小さまざまな滝は長さを変え高さを変え、ごうごうという音と共に落ちている。飛び散る飛沫は幾重にも重なる虹を作り上げ、きらきらと陽の光に輝いていた。
崖の側面には幾種もの蘚苔類がびっしりと生えており、巻き上がる飛沫に晒されて濡れそぼっている。その様もまた色鮮やかな緑が映え、自然界の様々な色が織りなす光景に後から追いついたタヤク、ミカノの眼も奪われた。
――ミナミの悲鳴が聞こえるまでは。
「きゃあぁぁっ!!」
「ミナミ?!」
キーナの声に視線を彷徨わせれば、崖下を覗き込んでいたケイヤ達から数歩離れた場所に立ち尽くす彼女の姿があった。しかし、その傍にミナミはいない。
慌てて駆け寄るミカノとタヤクに次いで、ケイヤとマサアもすぐに後を追う。キーナの視線の先を見ると、僅かに道の縁が欠けている場所があった。
「ミナミっ!」
少女の名を呼びながらマサアが下を覗き込む。キーナによると、どうやらミナミがいた場所は地盤が脆かったようで、彼女の足元がごっそりと欠け落ちたらしい。
目の前でミナミの姿が掻き消えたためか、普段は落ち着いているキーナも、いまは震える両手を胸の前でぎゅっと握りしめていた。
「キーナちゃん」
「ミナミ……ミナミが……」
「だいじょーぶ」
目を見開いてか細い声を上げるキーナを、ミカノが優しく抱きしめてやる。それは何の根拠もない言葉であったが、彼女の言葉にはなにか強い力が働いているような、不思議な温かさがキーナには感じられた。
崖の下は海である。しかも多くの滝が流れを乱している為、呑まれてしまえばひとたまりもないだろう。
内心のやきもきをおくびにも出さず、ミカノはひたすらミナミの無事を願い、キーナの傍にいてやる。
「マサア、ミナミは?」
「――いたっ!」
じっとキーナの様子を伺っていたケイヤだったが、ふいと視線を逸らしてマサアに声をかけると、朗報が返ってきた。彼の隣では同じく下を伺っていたタヤクもミナミの姿を確認できたようで、ほっと一息ついて座り込んでいる。
マサアの言葉にキーナも弾かれたように顔を上げ、「ほらねっ!」とミカノが満面の笑みでその背中を叩いたのだった。
ケイヤ達がいる街道から十メートル近く落ちたところにミナミがいた。崖にいくつもできている皿の部分に落ちたようだ。座り込んだ状態で五人を見上げて片手を振る。
「平気か?!」
「大丈夫よー!」
タヤクの呼び声に大きな声で応える。その様子に胸を撫で下ろした一行であったが、ミナミはその場を動かない。心配したマサアが怪我でもしたのかと問いかけると、「あのね、ここ、穴があいてるの!」という、少し弾んだ声が聞こえたのであった。
「なんだって?」
「だーかーらーっ! 穴よっ、あーなーっ! 洞窟みたいな、道があるの!」
思わず問い返したタヤクに対して、少し怒ったように、しかしはっきりと大声でミナミが応える。その声は離れた場所に立っていたミカノとキーナにも微かに届き、思わず顔を見合わせた。
「洞窟? なんでそんなところに?」
「さぁ……ただ崩れて開いた穴ぼこ、とか?」
「こんな崖の側面にか?」
「う」
首を傾げて考えるケイヤにマサアが答え、タヤクが突っ込む。思わず呻くマサアだったが、三人の様子を見守っていたミカノとキーナもさっぱり見当がつかない。
そうこうしていると、
「ねぇ、行ってみてもいいかな?」
という、好奇心に目を輝かせたミナミの声が聞こえた。
その言葉にマサアとタヤクは焦ったように声を上ずらせて彼女を止めようとしていたが、ケイヤは一人沈黙したまま、じっとミナミを見つめていた。
「……」
ケイヤは森の屋敷に居た時にキーナから聞いた言葉を思い出していた。
曰く、かの破壊神が封じられている祠に入る為には、三柱の持っていた法具を探さなければならない、と。
旅の道すがら様々な話をキーナから聞いていた。それはケイヤ以外の四人も一緒に聞いていたし、改めて考えなければいけないことでもあった。
