◆ 腕輪
話の途中、この席まで案内してくれたツェルが食事を運んできた時には、他愛もない話を適当にしていた。
ハイネ曰く、“鳥籠”の存在は一般には知られていないらしく、なるべくなら広めるべきではない、ということであった。
たしかに、“鳥籠”から出たミカノたちが旅の道すがら出会う人たちにそれとなく尋ねても、誰一人として知っている人間に出会うことはなかった。ランダンの村でキーナを攫った村長たちは、ただ領主であるソエルの命に従っただけであり、細部までは知らされていないことも分かっている。
「一定以上の権力者や国々の統治者、それに“鳥籠の協力者”たち。ギルドや魔導士協会も協力者と言うわけだ。それ以外の一般人には情報を流すことが一切許されていない。そいつらがことを知るのは、いつも破壊神の封印が済んだ後だけだ」
食事の合間にそんな話もしていた。
それを聞いたミナミは、破壊神の封印が終わった後に知ったことを、また百年や千年かけて人々は忘れてしまうのだろうか、とふと思った。
忘れてしまうからこそ、“鳥籠”というものがひっそりと機能し続けるのだろうか、と。
あくまでも、一般の人々の間には“三柱物語”という形でしか、ことが伝わらず、残らない。
――もしキーナたちが“花嫁”として死んじゃっても、誰も覚えていてくれないの?
そう考えてしまうことが、ミナミはたまらなく悲しくて、怖かった。
◆ ◆ ◆
『ウィル・オ・モデム』の食事はとてもボリュームがあり、美味しかった。ランチは二種のみとツェルは言っていたが、実際にテーブルに届けられたその内容は、たいへん豪華なものであった。
ハイネが食べていたのと同じ、トマトを大量に使用したスパゲッティと、鳥の唐揚げにフライドポテト。
砂漠にしか生息していない、砂地を泳いで跳ねまわるラーガという珍しい魚の煮付けや、瑞々しい生野菜をボウルいっぱいに盛り付けたサラダなど。
どれもこれも砂漠特有の香草がふんだんに使ってあるもので、最初はクセがあるかもと恐る恐るフォークを取ったミナミであったが、結局すべて平らげていた。
食後に彼女とマサアは追加でイチゴのパフェも頼み、「よく食べるな」と呆れたようにケイヤが眺めていた。
ついでに頼んだアイスティーを一口含み、ハイネが小さく息を吐く。
「そっかぁ……あのねーちゃん、お前らにそんなこと言ったのか」
「うぐ」
返事とも言えない返事をしたのはマサアである。その眼はパフェをどう切り崩すかしか見えおらず、口には目いっぱい生クリームとアイスが詰め込まれていた。
ちなみに、ハイネには六人の目的――破壊神に挑み、消滅させるということを話しの流れで伝えていた。
カレアナンでのやりとりで薄々勘付いていたのか、はたまたミナミが“破壊神を倒す”と言ったことをシアから聞いていたのか。
ハイネはそれほどの驚きは見せなかったが、それでもやはり、眉根を寄せていた。
「しかし……どうにもその女の意図がわからないな」
ぽつりと呟いたのはケイヤであった。
一同が彼に視線を移したのとほぼ同時に、再び口を開く。
「話をまとめると……リイセと言う女がハイネの知らないところで動き、各地の“鳥籠”から“花嫁”たちを解放して回っている」
「そしてミナミの存在を知っていた」
横から聞こえた甲高い声はミカノのものであった。コップに付いた水滴を指先で掬い、テーブルにくるくると螺旋を描いて遊んでいる。
一瞬そちらに意識を逸らしかけたミナミだったが、すぐにケイヤの言葉に耳を傾けた。
「あぁ。ハイネリアは上には報告しておらず、その場にいたギルド関係者にも箝口令を強いたはずなのに、何故かリイセにはミナミの情報が漏れていた」
「箝口令、ってほどのモンじゃねーけどな」
「その辺りはどうでもいい。事実として、隠していたものが漏れていた。“誰かがその情報をリイセに与えた”、と言う方が正しいか」
ケイヤがそう言うと、ハイネはむぅ、と口を真一文字に結んで押し黙ってしまった。
自分が信頼しているはずの仲間が自分を裏切ってリイセに情報を流したのは事実であろうが、そう言葉にされると、なんとも言い難い苦いものがあった。
そんなハイネのことなど知ったことではない、と言わんばかりに、ケイヤは先を続ける。
「ミナミの存在を知ったから“花嫁”たちを解放していっている、という流れだろうが……では、リイセの目的はなんだ?」
「目的?」
「目的って……おれたちを掴まえるのが目的じゃ……あ」
言いかけたマサアの口が止まる。パフェから顔を上げて、思わずケイヤを見返した。
