◆ 秘密

『今すぐここから連れ出してやる』

それは 昔聴いた 本気の言葉。


◆ ◆ ◆


 空が広がる。底抜けに青い空。



――なんかいいなぁ



 木の枝に寝そべりながらうとうとしていたマサアは、そんなことを思っていた。眼下では術の稽古をしているキーナとミナミの姿があり、彼女たちは額に汗を浮かせながら魔力を練り上げている。
 マサアはそんな二人の護衛役としてこの場にいるのであった。


 ミナミが仲間に加わってから二年が経つ。
 彼女も十四歳というお年頃になり、キーナを抜かす回復魔法のエキスパートになっていた。

 回復役を増やす為に徹底して享受したということもあるが、ミナミ自身そちらの才能が秀でていた。神官だという祖父母の血を濃く受け継いでいたのであろう。回復魔法の基礎を教えた途端、それをもとに新たな魔法をあっさり組み立ててしまったのだ。

 キーナが言うには、魔法の組み立て自体は簡単らしい。
 言葉とその意味と効果、それらをきっちり嵌め込めて創る『パズル』のようなもの、とのこと。彼女自身も実際に幾つか創っている。

 だがそれには魔法の基礎をきちんと理解していなければならない。そうでないと組み立てた魔法が発動しない恐れもあるし、最悪の場合魔力の暴走、暴発……などということもあるのだ。

 魔法の基礎と仕組みは専門用語の世界であり、術のレベルが高いほどその意味は難解になる。マサアなど、中位魔法の素養知識を学習している最中に、理解することを諦めた。

「……頑張ってるなぁ」

 ぼうっ、と木の上からマサアが見ていることなど知らないミナミは、一所懸命キーナの言葉に耳を傾け、また自分からもどんどん質問をしていった。


――ほんと、一所懸命だもんなぁ……


 自分より五つ下の少女は、自分よりも懸命に魔法に取り組んでいた。それも、彼女なりの覚悟の現れだと分かる。

 二年前、彼女が自分たちと行動を共にすると決めた時、様々な話をした。

 マサア達四人が監禁されており、そこから逃げ出したこと。
 逃げ出した為に、追われているということ。
 そして、自分たちが自由になる為に、戦いをも辞さないこと。

 いざという時には彼女をどこかの街に預けられるよう、細かいことは話していない。監禁されていた場所の名が“鳥籠”ということや、そこがどういった施設なのかも。


――他にも、いっぱい言えないことがある


 これからも追われる日々は続くし、襲われることもあるだろう。しかし、それでもいいとミナミは言ったのだ。

「話を聞く限り、みんなが怪我した時に回復できるのはキーナだけなんでしょう? だったら、わたしがいても損にはならないわっ!」

 その時の朗らかな笑顔を、マサアは忘れられなかった。

 たしかに治癒や支援を務めるのはキーナであった。彼女が唯一、四人の中でそれらの系統の術を使いこなせるからだ。マサアも術の心得はあるが、治癒術は擦り傷を治す程度のものしか使えない。けれどキーナも本来は、攻撃魔法による超遠距離戦を得意としている。

 タヤクは赤手空拳のスタイルであり、ケイヤも剣による近接戦を得てとしていた。マサアはナイフを使った近中戦をメインに、下位の攻撃魔法も扱える。

 ここに治癒・支援専門としてミナミを投入すれば、大幅な戦力アップとなるであろうことは容易に想像できる。安定した回復があるのとないのとでは、かなりの違いが出てくるのだ。


――……キーナを護るためだもんな


 そんなことを考えているうちにマサアの眼はすっかり冴え、気が付けばミナミの姿も見えなくなっていた。どうやら今日の修練は終わったらしく、彼女だけ先に家へ帰ったようだ。

 寝そべっていた木の枝からぽんっ、と降り立ち、一人佇むキーナの傍に歩み寄る。彼女も彼がいたことに気が付いていたようで、そちらへと振り向き、マサアと向き合う形となった。

「どう? ミナミの様子は」
「そうね。呑み込みがいいし、治癒術だけなら私を上回ったでしょうね」

 その言葉とは裏腹に、キーナの表情は明るくない。それに気付いていながらも、特に言及することもなく、「そんなにすごいの?」と新たな問いを投げかけた。

「えぇ。ミナミに教えることも少なくなったわね」
「そんな成長早いんだ」
「早いわ。戦力にはならないけれど、生き延びる可能性は多少増したでしょうね」

 そう言ったキーナの顔はますます曇っていき、終いにはマサアの視線から逃げるように伏せてしまった。ミナミに対してなにも話せていないまま巻き込んでいることに、キーナは罪悪感を覚えているのだ。

