◆ 利用
話の区切りがついたのを見計らい、ケイヤが体を預けていた壁からすっと離れ、部屋にいる全員を見回す。未だ嗚咽の止まらないミナミに目を止めたが、すぐに視線は外された。
そうしてよく透る声で、彼は告げたのだった。
「夜も更けてきた。今のうちにもう少し先に進みたい」
その言葉に三人が頷き、ただ一人、ミナミだけが「え?」と声を漏らして首を傾げた。思わず上げた声もわずかに震えている。ケイヤの言葉が暗に“この屋敷を出ていく”と言っていることが分かったからだ。
「ね、ねぇ、どういうことなの? どうしてみんなここを出ていくの?」
「ミナミ……」
「ど、どうして? だってもう夜中なのよ、こんなに外は暗いのよ?」
カーテンが開けられ月の明かりを招いている窓の外は、たしかに彼女の言う通り闇へと沈んでいた。良い月夜ではあるが、鬱蒼とした森において月光は、あまりにも無力である。
しかしケイヤはミナミの言葉に首を振って否定し、
「暗いからこそ、逃亡するには都合がいい」
きっぱりとそう切り返したのだった。
キーナは先ほどまでの微笑みはどこへやら、一転して無表情になり、その目を伏せている。タヤクも困ったように眉をハの字にしながら、曖昧に笑むだけである。
「あっ」
順繰りにそれぞれの表情を伺っていたミナミだったが、突然脇を抱えられてベッドの上に下ろされる。いままで膝に乗せて彼女を抱きかかえていたマサアが、そっと移動させたのだ。
それにも動揺して「マサア?」と小さく名を呼ぶも、彼は黙ったまま、視線を逸らした。
「……っ」
「このまま此処にいては、あなたに迷惑がかかるの」
「そんなのいい!」
「ミナミ」
静かに諭すようキーナとタヤクが声をかけるが、聞きたくないとばかりにぶんぶんと首を振って拒絶を示す。きっ、と見つめてくるアメジストのような瞳には、またも涙が浮かび上がっていた。
「やだっ! もっとここにいて、一緒にいさせて?!」
「それは……」
「お願いっ! 迷惑なんかじゃないからっ! かけないから!」
必死に、縋りつくようにマサアにしがみつく。それには彼も少なからず動揺した。振り払うこともできず、困ったようにミナミとケイヤを交互に見る。
「……」
彼は沈黙したまま、マサアと、彼にしがみつくミナミをじっと見つめている。
そうしている間にタヤクとキーナは顔を見合わせ、彼女はなにかを諦めたようにミナミに向かって口を開いた。
「私たちと一緒にいたら、理不尽に命を落とすことになるわ」
「構わない!」
きっぱりと、ミナミは言い切った。
「本当はいまごろ売られてたかもしれない、死んでたかもしれないのよ? だったら、これからそうなってもいい!」
「……」
「一人は、もう嫌なの……っ」
堪えていたものが切れてしまった瞬間であった。
十二、三の少女が親に切り捨てられ、夜闇の中を走り、どことも知れない場所の朽ちた廃屋にただ一人で逃げ込んで。ミナミがいつからここにいたのかは分からないが、それはとても心細い時間だっただろうことは容易に想像ができた。
「――キーナ」
沈黙が落ちた空間に、ケイヤの声が凛と響く。呼ばれた彼女は彼の傍に歩み寄り、二言三言交わした後、その表情を悲しげに崩した。その様子をじっと見つめていたマサアたちだったが、やがてキーナがケイヤに向かって頷くと、再び彼が言葉を紡いだ。
「この屋敷にキーナの結界を張って、しばらくあちらの様子を見る」
「ケイヤっ?!」
驚いたマサアが声を上げ、タヤクも背を預けていた壁から身を離して目を見開く。それにはケイヤではなくキーナが答えた。
「ミナミをここに置いておくのも問題だし、近くの街に届けるのもいいと思うの」
「わたしは……っ」
「もちろん、ミナミが私たちと一緒に居たいというのならば……それもいいわ」
慌てたミナミの言葉を遮って、自分たちと共に行くことも善しと言う。先ほどまでとは打って変わった意見に、タヤクの目が訝しげに細められた。
その視線を甘んじて受け入れ、そして、
「――ミナミには、治癒魔法の才能があるようだし」
そう悲しげに呟いた。
「……」
「キーナ……」
深く息を吐くタヤクと、思わず彼女の名を呟くマサアと。
自分の発言を非難されることに対して覚悟していたキーナであったが、二人はそれをしなかった。
ミナミを、自分たちの“戦い”に巻き込むこと。
それを、彼女は決断した。
「本当にっ?! 本当に一緒に居てもいいの?!」
重く沈んだ空気に気付かないミナミは、その愛らしい顔をぱぁっと明るくさせて、四人の顔を順繰りに見回していく。ケイヤとキーナは何も言わず、タヤクが「よろしくな」とだけ言って笑いかけてやったが、その笑顔はどこかぎこちなかった。
「うんっ!」
それにもとびきりの笑顔で答えたミナミは腰かけていたベッドから立ち上がり、傍にいたマサアに向かって、
「よろしくね、マサアっ!」
と、手を差し出した。
その小さな手をじっと見つめ、一瞬だけ辛そうに表情を歪めたマサアだったが、すぐに彼女の手を握り返し、
「こっちこそ」
そう、穏やかに返したのだった。