「それが目的だったら、この間会った時にとっくに行動起こしてるか……!」
「そうだ。あの女一人で六人を相手にするのは難しいだろうが、それにしてもこれだけ間が空けば、仲間の一人や二人、連れてくることだって出来ただろう」
それなのに、六人は未だにこうして自由に動き回っている。
空になったコップをテーブルに置き、口元に手を当てたキーナも思案気に呟く。
「ハイネたちを無視して一人で行動を起こしていることも気にかかるわ。私たちを捉えることはハイネたちの目的と一緒なのだから、協力し合えば済むのに」
ねぇ? と振られた本人は、捕獲対象にそう言われるとは思わず、「お、おぅ」と戸惑ったように頷くだけだった。
こうしてまとめていくと、他にも気になることや分からないことが洗い出されてくる。
「でも、ミナミが慈愛の女神にぴったしだって、それで他の“花嫁”を解放していってるわけでしょ? あたしら使う気まんまんじゃん」
「女神の法具の在り処を私たちに教えたのは、なにかの罠なのかしら?」
「あたしらを殺す為の? 捕まえるための?」
ぽんぽんと、次から次にお互いに意見をしあうミカノとキーナのやり取りに、他の面々は真剣な顔で聞き入っていた。途中で相槌を打ったり、たまに口を挟んだり、様々な意見が応酬されていく。
「……」
その中で一人、ケイヤはキーナの言葉によって一つの考えを閃いた。
それは“鳥籠”に所属している者としてはどうかと思うが、しかしケイヤにそんなことを言う義理はない。
自分たちも“同じ目的”で動いているのだから。
「もし……」
「え?」
呟くケイヤの声に、正面に座ったキーナが気が付く。彼は普段と変わらない端正な顔のまま、薄い唇から言葉を零した。
「もし、リイセの目的が“破壊神の消滅”だったら?」
「……は?」
「え?」
ピッチャーに浮かんでいた氷がカランッ、と音を立てた。
驚き声を失うキーナたちを置いて、ケイヤは誰にともなくぶつぶつ呟く。そうでもしないと自分の考えがまとめられなかったからだ。
「破壊神を封じ込めている結界を俺たちに越えさせる為に、法具の在り処を教えた? “鳥籠”から“花嫁”たちを解放していってるのは、“飼育者”たちやハイネリアのような存在の目を、俺たちから逸らす為?」
「ち、ちょっと待てよ?!」
「――あくまで、俺の推測でしかない」
慌てて声を上げるハイネを静かに制す。けれどもハイネだけでなく、キーナやミカノたちも眉根を潜めてケイヤを見つめていた。
「リイセが破壊神を殺したい理由ってなんだよ? そりゃ殺せるもんなら殺した方がいいんだろうけどよ。そんな簡単じゃないって分かってるはずだろ?」
「そんなことまで俺は知らない。あくまでも“推測”でしかないのだからな」
「そりゃそうだろうけどよぉぉぉっ!」
うあぁぁぁっ! と大声を上げながら髪を掻き毟るハイネを尻目に、「ふむ」と言ったのはミカノである。手にしたソーダ水を一気に飲み干し、
「理由は分かんないケド、ケイヤの言う通りなら破壊神を“封印”したいあんたらと別行動してるのも分かるわよねー」
言いながら隣に座るミナミの腕を見る。
少女の細い腕には不釣り合いな、金色に輝く太い腕輪を。
「ま、もしかしたらあたしらが法具を手に入れたのを知って、それで考えを変えたのかも知んないけどね」
「……は?」
思わぬ単語がミカノの口から飛び出したことに、ハイネの動きがぴたりと止まる。
油の切れたゼンマイ仕掛けの人形のように、ギギッ、と首を動かしてミカノを見つめる彼に分かるよう、ミカノは隣に座るミナミの手を取って見せた。
「これ。ミナミの腕輪、慈愛の女神のものだって」
「はぁ? 慈愛、って……えぇ?」
彼女の言葉に微妙な反応を返すハイネ。
ミナミの腕をミカノから奪うように取り、まじまじと腕輪を見つめる。
ひとしきり観察する彼のためにタヤクがざっと説明をし、そしてようやく「あぁ、そりゃ本物だろうな」と呟いたハイネの表情は、どこか呆れているようにも見えた。
まさかミナミたちが法具を手に入れていたとは思わなかったのだろう。
“飼育者”の中でもさらに極々一部の者しか法具の在り処を知らないのだ。世界のどこをどう探せばいいか、なんのヒントもない。
六人からしてみても、かなり運が良かった出来事である。
「……」
ミナミの腕を離したハイネは、テーブルに腕を組んでなにかを考え込み始めた。恐らく時間にしても一分経ったかどうかというくらいであろう。
天窓から差し込む日が少し傾いたな、などとミナミがぼんやり考えていると、
「――手伝ってくれないか」
そう、ハイネが言った。