◆ 結界

 シエルナの街門を出て三十分ほどかかっただろうか。激しく砂が吹きすさぶ小高い丘のような場所に、ハイネは立っていた。六人が呼びかける前に気付き、軽く手を挙げてくる。

「おう。もういいのか」
「うん。お願いね」

 しっかりと頷くミナミの顔を正面から見つめ、こちらも頷き返す。

「分かった。さっそく始めるか。おい、“知恵の女神”も力を貸してくれ」
「……名前があるのだけれど」

 若干嫌そうに眉根を寄せたキーナだったが、すぐにハイネの傍に寄り、何やら指示を受けている。ケイヤはその様子を少し離れた場所でじっと見守っていた。

「んー……」

 ミナミはそんなケイヤの姿をじっと見つめていた。

 キーナの傍には常に彼がいる。お互いに何かしらの言葉を交わすわけでもなく、むしろ沈黙の方が多い。それでも二人は誰よりもお互いのことが分かっているように、ただそっと傍に寄り添っているのだ。



――キーナもケイヤも、“そういう感情”ってないのかしら?



 自分がマサアを想うように。
 彼や彼女がお互いを。

 ぼんやりとそんなことを考えていると、ハイネと話していたはずのキーナがこちらを見、軽く手を上げてミナミを呼んだ。

「ミナミ、こっちへきて」
「あ、はぁいっ!」

 キーナたちが立つ小高い丘のような場所に立つと、眼下に巨大な魔法陣が引いてあるのが見えた。複雑に絡まった古代文字と神聖文字。魔法陣に使われている文字がそうだということは分かったが、ミナミには読み解くことはできなかった。

 古代文字はいまや術師の間でのみ使われている文字であり、神聖文字は神を表す文字だ、ということしか彼女は知らない。

 ハイネの魔力を使って引かれたのであろう陣は淡く光って見え、砂の中に埋もれることもなく、はっきりとした弧を描いている。

「陣を壊さないようにあの中心部に行って」
「うん」

 言われたようにそろそろと足を進める。さらさらとした砂は、靴底を通して熱気を伝えてくる。額から頬に流れた汗は、うだるような砂漠の暑さのせいか、緊張のせいか。

「ん……しょ、っと」

 中央を縁取るのは三重に用いられた六紡星の陣だった。

 六紡星は調和と清浄の象徴として魔術で用いられるシンボルである。主に白魔術で利用され、邪霊や悪霊からの魔除けやそれらの浄化、治癒術を使う際に傷口から不浄なものが入り込まないように、といった用途で使われることが多い。

 また、世に溢れる生命の力との同調を促すシンボルともされ、快癒の速度を速めるといったような説もあるが、現在使われている数々のシンボルのほとんどは、未だ魔導士協会のもとで研究され続けている。

 六芒星には他にも防御結界の効力を高めるという効果もあるらしく、そのシンボルが三重に敷いてあることから、腕輪の解放がかなり厄介なものだということをミナミも理解した。

「わっ……」

 陣の真ん中に立つと、六紡星の影響かは分からないが体が軽く感じた。足元からふわふわと浮いているような不思議な心地である。先ほどまで感じていた、肌を刺すようなじりじりとした暑さもほとんど感じない。

 陣の傍にはハイネとキーナを始め、他の面々もミナミの後を追うように揃っていた。

「ここでどうすればいいの?」
「どーもしないでいい。そこに立っててくれ」
「はぁい」

 ハイネの言葉に返事はしたものの、なんとなく手持無沙汰で周りを見渡す。遠くにうっすらとシエルナの町が見えるけれど、他には何も見えない。砂漠なんだからしょうがない、と思いつつもため息が零れる。

 ふと視線を上げると、マサアがタヤクと何事かを話しているのが視界に映った。普段は見られないような真面目な顔つきに、ざわりと心が騒ぐ。

 一方、キーナはハイネと二言三言交わした後、今度はミカノに声をかけた。魔法陣がかなり大きいため、真ん中にいるミナミとは距離があって声が聞こえない。



――身ぶり手ぶりの様子からすると、なにか魔法の発動に関する感じだけど?