 そんな彼女の内心など露知らず、

「大丈夫だよ、おれはなにがあってもキーナの味方だ」

 そうキーナを励ますように優しい声音で言ったマサアだったが、その瞳がわずかに揺らいだのをキーナは見逃さなかった。

 彼とキーナとケイヤと、誰もいない“鳥籠”に閉じ込められたのは三人が最初であった。“鳥籠”に連れて行かれる前からの知り合いであり、いわゆる幼馴染である彼らは、お互いを支え合って生きてきた。

 三人は幼馴染であり、“家族”でもあったのだ。

 ずっと傍にいた三人だったからこそ、タヤクやミナミではわからないようなお互いの心の機微にも聡く、それ故キーナは気が付いていた。

 マサアはミナミに心を寄せていると。

「……」

 “鳥籠”に入る前は幼すぎて、異性に対する恋愛感情というものを知らなかった。入ってからは外界との接触がなく、“飼育者”や“教育者”としか触れることもなく。

 そんな世界から飛び出して、初めて出会ったのがミナミであった。
 彼女はキーナと違って感情の起伏が激しく、それらはすぐ表情に現れていた。怒ったり笑ったり泣いたりと、実に様々な感情のやり取りがこの二年の間に凝縮されていたのだ。

 周りにいたケイヤやキーナは賑やかなのは得意ではなく、必要な時以外は聞き役に徹しているという部分もある。タヤクもマサアとふざけることもあるが、それでも落ち着いている性格であり、諌める役も担っていた。

 そんな三人に囲まれていたマサアは、ころころと感情が変わりやすいミナミに初めは圧倒され、若干辟易していた部分もあった。それからだんだんとその明るさが可愛くもなり、次第に愛おしいものへと変わってきた。

 何がきっかけだったかも定かではない。
 けれども、たしかにそれはミナミに向けた恋慕の情であった。

 ミナミも同じく、彼に好意を抱いていた。むしろ、彼女の想いの方が強く表に出ている。初めて出会った時からマサアに懐いていたように見えたが、それはキーナの勘違いではなかったようだった。何かにつけてマサアの傍に行ったり、大好きなどと他愛もなく言ったり。
 きらきらと輝くようなミナミの笑顔は、朴念仁のケイヤから見ても分かるほど、マサアへの気持ちが溢れていた。

 マサアはそれを受け止めて……それだけであった。

 “鳥籠”を逃げ出すときにマサアが誓ったのは、“キーナを護ること”。
 それはなによりも優先しなければいけないことだと、彼の中では重い楔になっている。

 それも分かっていたから、キーナは悲しかった。


――マサアの想うように生きてほしいのに


 自分のことなど放っておいていいのだ。彼が望むよう、ただ幸せに生きてほしいのに。

「……ごめんなさい、マサア」
「どうして謝るのさ、変なキーナ」

 青空に映える彼の笑顔はとても眩しくて、キーナにはとても見つめていられなかった。

「そうだ。悪いけれど、ミナミのところに行ってあげて? 暇だって駄々こねてタヤクを困らせてるわ、きっと」
「ん、分かった」

 軽く頷いてその場を離れようとしたマサアだったが、

「キーナも、夏だからって油断してると風邪引くからなっ」

 そう言い含めてから、今度こそ振り返ることなく家へと走った。


――ドアが閉まったのと同時だったろうか。


 キーナの背後に、夏にも関わらず黒のハイネックを着た青年が佇んでいた。真っ白な肌に長い睫毛が影を落としていて、静謐な美しさが漂っている。

 先に口を開いたのは、振り向くこともしないキーナだった。

「面倒ね」

 ぽつりと洩らす。
 青年――ケイヤは、僅かに顔を伏せたキーナの後頭部を訝しげに見、

「ならやめればいい」

 と、至極簡単に言ってくれた。その言葉に安堵を覚える。それでも彼女はふるりと首を振り、黒髪を揺らした。

「出来ないわ。しなければ、みんな」
「周りばかりを見るな。お前の意思を尊重しろ。命が係っているんだ」

 ケイヤの口調はいつもと変わらず淡々としたものであったが、心底から言っていることはキーナが誰よりも分かっていた。それはとても嬉しくて、そしてどうしようもなく遣る瀬なくて。