そもそもこの旅は破壊神の消滅が目的であり、それを達成するためには女神たちが身に付けていた法具が必要なのだ。
では、その法具というのは一体どこにあるのか。
それは『分からない』というのが答えであった。
“飼育者”がそれらを管理しているらしく、“花嫁”はその在り処を教えられることはなかったのだ。“騎士”であるケイヤら男性陣も同じである。
手がかりも何も全くない六人は、とにかく手当たり次第の洞窟や遺跡を回って歩くことに決めていた。三柱を祀る神殿や彼女たちに纏わる伝説などはあちらこちらの地方にあり、そういった場所に法具が奉納されているかも知れない、と考えたのだ。
伝説や口伝というものも、存外バカにできないのである。
――ミナミが落ちた場所にあるという洞窟も、もしかしたら地上のどこかと繋がっているかもしれない
そして、その出た場所から繋がるどこかにこそ“法具”があるかもしれないのだ。なにもこんなところに、と否定するのは簡単だが、今調べずにあとでまた確認しに来るとなると、時間と労力が惜しい。
そう思ったケイヤは、すぐさま今考えたこと全てをミカノらに話す。すると他の面々も彼の考えに賛同し、頷き合って肯定を示した。
「でも、ミナミ一人に行かせるわけにはいかないわ」
「じゃあ、オレが下りるよ」
キーナの言葉にすっ、と手を上げたのはタヤクだった。
「全員で行くにはちと不安だろ?」
「え?! だったらおれが行くよ!」
「お前が行ってミナミと二人で行方不明になるのはシャレにならないぞ」
言われたマサアはうー、などと唸っているが、ケイヤたちも、タヤクと同じ意見だった。マサアとミナミが一緒に行動するのは、三歳児を野放しにするようなものなのだ。
「わかった。俺たちはここに」
「いや、先に進んでくれ」
「いいの? どこに繋がっているかも分らないのに……」
不安そうに小首を傾げるキーナに、タヤクはその柔らかな空色の瞳を細めてにっこり笑ってみせた。
「あぁ、ミナミの言うことを信じれば洞窟みたいなとこなんだろ? 穴が開いてる位置から見て、通路は森を突っ切るように伸びているようだし。もしかしたらあっちの大陸に繋がってるかも知れない」
じゃあ、向こうで。
そう言って、彼はすぐにひらりと崖下へ飛び降りた。軽い身のこなしで皿の上へ着地し、慌てて横に避けて落ちそうになったミナミを片手で支えてやる。
そのまま一言二言交わすと、一度崖上の四人を見上げて手を振った後、二人は横穴の中へと消えていった。
「――さて。どうするよ? 行く? それとも待つ?」
タヤクとミナミを見送ってすぐ、ミカノが三人に問う。
「タヤクはあぁ言ってたけど、実はすぐ行き止まりでしたー、なんてオチかもしれないし」
「だよなぁ。うー……ミナミが心配だし」
マサアの頭にはミナミのことしかない。
タヤクのことを心配していないわけではないが、彼はマサアの知る限り最高の体術使いである。よほどのことでもない限り死にはしないだろう、と常々思っているのだ。
一方でミナミは護身用に簡単な攻撃魔術をつい最近覚えたばかりだ。空気弾だけでは心許ないとキーナが教えていたのだが、ミナミはあまり相性は良くないらしく、なかなか覚えられなかった。
「うぅぅ……っ」
口をへの字に曲げて両手を握りしめるその様は、地団太を踏む子供そのものである。タヤクがしっかり彼女のことを守ってくれるのは分かっているが、それでもやはり自分で守ってやれないことが、マサアにとって不安でしようがなかった。
そんなマサアの様子をちらりと見つつ、
「行くぞ」
と、ケイヤが答えを出す。
「いいの?」
「いいもなにも、タヤクがそう言ったんだ」
そのままあっさりと崖から離れて歩き出す。すぐにその後を追うミカノと違い、キーナとマサアは後ろを振り返りながらとろとろと歩いていた。
もしあの洞窟が行き止まりならば、賢明なタヤクのことだ。二人ですぐに引き返し、自分たちを追いかけてくるだろう。そう考えての決断であった。
