◆ 赤い記憶
「――結局さぁ、ロウはなにがしたかったんかね?」
先を歩くケイヤに駆け足で追いついて横に並び、ミカノはぽつりと呟く。しかし、問われてもケイヤにあの少年の考えていることなど分かるはずもなく、推測で答えるしかできなかった。
「さてな。本人の言うとおり、俺たちが生きていてもいなくても興味はないという感じだったがな」
「かといって、本気でやる気でもなかったみたいだしね」
「そうか」
「……あんた、あんまり真剣に考えてないでしょ?」
「そんなことはない。憶測でモノを言っても無駄だろうと思っただけだ」
そう言うと、ミカノはつまらなそうに口を噤んだ。
ケイヤからしてみれば事実であったし、実際にそういう状況なのだからしょうがないと考えている。それよりも、ロウが一人だったということが彼には気掛かりであった。
彼がタヤクから聞いた話では、ロウと人間の男――ハイネとシア。三人で一組という印象を受けたらしい。それだけ馴染んだ組み合わせに感じたのだろう。
――だとすると、考えられる理由としては今のところ二通りある
口元に手を当て、やや目を伏せがちにして思考する。それは思考する際のケイヤの癖でもあった。無意識のうちにやっていることではあるが、その方が思考を上手くまとめられる気がして治す気もないらしい。
そうして彼は考える。
一つは、ロウがその二人に話の内容を知られたくなかった、ということ。
ロウは、「ケイヤとミカノだけに」話すと言っていた。他の人間の耳に入れたくなかったということもあるのだろうが、もしかしたら自分がああいう風に冷静になれなくなることも考慮して、シアとハイネを連れてこなかったのかもしれない。
――単純に二人も“人間だから”聞かせたくなかった、ということもあるかもしれないが……
そう断言するには些か三人の仲は良すぎるような気がしないでもない。
少なくともタヤクやミカノの話では、和気あいあいとはいかずとも、それなりに長い間を共にした同士の雰囲気が感じられたという。
そしてもう一つは、タヤクとミナミ、マサアとキーナをシアとハイネが襲っているかもしれない、ということ。
それは、ケイヤの中では最も嫌な答えであった。
ミカノはもちろんだが、他の四人もこと戦闘においては誰にも後れを取ることがないと分かっている。難を言えばミナミが一番の気掛かりではあるが、タヤクがいるので大丈夫だとも思っている。
けれど、自身の手が届かないところで仲間が傷つくこと、それだけはどうしてもケイヤにとっては許せなかった。
それ故に、彼は急ぎ先を進む。徐々に歩幅を大きくし、段々と早歩きになり、いよいよ地面を蹴って走ろうとしたまさにその時。
「――ねぇ、ケイヤ」
ミカノの声が、ケイヤを呼び止めた。
今までのように軽い呼びかけではなく、はっきりと何かを伝えるためにかけられた固い声音。それを無視するわけにもいかず、彼は足を止めて振り向いた。
「なんだ」
「あんたさ、何を焦ってるの?」
「……なぜ」
「そんな気がしたから」
その言葉に、顔には出さなかったが内心では冷水を浴びせられた心地だった。
たしかに自分の中でなにかざわざわしているような気がして落ち着かない。四人が心配だという思いもあったが、それ以外の何かも自分の中にあることに気が付く。
それを誤魔化す為にも走って行きたかった。
――理由はきっと分かっているんだがな……
内心で呟く通り、彼はその原因がなんなのか、よく分かっていた。
分かっているうえで、それを考えたくなかった。思い出したくなかったのだ。
「……」
黙り込むケイヤの黒髪を風が浚う。
海風は潮の香りを乗せ、先ほどまでの戦闘で熱を持った体を冷やしてくれたが、彼の内にざわつく思いは消してくれなかった。
唇を真一文字に結んだまま黙り込んでしまった彼を見、ミカノはふう、と息を吐く。
「焦るのもまぁ、あいつらが心配だからってのもあるとは思うけど……ちょっとは落ち着きなよ? じゃないと、いつかなんか取りこぼすよ?」
珍しく気遣うような言葉をかけるミカノの声を聞きながら、ケイヤは一つのことを思い出した。
◆ ◆ ◆
――それは九つの時の記憶
“鳥籠”から自分を連れ出そうとして逃げ出した“あの人”のこと
封環で一つに束ねた 白い白い 長い髪
繋がれて離されなかった 剣ダコのある けれども柔らかな大きい手
広くて暖かくて 近寄り難かった 優しい背中
いつもいつも剣で勝てなくて
笑ってくれたことなどなくて
初めて頭を撫でてくれたのは 初めて食事をした時だった
お前は生きろ と言ってくれた
お前は生かす と言ってくれた
這ってでも生きて 生きて 笑ってくれと
赤く赤くなりながら
――かすれた言葉は なんだったろうか……
◆ ◆ ◆
「――ケイヤ?」
「……すまん。呆けていた」
古い記憶に浸かっていた頭を軽く振り、意識を目の前にいるミカノへと戻す。不審な目で自分を見る彼女の姿に、先ほどの言葉が思い出された。
「……もう、取り溢してしまった」
「えーっ? なにーっ?」
「いや、なんでもない」
――過去は、どうにもならないのだから
「行くぞ」
「あ、うん」
歩き出すケイヤの隣にミカノが並ぶ。そっと彼の横顔を覗き込んでみたものの、ミカノにはいつも通りの仏頂面にしか見えなかった。
――当然ながら昔の俺は小さくて、幼すぎて
目に浮かぶのは過去の光景。
地に伏せる男性と、散らばる長い髪と、紅く紅く全てを染め上げる血と……それらをただ呆然と眺めていた幼い自分。
幼いケイヤには年相応に力がなく、戦う術も守る術も持っておらず、ただただ紅い海にぼうっと立ち尽くし、男性の息が途絶えるのを見つめていた。
「師匠(せんせい)……」
呟き、自身の声に意識を戻される。
どうも今の自分は安定していないらしいと思いながら隣を見れば、楽しそうに鼻唄を歌いながら歩くミカノがいた。彼女のような明るさが欲しいな、と思うこともあるが、それは自分には到底似合わないなとすぐに考えを放棄する。
並んで歩く街道はまだ終わりが見えず、森の緑と空の青とが二人を見守る。時折吹く風は「さぁ、進みなさい」とばかりに、彼らの背中を優しく押した。
「どんくらいで追いつくかね、キーナちゃんたちに」
「さあな。歩いてみないことには分からない」
「歩きでいいの?」
にっ、といたずらを思いついた子供のような笑みを浮かべてミカノは言う。そのまま軽い身のこなしでケイヤの前に躍り出て、ウィンク一つ。
「走って行ったほうが早く会えるわよっ!」
そのまま、足取り軽く走りだす。淡い黄色のワンピースの裾がひらりと翻り、細い脚が風に晒される。そんな彼女の行動に一瞬呆けたケイヤであったが、すぐに我に返って走り去るミカノの背を追いかけた。
「おい、焦るとロクなことにならないんじゃなかったのか?」
「んー? それはあんたが一人の時よっ!」
肩越しに振り返った紅い髪の少女は、それはそれは壮絶にきれいな笑顔で微笑った。
「いまはあたしがいるじゃんかっ!」
そう大声で叫ぶように告げたあと、ミカノは一度も振り返らずに走り続けた。