◆ 合流
延々と続くかと思われた崖道は、意外にも早く終わりを迎えた。
ミカノが歩いている間中会話を途切れさせなかったということもあってか、長時間歩き通しという感覚がしなかったせいかもしれない。
ケイヤも相槌を打つ程度には話を聞いていたが、自分から口を開くことはあまりなかった。
そうして二人で歩き続けること数時間。やがて視界が大きく開け、足元も整備されたレンガ道へと変わる。その先には、見慣れた影が四つ見えた。
それにケイヤが気が付いて口を開くよりも早く、
「あーっ! タヤクとミナミがいるっ!!」
と、ミカノが大声で叫ぶと、四つの影が一斉にこちらを向いた。
大きな岩に背を預けて佇むタヤクとマサアはいつもと変わりなく、すぐ傍の木の陰に座り込んで休んでいるキーナとミナミにはわずかに疲労の色が見られたが、特に怪我はないようだった。
――ハイネリアやシアが襲ってきたということはなさそうだな
彼が密かに案じていたようなことは起こらなかったらしく、四人はそれぞれ手を振ったり立ち上がったりと、明るい表情で一斉に口を開いた。
「もー、なんでお前らだけこんな時間かかってるんだよ!」
「さすがに心配して、引き返そうかと相談していたの」
「二人とも遅いーっ!!」
「悪い」
駆け寄るミカノとその後ろをゆったり歩くケイヤを、四人は安堵の表情で迎え入れ、ケイヤもそれらの言葉に短く答える。
いち早く大陸を渡り終えたのはマサアとキーナで、次いでタヤクとミナミが一日遅れで到着したらしい。道の長さは街道と変わらないようだったが、如何せん視界が暗く、足元も悪いうえ、慎重を期して歩き続けた為に時間が掛かった、とのことだった。
そう言った話をしていると、ふとタヤクが「そういえば」と呟きケイヤに向き直る。
「お前らはキーナたちと一緒だったんじゃなかったのか? 実は分かれ道でもあったのか?」
タヤクとミナミよりも更に一日遅れて辿り着いたケイヤとミカノを不思議そうに見つつ問う彼に、ミカノはにやにやと意地の悪い笑顔を浮かべながら答える。その視線の先には憮然と唇を引き結んで黙り込むケイヤがいた。
「んー、ちょっとねー」
「……」
四人が不思議そうに首を傾げる中、ケイヤだけが決まり悪い表情でふいと顔を逸らした。
実際のところはただ、考え事をしながら歩いたケイヤが街道から道を逸れて勝手に森の中に突入したのをミカノが追いかけた、というだけなのだが、正直には言えなかった。
「ま、全員こうして揃ったからいいじゃんっ!」
ぱんっ! と手を打ち合わせて微妙な空気を断ち切ったのはマサアであった。
夏の日差しに輝くひまわりの様な、力強くも優しい彼の笑顔に、場の雰囲気もすっと和らぐ。
いずれにせよ、数日ぶりに六人がそろったのである。久しぶりに会う全員の顔を見て、ケイヤもようやく安堵して表情を和らげる。それは幼い頃から一緒だったキーナやマサアにしか分からない程度の変化ではあったが、彼は確かにこの場にいる五人を大事にしているのだ。
マサアは変わらずにこにこと微笑んだまま、話題を変えるべくミナミの頭をくしゃりと撫でる。撫でられた彼女も嬉しそうに彼の笑顔を見つめ返した。
「ミナミなんていいもん見つけたしな」
「うんっ!」
「いいもの?」
首を傾げて問うミカノに応えて差し出されたミナミの左腕には、それまで身につけていなかった腕輪が光っていた。
子供の細い腕にはあまり似合わない、少し太目のデザインのそれは、金色にまばゆく光り、要所要所に細かな細工が施されていた。小さく輝く宝石はおそらく魔法の護符――マジック・アミュレット――であろう。
華美ではあるものの決して下品な要素はなく、高価な代物であることは容易に想像出来た。
じっとその腕輪を眺めていた二人に、今度はタヤクから声が掛かり顔を上げる。
「オレたちはここから出てきたんだ」
言いながらタヤクが寄り掛かっていた大岩から退き、ケイヤとミカノがそちらへ近付く。タヤクが寄り掛かっていたのとは反対側、大岩によって死角になっていた部分の地面に穴が空いていて、地下に潜る階段が続いていた。
「あの場所はこんなところに続いていたのか……」
ぽつりと呟くケイヤにタヤクも「あぁ」と短く返す。
「あの後オレとミナミは延々と歩き続けてたんだ。一本道だったから迷うこともなかったんだが、途中で行き止まりに突き当たったんだよ」
「は? それで、あんたたちがどうしてここにいんのよ?」
話の途中でミカノが割って入り、首を傾げる。それにタヤクが答えるよりも早く、幼い声が横から飛んできた。
「すごいのよ、聞いてミカノっ! タヤクが行き止まりの壁を一回えーい、って叩いたら、その壁ががらがらがらーっ! って壊れたのっ!」
その時のことでも思い出しているのか、ミナミがやや興奮気味に語り出す。その様子とは逆に、壁を崩した本人は苦笑するばかりである。
「まぁ、オレもミナミもその壁の向こうが出口だと思ったんだが……」
「きれいなところに出たのよねー」
『きれいなところ?』
全員の頭に疑問符が浮かぶ中、ミナミはえへへー、と楽しそうに笑った。