――この街道は一本道なのだから迷うことはないし、少し急げば簡単に追いつく
もしもタヤク達が入った洞窟に魔物の類がいても彼がやられるとは考えにくく、万が一傷を負ったとしてもミナミがいる。あの少女も、回復と守護の魔法ならばキーナを上回るほどに成長したのだ。
「……」
それよりも、自分たちがあとどれほどの道を進めばいいのかが、ケイヤにとっては気がかりであった。
ここに来るまで数日歩き通しだったのだ、体力の少ないキーナがどのくらい持つのか測りかねている。風景が切り立った崖と森だけでは、時間や距離の間隔が分からなくなってくるのだ。
野宿をすることも考えてはいたが、夜の冷え込みは厳しく、テントと薄い毛布だけでは辛いだろうとも思う。
「……ヤ……」
カレアナンでミカノ達が購入した食糧の類はおよそ一週間分。シアたちとの争いで幾らかばら撒けてしまっていたが、出来る限りマサアが回収してくれたのだ。それらは全てケイヤの『次元』内に保管しているが、それもすでに三分の一は消費されてしまっている。
――マサアの食事量をもう少し考えておくべきだったな……
表にはおくびにも出さず、内心で深いため息を吐く。
ミカノは基本少食で、パンの一切れ肉の一欠け果物の一片で「もういい」と言うことが大半である。ミナミも十四歳という育ちざかりながら、ダイエットと言って腹七分程度で食べるのを止め、キーナも食べることに執着がなく、ほとんど野菜やスープで食事を終わらせてしまう。
ケイヤは必要な栄養分以外は一切取らないし、タヤクも栄養バランスを考えながら食事を摂る。
結果、マサア一人が食べ放題の状態なのであった。
「……イ……っ」
次の街でまた買い込まなければいけないな、と思う反面、こんな調子ではすぐに資金も尽きるだろう、とケイヤの悩みは尽きない。せっかくミカノが盗賊を脅かして奪い取った資金である。有用に使わなければ彼らも浮かばれないだろう。
「そうなると、買い込むものを事前に決めて調整しておかないと……」
「聞けって言ってんでしょうがこのやろーっ!!」
突然上がったミカノの甲高い声が、ケイヤの鼓膜を破らんばかりに響いた。
「?」
あまりの煩さに眉間に皺を寄せつつ振り向けば、腰に手を当てぜぇぜぇと呼吸を荒くしながら自分を睨みつけるミカノの姿を見つけた。
「――どうした?」
「おっそい! 周りを見てみろっての!!」
若干訝しげに、けれども素直に従ったケイヤが辺りを見回すと、景色が一変していた。
暗く光を閉ざすように茂る木々。膝裏までに伸びた種類も分からない雑草。自分の後ろを見ても草で。ミカノの後ろを見てもやはり草で。
視界にはうっすらと靄がかかっており、迂闊に動くと彼女と逸れそうな雰囲気があった。
「――なぜだ?」
「あほかぁぁぁぁっ!!!」
勢いよくミカノの手刀が飛んだ。普段その被害にあっているのはタヤクだったが、まさか自分の身に起こるとはケイヤも思っていなかった。
「そーかそーか、あんたも実はマサアと同じ属性か」
「属性?」
「いーからいーから、はい、考えてー。周りを見てー」
「いや、いま周りを見たばかり……?」
言いかけて、気付く。
生い茂る草木。
閉ざされた森。
薄い靄。
そして、ケイヤとミカノの二人だけ。
「……マサアとキーナはどうした?」
「んっんっんっ、やっと気付いたの」
ようやくまっとうな疑問を投げかけたケイヤに、ミカノは大きな溜息を吐き出す。その手には、彼女の愛用している紅い槍が握られていた。
「あんたはタヤク達を見送った後、回れ右して、も一回右して、まーっすぐ歩き出したの」
「まわれ右、の右?」
「そうねー。ようするに“崖と真逆の方向に進んで行った”のよねぇ」
言われ、脳内で崖の反対側を思い出し、彼にしては珍しく呆然と呟いたのだった。
「……迷いの森に足を入れたのか」
「ハイ正解」
思わず顔を顰める。
「……それで、キーナ達は逸れたのか?」