「……でも、私があの場所から逃げ出したせいで、あなたたちが死んでしまうかもしれない」

 消え入りそうなか細い声に、ケイヤは小さく息を吐く。それでもキーナの独白は、堰を切ったように溢れ続けた。

「ミナミも巻き込んでしまったわ。もう、戻ることもできない。上手くいくかも分からないのに、進むことしかできない」

 そこまで聞いてから、ケイヤは振り向かない彼女の前へ回り込み、その頬に手をかけて無理矢理に視線を合わせた。揺らぐ彼女の瞳は、何に恐れを抱いているのだろうか。

「俺たちのことは考えるな。死ぬときは死ぬ」

ケイヤの声音はぞっとするほどの冷たさを孕んでいたが、キーナには不思議と心地好い、聞き慣れた声でしかなかった。

「俺たちはお前に自由を与えるために逃げだした。なのに俺たちに縛られてどうする」

 僅かな沈黙。
 有無を言わせない口調。

「――そうね。うん、そう」

 ゆっくりと、身に染み込んでいく言の葉。

「ありがとう」

 キーナは穏やかに微笑ってみせた。その笑みが彼を納得させる一番の手段だから。

 そして、近くの木に凭れるように座り込む彼女とは反対に、ケイヤは再び警戒に当ろうとした。
 ミナミと出会った廃屋で暮らし始めてすでに二年。“鳥籠”の動向も分かると思い、キーナによって迷彩魔法による結界を張り巡らせて暮らしてきた。迷彩魔法は廃屋を外の景色に溶かし込み、その存在を視覚出来ないようにする効果がある。

 マサアが持っていた魔法の道具――マジック・アイテム――にキーナの魔力を定着させ、それを屋敷の四方へ置くことで結界を維持しているのだ。定期的に結界に綻びがないかを確認していたが、この二年何もなかったからと言って楽観はできない。

 そうしてその場を離れかけたケイヤだったが、一度だけ、キーナの耳元に顔を寄せ、囁く。

「もしもお前が自分から死のうとするならば……その前に俺がこの手にかけてやる」


――剣の錆にして、いつまでもお前の残骸を引きつれてやる


 囁いた彼の声は氷の如く冷たく、キーナの耳に響いた。

 そして今度こそ彼は森へと足を向け、あっという間に姿が見えなくなる。キーナは先程までミナミと修練をしていた疲れの為か、そのまま寝入ってしまった。

 風が、黒髪を撫ぜた。


◆ ◆ ◆


「マーサアっ! 遊ぼっ」

 マサアがリビングへの扉を開けてすぐ。そう言ってミナミは体当たりを仕掛けてきた。一応「ぐえっ」などと言ってみせるが大したことはない。

「さっきまでぐだぐだしてたのにな」

 ソファに座っているタヤクがおどけたように話を振ると、彼女はにっこりと笑って、

「だってマサアが帰ってきたんだもん!」

 と、実に喜ばしげ。これにはタヤクも諸手をあげ、苦笑した。

 住み始めた頃は蜘蛛の巣や埃にまみれていた廃屋も、二年の間にすっかりきれいになっていた。掃除はミナミとキーナが頑張ったのだが、腐った木の床や剥がれた壁紙の修繕などは、マサアが一手に引き受けたのだ。

 器用な彼は何でもないことのように作業していたが、なにも分からないミナミは、マサアの手によって修復される廃屋の様子を「魔法みたい!」と称していた。
 タヤクが腰かけているソファやその前に置いてあるローテーブルなども、元々ここに置いてあったものをマサアが手直しして使っているのだった。

 向かい合うように床に座り込んだマサアへにやりと笑いかけながら、

「モテてるな、マサア」

 などとタヤクが言えば、茶化されていることを分かっているのかいないのか、

「あはははっ!」

 と、マサアは満更でもないように大声を上げて笑い返す。それに乗って、腰に手を当て胸を張ったミナミが合いの手を入れた。

「そーよ、わたしが好きって言ってるのよ、感謝しなさい! もちろんタヤクもケイヤも、キーナも好きよ」

 実に尊大な言い方に二人は苦笑しながら「ありがとうございます~」などと、頭を垂れて見せた。それを見たミナミは満足そうにふふっ、と笑う。
 その笑顔も束の間、彼女はすぐにマサアの隣に座り込み、じっと彼の目を覗き込みながら、真面目な口調で詰め寄った。

「で、キーナと何を話してたの?」
「へ?」

 普段とは違う、若干強張った表情で問い詰めてくるミナミに、マサアは心底から「へ?」とだけ言葉を漏らした。
 そんな彼の様子を“なにかしら誤魔化そうとしている”と受け取ったのか、ミナミの表情はますます険を帯びる。するとマサアの表情はさらに困惑顔になり、少女の問いの意味が分かったタヤクは破顔した。