 そうして今度はマサアに声をかけて、同じように何かを教える。ミカノの時とはまた違う感じだった。

 そんなことが数分続いて、ようやく腕輪の開放が始まる。

 魔法陣の真ん中にミナミ。
 一番外にある六紡星の北にキーナ、東にマサア、西にミカノが立つ。

 ケイヤとタヤクは陣から外れて四人をじっと見守っていた。ハイネも二人と並んでいる。

「私からマサアに力を流すわ。それを受け止めてミカノへ流して」
「うん、了解」

 キーナの声にマサアが応え、ミカノが頷く。

「陣を走り終えたら結界に入るから。間違えないでね」
「おっけー、まっかせて!」
「わかった」
「それから、ミナミ」

 不意にキーナが声をかける。
 その目は真剣で、とても優しかった。

「飲まれないで。声を聞いて」
「こえ? 女神の?」
「いいえ。あなたの聞きたい声を」

 それだけ言って、キーナはすぐに魔力を練り始めた。



――わたしの聞きたい声……どういうことだろう



 そんなミナミの考えを打ち消すように、キュンッ! という甲高い音が耳を打った。音のした方を見れば、キーナが目を瞑り、祈るような姿で魔力を解放しているのが分かった。彼女から溢れ出た魔力は薄蒼の光となって魔法陣を伝わり、マサアへと流れ込む。

「うっ!」

 受け止め、苦しそうに呻く。

 マサアは特に魔法が得意と言うわけではない。下位の魔法が幾つか使える程度である。それなのに、キーナの無制限に湧き出る魔力を受け止めているのだ。辛いに決まっている。

 それでもぎゅうと歯を食いしばり、魔力の暴力に耐えている。キーナも制御はしているはずだが、それでも流す魔力の加減が難しい。

 魔力は魔法陣からマサアの右足を伝って体を一巡りし、最後に左足へと流れてまた魔法陣へと溶けていく。

「負けるかこんちくしょーっ!」

 魔力をうまくやり逃す、というよりも、ただ気合でミカノへと移し流すマサア。彼の大声に反応したわけではないはずだが、それでも魔力は勢いよくミカノへと流れ込んでいった。

 魔法陣を伝いミカノの足元へと流れた魔力は、彼女の体を思いっきり叩くような大きな音を立てて弾けた。

「だっ?! マサアのへたくそっ!」
「なにが?!」

 マサアのコントロールが良くなかったのか、不安定になった魔力がミカノの上半身をぐらつかせた。何とか堪えたようだったが、魔力を取りこぼさないようにするので必死な様子だった。

 いつもの彼女なら一言二言では済まない文句を投げつけるところではあるが、マサアも必死でやっていると分かっているのできつく言えないのだ。

「でぇぇいっ! こなくそっ!」
「ミカノちゃん、こっちに寄越して」
「あいよーっ!」

 キーナから延ばされた魔力の奔流はミカノのところに止まっていたものを絡め取って、正しい流れへと導いていく。

 キーナ、マサア、ミカノを巡って流れた魔力は、再びキーナの元へと戻り一つの円が出来上がる。三人の間を循環する力はやがて陣の隅々までその触手を伸ばし、魔法陣の全体に光が行き渡った。

「いまだ!」

 ハイネの声に見守っていたケイヤとタヤクが返事もせずに駆け出す。
 そしてケイヤがキーナの、タヤクがミカノの、ハイネがマサアの足元に魔法具を突き刺した。

 杭のような黒いそれは、先ほど三人が魔法陣に流し込んだ魔力を固定する為のアイテムだろうとミナミは見当をつける。現に、キーナたち三人が力を抜いても、安定した力が魔法陣に留まっているのが感じられた。
 砂漠のサラサラとした砂に突き立てられているのに、その杭はぴくりとも動かない。