「なんかローソクの火がぱぁっ、って明るくて、大きなテーブルにはきれいなレースのクロスが掛かってたの! すっごくあったかい雰囲気だったのよ! それからね、すごくきれいな人がいたのっ!!」
『……』
開いた口からは溢れんばかりに言葉が零れ、五人の耳を通り過ぎていく。
大人しくミナミの話を聞いていたケイヤであったが、ミナミの言った“きれいな人”という言葉に眉間にしわを寄せた。
――それは……
「どこのご家庭にお邪魔してきたの?」
全員の心の内を代弁するように、ミカノが片手を上げて尋ねる。その声もどこか遠慮がちに聞こえ、口角は引くついていた。
問われたミナミはというと、両手を腰に当てながら「むぅっ」と頬を膨らませる。
「ちがうわよっ! もうすごくきれいだったんだから! この腕輪もそこで見つけたのよっ」
『それって泥棒』
「……ミナミ」
見兼ねたタヤクが彼女の言葉をフォローする。やや疲れたように見えるのはきっと気のせいではない。
人の話を聞かないのはミカノだけではなかったのかと、見た目に表情は変わっていないものの、ケイヤは憐れみを込めて口を開くタヤクを見つめた。
「部屋の感じはたしかにそんなだったけど、たぶんあれが教会って場所なんだろう」
「嘘……」
その言葉に反応したのはキーナとミカノだった。
思わず声が漏れたキーナに対し、ミカノはわずかに眉をひそめた程度だったが、共通する感情は“何故”というものだった。
かつて教会は神を信仰する人たちの為にあったそうだが、現代には存在しない。信仰が廃れたということもあるが、もっと有体に言ってしまえば、人々からそういったものに対しての関心が失せていったのだろう。
三柱物語や術を使う際の力もただ“そういうもの”としか受け入れられておらず、崇め奉るような者はほとんどいなくなってしまった。
地方に行けば未だに土地神やらなにやらと大事にされてはいるが、それはほんの一握りだけであり、教会が建つことは滅多にない。あるのは神に捧げた社程度である。
神頼みだのお祈りだのと言う言葉を知っている者も、ほとんどいないのだ。
呆然と口元を手で覆って驚くキーナを視界の端に捉えつつ、
「なんでそんなところに“教会”なんてのがあるんだろ?」
と、マサアが問えば、
「さぁ、オレだってそんなことは分からん」
と、タヤクが応え、それもそうかとマサアも口を噤むしかない。訪れた僅かな沈黙の合間を縫って次に質問を投げかけたのはミカノだった。
「ねぇ、きれいな女の人ってのは?」
それも恐らく“分からない”という答えが返ってくるだろうと思っていたマサアは、タヤクの言葉に目を見開いた。
「それはお前らもみんな知っているヤツさ」
半ば投げやりに言うタヤクにケイヤたちは揃って首を傾げて見せたが、「あ」という小さな声が聞こえた。声の主は一瞬タヤクを見て、それからミナミが身に付けている腕輪を見、息を詰める。
「キーナ? どうかしたの?」
「心当たりがあるのか?」
ぱちぱちと瞬きを繰り返すキーナに、マサアとケイヤが口々に声をかける。形の上では問いかけながらも、ケイヤには分かっていた。
――たぶん、ミカノも……
ちらりと視線をやったその先には、燃えるような紅い髪を風になびかせて佇む少女がいた。深緑よりも濃く深い緑の瞳は、じっとミナミの腕に引っかかっている腕輪を見つめている。
ケイヤもミカノも、ロウから聞いたばかりなのだ。
自分たちが探しているものがレズウェル大陸のどこかにある、と。
そしてタヤクとミナミが入り込んだ教会も、恐らくレズウェル大陸の土地の中に建っており――
「たぶん……三柱の女神、慈愛のアフロディテの腕輪……」
「ぅえっ?!」
「そうなの?」
キーナの言葉にマサアが奇妙な声を上げ、ミナミはその隣できょとんと腕輪に視線をやった。
「よく、アフロディテってことまで分かったな? オレは女神の彫刻だとは思ったが、誰かまでは分かんなかったぞ」
ヒュッ、と口笛を吹いて彼女を称賛するタヤクに、キーナは腕輪を指し示しながら、何故アフロディテのものだと分かったのかを語りだした。
「アフロディテは“愛”と“理想”を司る女神と言われているわ。腕輪のアミュレット、この、紅い石がレイディアン・ロゼという宝石で、アフロディテが好んでいたという話があるの」
宝石言葉は“無償の愛”と“捧げる愛”。
その意味に鬱陶しさを覚えて、ミカノは「けっ」と悪態を吐いた。
そんな彼女の様子に苦笑しながらも、心持ち弾んだ声でタヤクが繋げる。
「ってことは、これが法具とかいうやつなのかな?」
「恐らくそうだと思うわ。こんなところに隠すように保管されていたのだし、凄まじい濃さと強さの魔力が込められているのを感じるもの」
彼に頷きつつ返すキーナの傍では、マサアとミナミが腕輪を様々な角度から眺めつつ、きゃっきゃと楽しそうにはしゃいでいた。
「ミナミ似合ってるよー」
「えへへ、ありがとう! 女神さまが身に付けてた腕輪かぁ……えへへっ!」
「この次も簡単に見つかるといいなぁ」
傍から見たら実に微笑ましい光景なのだろう。
そう思いながら、ケイヤは一人輪から外れて思い出す。ここにくるまでのミカノとのやり取りを。