――要するにこのお嬢様は、キーナに嫉妬してる、ってワケだ


 なにせミナミが知る限り、彼女が一番マサアと付き合いの深い女性だ。それがミナミには歯痒いのであろう。
 そんなことに鈍いマサアはきょとん、として、

「別に、いつもみたいな会話だよ」

 と、にっこり笑顔で返す。背が高いし体格もいいが、童顔なせいか花が綻ぶように愛らしく笑う。
 一瞬それに見惚れたミナミだったが、首を振って我に返る。マサアは実に素直に本当のことを言っているのだが、初めから穿って見ている彼女からしてみれば「なんか隠している」という疑念を深める一因にしかならない。


――そりゃ、わたしよりキーナの方が綺麗だけど……


「わたしのほうが可愛いもん……」

 ぽつりと呟いた言葉はすぐに消えて、マサアの耳に届くこともなかった。

 一方で、二人の様子を傍から見て笑っていたタヤクは、“面白いことを思いついた”とばかりに、にやりと笑う。面倒見がよくお人よしの彼に、いたずらっ子のようなその表情はひどく似合わない。

「どうせ“花嫁”のことだろう?」
「た、タヤクっ?!」

 けろりと言うタヤクに、マサアのほうが焦る。いつもなら彼が余計なことを言い、タヤクが諫めるという役割なのだが、今は逆転している。マサアの焦り方も尋常ではなかった。その顔色は蒼白と言う言葉がよく似合うほどで、あうあうと口を動かすだけで声にならない。

 そんな二人を怪訝そうに見るミナミの表情が、みるみるうちに変わっていった。

「は、花嫁?」
「……うん、そう」

 諦めた、といった風情でがっくりと肩を落とし答える。タヤクは変わらず、愉快そうに彼女たちのやり取りを見ていた。ミナミの方は笑えるような状態ではない。

「どーいうことっ?! マサアとキーナ、結婚しちゃうの?!」
「しないしないっ!」

 マサアの肩を両手で引っ掴み、がくがくと前後に揺さぶる。慌てて否定したマサアの言葉を無視し、タヤクがさらに笑みを深めてミナミを追撃した。

「まぁ、キーナの相手はオレかもしれないし、ケイヤかもしれないしな」
「ふぇっ?!」

 あまりといえばあまりの発言に、思わず閉口する。仕方なかろう、なにせキーナ一人に三人の花婿候補。うち一人は大好きなマサア。
 自然と、目尻に涙が浮かんだ。

「あっ、うぁっ、誤解しないで!」

 嗚咽を上げ始めていたミナミに、慌ててマサアが言い被せる。しかしそれはタヤクを慌てふためかせる結果になってしまった。

「ミナミも“花嫁”になれそうなんだよっ!」
「うわバカっ!」

 え、と顔を上げるミナミの目に映ったのは、タヤクに叩かれるマサアだった。
涙で滲んだ視界には、怒ると同時に呆れているタヤクの表情が写り、深い溜息を吐き出しているところだった。

「そこまでバラすつもりはなかったのに……」

 と、至極不服そうに言った。その言葉を受けて、マサアの顔色が目に見えて蒼褪める。

「早く言えよ、そういうことはっ!」
「お前が考えなさすぎなんだろう? 大体、キーナは“花嫁”を辞めるために逃げ出したんだぞ?」
「そ、うだけど……でもさぁっ!」

 ぎゃあぎゃあと怒鳴りながら互いを罵りあう二人の姿は、滑稽以外の何者でもなかった。


――花嫁になるのを止める、って……結婚しないってこと?


 二人のやり取りを眺めていたミナミは、落ち着かない頭で一所懸命に考えていた。

 マサアにタヤク、ケイヤはキーナと結婚するために一緒に居た。
 けれどキーナがそれを嫌がって、何処からか逃げ出してきた。


――でも、わたしも花嫁候補になるって……?


 思わず眉間に皺を寄せていたミナミに気が付いたのか、マサアとの言い争いをストップし、タヤクが溜息を吐き出す。

「仕方ないから、今晩にでもキーナに詳細を聞きな」

 そう半ば投げやりに告げた彼は、そのままこの場を後にした。

「……」

 マサアも僅かながら居心地悪そうにし、冷蔵庫からジュースを二本取り出して自室へと退散する。夕食まで篭るようだった。

伽世
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