「キーナちゃんとマサアは、タヤクとミナミを心配してちらっちら振り返りながら進んでたわよ。あんたがいっくら呼んでも止まりも振り返りもしないから、仕方なくあたしがついてきたの」
「――すまない」
考えながら歩いていたとはいえとんだ失敗をしたものだ、と心底から謝罪をする。森に入り込んでしまうと危険だと言いながら自分から足を突っ込むとは、間抜けにもほどがある。
――そのうえ、ミカノまで巻き込んだ
それがケイヤにとっては一番許せないことであった。自身の失敗に他者を巻き込むなど以ての外だと、そう彼は思うのである。
当の本人は「謝ればいいわ」と手をひらひらと振り、にっかと笑っている。
その言葉に「そうか」とだけ返し、それならば早急に思考を切り替えるべきだと、ミカノに何から尋ねるかを考え始めた。
ケイヤは六人の中で一番聡い。様々な知識や情報の中から無駄を省き、考えを洗練させ昇華することができる。
今回も自身の失敗を認めたうえで心から反省し、それが許されたから次の思考へと簡単に切り替えることができた。
傍から見ればそれこそ“冷徹”だとか“冷淡”だとか称されるような、それほどに早い思考の切り替えだが、彼からしてみれば“失敗したからこそ早急に次の手を打って挽回しなければならない”ということらしい。
その考え方は彼の仲間たち――もちろんミカノも分かっているから、何も言わなかった。
顎に手を当てミカノに聞くべきことを整理していたケイヤは、ふと視線をミカノと合わせ、口を開いた。
「どのくらい歩いてきた?」
「そうね、時間としてはまだ十分、いや、十五分位かね」
「そうか。この靄は?」
「歩いてたらいつの間にか。薄いけど、晴れることはないね。どうやらこれが“迷いの森”の原因みたいだから」
「魔力によるものか……」
ケイヤの呟きにミカノが頷き返す。彼女の深紅の髪だけは、この靄の中でもはっきりと見えた。
迷いの森の話を行商人から聞いたときにケイヤが考えたのは、辺り一帯の磁場が狂っているか、あるいは生い茂る木々の様子が変わらず方向認識が出来なくなる為か、ということだった。
しかしミカノは、いま視界にかかっているこの靄こそが“迷いの森”の原因だという。僅かではあるがこの靄から魔力が感じられると言い、その効果がどういったものかは判別できないが、恐らく幻覚の類ではないか、と彼女は考えていた。
「――なら、魔力の発生源を探らなければならないな」
ミカノの言葉を受けてケイヤがぽつりと呟く。
二人の周りにのみ小規模の靄を発生させているのか、それとも森全体を包むような広範囲のものなのか。また、発生させているのは何者なのか、あるいはどういった魔法の道具――マジック・アイテムなのか。
「探すぞ、ミカノ」
言いながら空間を裂いて一振りの剣を取り出し、靄の中を歩いていく。その背を追うように、
「あったりまえよ! こんなとこで止まっちゃいらんないわ! さっさと人だかものだかを探して靄を晴らすわよー」
と、両手の関節をボキボキ鳴らしながら歩くミカノは、あっという間に彼を追い抜かしてしまう。ミカノが大股で歩いているため二人の間にわずかな距離が空いたが、その紅い髪が視界から消えることはなかった。
どうやら靄を発生させている大元は、自分と彼女を分断する気はないようだと考える。
――周りの風景はほぼ全く見えないのに、ミカノのことだけはこれだけ離れていても見えるからな
鬱蒼と生え放題の雑草はすぐに白い靄に沈んでしまい、あっという間にもと来た道も分からなくなってしまう。自分が歩いている足元の、ほんの数十センチ先しか見えないのだ。
それなのに二、三メートルは離れているミカノの姿は良く見える。さすがに全身とはいかないが、それでも腰辺りから上はこの靄の中でもくっきりと見えていた。
その様を改めて確認したケイヤは、ぐっと自分の手を強く握りしめる。
「たしかに。こんなところで止まるわけにはいかない……」
自分の中の何かを確かめるように目を瞑る。手のひらに食い込む爪の痛みと共に、失せることのないよう。