◆ 死人
『……ぃる……』
「ミナミっ!」
ミナミのか細い喉を震わせて“女神”が言葉を紡いだ。
『フィル……フィル……っ!』
はらはらと涙を零すミナミを視界の端に捉えつつ、ミカノとケイヤはただ一人、結界を維持し続けるキーナの元へと集まる。
彼女の両腕ががくがくと震えていることに二人とも気付いたものの、どうすることも出来ずに歯噛みする。
「んっ……!」
「キーナちゃんっ!」
「だいじょう……んんっ!」
そんなやり取りの間にも“女神”の力はますます増大して、キーナの身体に傷を付けていく。吹き荒れる風は女神の力を纏い、カマイタチのように彼女に襲い掛かる。流れる血もすぐに宙へと浚われていった。
――人の力では抗うこともできないの……っ?!
内心で挫けそうになりながらもミナミを助けたい一心で結界をより強固にし、女神の暴走を許すまいと抵抗する。
「……っ?」
両の手から魔力を放出して抗っていたキーナであったが、ふと、襲い掛かる力が弱まったように感じて眉を潜める。
痛みに瞑っていた目を薄く開けたキーナは、視界に飛び込んできたその姿に驚いて思わず声を上げた。
「ケイヤっ! ミカノちゃ……っ!」
現れたのはケイヤとミカノであった。
拮抗する力と力の間に無理やり割り込んだ二人の体は、あっという間に女神の力によって切り刻まれる。
血が、キーナの頬に飛び散った。
「気にしないでっ! あんなんに負けて結界解いた自分に腹立ってんのっ!」
「集中しろ。お前の力が途切れたら、この魔法陣も意味がなくなるんだろう」
両の手から魔力を放出してキーナに降り注がれる女神の力を少しでも打ち消そうとするミカノと、魔力剣を使って流れを逸らすケイヤと。
その姿が見えただけで、気力が戻った気がした。
「……ありがとう」
そのままミナミの様子を探る為に、眼を皿のようにして凝らす。彼女の掛けた眼鏡には砂が付けた細かな傷が無数にあって、視界が淀んで見えるのだった。
――ミナミ……っ!
一方で、マサアはタヤクとハイネによって羽交い絞めにされていた。先ほどから何度もミナミの元へと走って行こうと必死だったのだ。彼の馬鹿力はタヤクだけでは止められず、仕方なくハイネも手を出したという状態である。
「離せっ! タヤクっ!」
「馬鹿かお前はっ!? あの状態のミナミに近寄ってどうなる!」
「だって見ろよっ!」
ミナミの全身は赤に染まっていた。
可愛らしくツインテールに結わえられていた桃色の髪は、ゴムが吹き飛びばらばらと風に流されている。
好きだと言ってカレアナンで買ったばかりの白いワンピースは、あちこちが破れ、裂かれ、血は濁々と溢れ、零れ、飛んで。
「あんな……っ、女の子なのにっ!」
悲痛な叫びは、砂漠の空へと溶けて消えた。
タヤクとて彼と同じような心境である。大事な仲間があんなにも傷ついているのだ、どうにかしてやりたいが、しかし魔法を扱えないどころか魔力の欠片もないタヤクにはどうしようもなかった。
「畜生っ!」
思わず吐き捨てるタヤクの空色の瞳が、ふと向かい合うハイネを捉える。その目ははっと見開かれ、タヤクではなく、その後ろを見ていた。
「――どうぞ、下がっていてくださいな」
タヤクの鼓膜を、聞き慣れない声が打った。
状況を忘れて「え?」という呆けた表情でそちらを見やり、涙で顔をぐしゃぐしゃにしたマサアも、同じようにそちらに顔を向ける。
彼らから少し距離を置いた場所に、声の主は立っていた。
漆黒のローブを纏ったその人は、頬にかかる栗色の髪を手で払い、瞳はマサアたちを見ることなく、真っ直ぐにその向こう、ミナミを射抜くように見つめている。
「下がっていて下さいな。生身のあなた方では危ないですから」
鈴の転がるような、高くもどこか可愛らしい声は、街中で聞いたリイセの声であった。
「リイセっ?!」
訥々と語る彼女の言葉を受けて真っ先に反応したのはハイネであった。彼女も彼の声に反応して、ようやく視線を向ける。
「お久しぶりですね、ハイネさん」
「お久しぶり、って……お前」
「あなたも積もる話があると思うけれど、今はあの女神を止めることに集中しましょう。どうせ私を呼び寄せるための浅知恵を使った結果でしょうから」
「うっ」
リイセの言葉はハイネの内側を相当抉ったらしく、大袈裟に呻いて顔を伏せた。その力が緩んだ隙に、彼とタヤクを振り払ってマサアが駆け出す。
「あっ!」
事態に気が付いたのであろう、ミカノの声が聞こえたけれど気にしない。
――あの人はミナミを助ける方法を知っている!
まさに降って湧いたチャンスに一も二もなく飛び付こうとして……マサアはリイセをすり抜けた。
「え……?」
「私に触れることは出来ませんよ」
「また幻覚なのか?」
呆然とするマサアと、問いかけるケイヤ。リイセはふるりと首を振った。
「私は、生きていません」
「?!」
「とっくの昔に殺されました。あの黒き“破壊神”によって」
言いながらリイセはローブのフードを下ろした。栗色の艶やかな髪と、イチゴのように淡い赤色の口紅。
――それから、白目と黒目が反転した瞳。
「この眼は“呪われた目”。彼の大切な人を殺したときに、彼が私たちに付けた罪人の印」
「彼? 破壊神のことか」
「大切な、人?」
タヤクとマサアから問いかけられる言葉に、リイセは小さく頷いて応える。
「えぇ。破壊神――フィルは、とても優しい人だった。でも私たちは……女神に愛された彼を妬んだ。憎んだ。嫉妬した。異常なほどに。そしてそれはいつしか力を持つ彼への恐怖へと変化し、彼の大切な人を殺してしまうことになったわ」
破壊神の名前だけでも驚いたが、その内容にも驚いた。
ミカノとケイヤがロウから聞いたのは“一柱の女神が一人の青年に恋をして、自身の力を分け与え、結果として暴走し、破壊神が生まれた”というものであった。
リイセが言うようなことは世間に広まっている三柱物語にも、ロウの語った話にも一切なかった。
タヤクたちはそれに疑問を抱いたが、問い質す間もなくリイセの唇がわなないた。