――誰かが、吐息を洩らした。


「結界を張るわ」
「おっけー」
「わかった」

 キーナに応えて二人が詠唱を始めた。ミナミがその詠唱から術を割り出そうとするより早く、キーナも二人を追いかけて声を上げた。


『遥か閃光 風の傍ら 足付きたる新緑の大地』
『廻れ太陽の王 吐息という吐息を吹き起こせ』
『神の爪 神の指 神の言葉 連々なりて壁とならん』


 三重結界。

 マサアが風の精霊魔法で柔軟な結界を、ミカノが白魔法の物理障壁で強固な結界を、キーナが神聖魔法で二人の結界を調和コントロールしながら、広範囲に渡る静かな結界を張る。



――こんなきれいな魔法、みたことがない



 素直に感嘆した。

 魔力の低いマサアをカバーしつつも高位の魔法を発動させるキーナもすごいと思ったが、ミナミは特にミカノに感心していた。

 ミカノは白魔法が使えない。

 恐らく先ほど何事かを教えていたのはこの結界のことだったのだろう。短時間でこれだけしっかりとした結界を創り上げることが出来るのだから、魔力の質だけならばキーナに勝るとも劣らないのかもしれない。

「わっ?!」

 そんなことを考えていると、ミナミの両手両足が共に動かなくなっていた。指一本、ぴくりとも動かせないのだ。

「なに?! なにこれっ!」
「落ちつけミナミ。キーナ達の結界の効果だろう」
「でも、でもぉっ!」

 ケイヤがいつものように淡々と言って聞かせるが、やはり不安が拭えない。そんなミナミを安心させるように、タヤクがにっこりと笑ってみせた。

「大丈夫だ。魔法に関してはキーナが強いんだろう? ミカノもマサアも、お前を守ることしか考えてないから」
「あうぅ……」

 そう言われてしまえば、彼女にはもう何にも言うことが出来なかった。

 いちばん内側にマサアの結界が柔らかい波を打ち、ミカノの結界はそれを内包する円柱のように、魔法陣の縁に沿って空に伸びている。最後にその二つの結界を強化するように、キーナがドーム型の結界を張った。

 指一本ですら動かせない強力な結界。結界の真ん中に囚われて身動き一つできないミナミとしては、牢屋にでも入れられている気分だった。

「嬢ちゃん、いけそうか?」

 魔法陣の外側、キーナが張った結界のぎりぎりに立ったハイネが軽い口調で問いかけてくるのに対し、ミナミは瞬きをして答える。

「うーん、体は動かないけど、それ以外は特になんともないわ」
「わりぃな。そうしなきゃこっちの身が危なくなるかも知んねぇからよ」
「どういうこと?」

 彼の言葉にミナミの胸はどきりと震えた。思わず問い返すも「気にすんな」とへらりと笑って流されてしまう。その態度は今まで見ていたハイネと何ら変わりのないものであったが、ミナミの不安はざわざわと膨れていった。

「そんじゃ、腕輪を解放するぜ。“知恵の女神”……」
「キーナ」
「……わかったよ、睨むなって。キーナはさっき教えた呪文の詠唱を頼むぜ」
「えぇ」
「キーナ?!」

 ハイネの言葉にすぐに頷く彼女に、ミナミはぎょっとしたように声を上げた。

 神聖魔法ということもあるが、結界から感じる魔力は肌を覆い尽くすように濃く、それはそのまま結界の強度を表している。キーナが如何に高度な術を使用しているかを、白魔法を得意とするミナミはよく理解していた。

 たしかに結界術はすでに解放され作動している状態ではあるが、それを制御・コントロールするには発動した術に集中しなければならない。
 攻撃魔術のように“放って終わり”ではないのだ。



――なのに別の魔法の詠唱だなんて……制御できるの?!



「心配しないで、ミナミ。マサアとミカノちゃんがフォローに回ってくれるから」
「でも」
「大丈夫。だから、ミナミも私が言った言葉を忘れないで?」



――あなたの聞きたい声を聞いて



 キーナが告げた言葉を思い出す。
 ミナミは力強く彼女を見つめ頷こうとしたけれど、首はちっとも動かなかった。

伽世
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伽世

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