◆ 幻影の女
“シエルナの町は占いの町”。
しかしシエルナにはさらにもう一つ、“オアシスの町”という呼び名があった。
シエルナから東には広大な砂漠が広がっており、砂漠を越えなければ次の町はないが、そこを徒歩で越えようなどという無謀な者はいない。炎天下で干乾びて死ぬか、夜の寒さに凍え死ぬか、その二通りしかないとされているからだ。
この町がオアシスと呼ばれるのも、砂漠を渡る為の重要な地点であることを示している。水や食料は勿論であるが、それ以上にシエルナで販売・貸出されている『砂船――させん――』という特殊な船の存在が大きい。
砂船とは魔力を原動力として動く、砂上を走る特殊な船である。
操縦士の魔力によって速度に差は出るものの、それでも徒歩ならば丸五日はかかる距離を二日に短縮するほどである。
船には微弱な冷気の呪文がかけられており、砂漠の熱気を遮る盾にもなっている。
それほどのスピードに普通の人間なら耐えられないはずだが、砂船の弱冷気呪文のさらに一回り外には、風と地の精霊に干渉する呪文が掛けられていた。
その呪文が乗っている者の肉体と走り抜ける道に作用し、外から見れば猛スピードで砂の海を走っているように見えるが、乗っている者からしてみれば、コマ送りに周囲の風景が進んでいく感覚である。
この街に辿り着いて方々で情報を集めている時にその話を聞き、ミナミら六人も砂船とやらを借りようと思っていた。聞けば、砂漠を越えたところに返却所があるということなので、この先使うかも分からない砂船を買うよりもいいだろう、と全員一致で決めたのだ。
ならばと早々に確保した宿を揃って出、宿の主人に聞いた優良の砂船屋に行こうか、と足を向けたとき。
宿の入り口に、その女はいた。
黒いローブを目深に被っているせいで顔は分からないが、フードからこぼれ出る栗色の髪は頬にかかる程度の長さである。唇に引かれた紅はイチゴのように鮮烈な色合いで、白い肌に良く映えた。
「うわぁ……キレーな人ぉ」
「ミナミ?」
口元以外はほとんど分からないにも関わらず、気が付けばミナミはそう呟いていた。傍を歩いていたミカノがその声を耳に入れて足を止め、残る四人も不思議そうにミナミを見る。
じっと見つめてくるミナミの視線に気が付いたのか、女はふとその目をミナミに向けて、にこりと蠱惑的に微笑んできた。唇が三日月を象り妙に艶っぽい。
「ようこそ、占いの町へお嬢さん」
「わぁっ!! お嬢さんってわたし? おねぇさんも占い師なの?」
「えぇ。こんなに可愛らしいのに、恋愛の悩みでもあるのかしら?」
“かわいい”と言われたことに素直に喜んで頬を染めるミナミ。
そんな彼女を一瞥して、後ろに並ぶ保護者一同に視線を配る女。五人はそれぞれこの女に胡散臭さを感じていた。
占い師らしい格好といえばそうなのだが、なんとなく違和感を覚える。その最も大きい部分は、彼女の姿が半ば薄れて見えるからだった。
“遠見の術”でも使っているのか、ここにいる女は本人ではなく、どこか遠くから本体の姿だけを送り出している、言わば幻影のようなものだった。
自身がそうやって見透かされていることに気付いているであろう女は、五人の警戒の眼差しなど大して気にもしない様子で話しかけてきた。
「こんな砂漠の地へはるばるようこそ。お友達同士でご旅行かしら?」
「まぁ、そんなとこです」
しれっと敬語で受け答えするタヤクに一瞬笑いそうになったミカノだが、なんとか耐えることに成功する。そんな彼女を一睨みし、多少の気恥ずかしさから少し頬を染めながらも、彼は会話を続ける。
「砂船屋に行こうってことで、宿の旦那さんに聞いて出てきたんです」
「そうそう、とびきり腕のいい砂船屋さんって話らしいから」
「あら、それはよかったですね」
うんうんと相槌を打ちながらにこにこと微笑む女。
「占いもこの町の名物ですから、どうか試してみてくださいね」
「そうねー、それもこの町で有名な人を探してみるわ」
同じようににこにこと笑いながら切って返すミカノに、ようやくミナミもこの場に生まれた不穏な空気に気が付いた。不安そうに眉を下げ、マサアの陰に隠れる。
それに気がついた女は幻影の身をかがませて、ミナミに向って笑いかけた。
「ごめんなさいね、お邪魔しちゃって。お姉さん、忠告に来たのよ」
「忠告?」
すっかり身を縮こませたミナミに代わってマサアが問い返し、他の四人の耳もぴくりと反応を示す。いっそう険しくなったミカノの視線にも動じることなく、女は「えぇ」と短く肯定する。
「あなたたちが町に入った瞬間から感じていたわ。壮大な昔話を背に負ったあなたたちのことを」
「……」
“三柱物語”のことを指しているのだろうと、最初に気付いたのはケイヤであった。
端正な顔を顰めつつ、女の腹を探ろうとじっと見つめる。真っ先に思い浮かんだことは、この女も“鳥籠”の関係者なのか、という疑問である。
「――あちら」
深く思考し始めるケイヤの考えを掻き消すように、女はその白い指先を六人の後ろ、はるかに広がる砂漠へ向けて指した。
「あなたたちの探し物はあそこ。砂の海に咲く花に抱かれて眠っているわ。女神に呼び覚まされるのを待っている」
『?!』
瞬間、タヤクとミカノが殺意を女に向けた。常人ならば気当たりで失神するであろうそれは、幻影の主には効いていないらしい。微笑む表情はそのままに、平然と受け止めている。
けれども数瞬後、ミナミの装着している腕輪を指さした時には、ほんの少しだけ憐れむような顔を見せた。
「その腕輪は“慈愛の腕輪”。全てを癒し、全てを守る、慈愛の力。けれど、強大すぎる力は、全てを枯らしてしまう」
「枯ら、す……?」
鈴の音のように高く細く響くその声には、どこか疲れが滲んでいるようにミナミは感じた。年齢よりも大人びて見えるキーナよりももっと落ち着いた、二十代前半ほどの見た目の女なのだが、よくよく見ればその表情にも疲労の色が濃く滲み出ている。
――疲れてる……というか、辛そう?
思わず「あのっ」と声をかけたミナミを制するように女に詰め寄ったのは、ケイヤであった。眼鏡の奥の双眸をすっ、と細めた表情は、氷のように怜悧で美しい。
「何故そんなことを知っている? お前はなんだ?」
「……私は、ただ道を知っているだけにすぎないの」
ケイヤの問い掛けに答えとも言えないようなものだけを残し、女の幻影はその場から掻き消えてしまった。
あとにはただ、呆然と立ち尽くす六人だけが残されたのであった……――