† 二十の罪――鉐眼の叛徒(参)
人間の欲は、とどまることを知らない。天文学的な確率で人間に生まれることができたのに、人間以上を目指してしまう。
(でも、もう十分だ。兄貴みたいなヤツを見るのは、こっちだって辛ぇんだよ…………)
祖父がボケ、家族の不仲が加速した頃、彼は誰より心を痛めていた。衰えることのない命を求めるあまり、人の身には過ぎた奇跡にすがって象山紀章(あいつ)が生まれたのだろう。
だから――――
「……弱くちゃダメなのかよ。何のために強いヤツが力を持って生まれてきたんだ!」
そう、声を大にして呼びかけた。
「捨てる神あれば拾う神あり。頑張っても一人前になれなくとも、二人分を担げるヤツが引っ張りあげてくれっかもしんねーだろ……!」
包帯が千切れ、全貌を露わにした素顔が、凄まじい形相で俺を覗き込んでくる。醜く歪んでいるが、怖くはない。
ただ、その狂気に支配された眼光は、あまりにも悲しすぎる耀きを湛えていた。
† † † † † † †
「遍く生き物とは、上へ上へと日輪に向かって生くる存在(もの)。唯、人間のみを除いて」
眼下の死闘を静観していたルシファーが、ふと独白する。
「何がそうも彼等を動かすのかと思えば、道理で此の身が存じぬ筈よ。其れこそが、余が解せずにいた愛とやら、か――――」
象山の鉾が両断され、屋上から転がり落ちていった。
「受け入れろ、この世界を。俺も、兄貴のすべてを受け入れるから」
肉体を構築する怪魔の大半が死滅した彼を正視しながら、信雄は前進する。
「超越者なんてのは魔王(こいつら)がやりゃいーんだ。凡人のクセに似合ってねーんだよ。凡人なりに努力する秀才が兄貴だったろ……だから、戻って来い! にいちゃん」
残った身体を波打たせ、嘲笑する黒影。
「ク、ククク……専門家ともあろう身で、怪魔が負の心を糧にすることを忘れたか? 実体だけでなく、魂をも奪い去るのが奴等だ。同じく怪魔を宿した身のお前なら分かるだろう。戻る場所も権利も赦されないということが……! お前が真にこの兄を想っているのならば、最後に出来ることは唯一つ。その手にした力の限りをもって、手向けとするがいい」
「兄貴…………」
双唇を噛み締める信雄を、値踏みするように彼は見遣る。
「どこで間違えてしまったのかは分からない。しかし、愚弟が修羅と生まれ変わる為に散り、死して未来の礎となる。本望じゃないか」
死に瀕しても、涼しげな隻眼。
「とはいえ、むざむざ殺される私ではない。探究者(おとうと)よ、我が最後を歴史に語り継ぐとせよ」
再び彼が燃えたぎるように怪魔を覚醒(おこ)すと、信雄もまた、カルタグラを握り直し
「分かったよ――最後の兄弟ゲンカだ」
かつてなく長大な紫炎を現出させた。
† † † † † † †
振り返れば、いつも彼がいた。
「兄貴、ついに外交官になったんだね! おめでとー!」
「ありがとう。でも、これは第一歩だからさ」
「平和への第一歩だね。兄貴が話し合いで解決できなかったときのために、俺は剣道もっと強くなっとくよ!」
「ははは。それは頼りがいがあるけど、勉強もしなきゃだめだぞ。これからは教えられる時間も少なくなっちゃうけど、ちゃんと頑張れよ」
そばにいられないときでも、俺の心を支えてくれていた。
あのときだって、兄貴の未来(みち)を俺が往くって決めたから、とんでもない組織に巻き込まれてもやっていけた。
(――――親父、兄貴、俺は人をやめてしまいました。ちょっと怖いけど、人を超えることで、兄貴の分も人を護れるようになります。俺はまだそっちには行けないけど、誰よりも頑張るから、誰よりも見守っててください)
本当に、誰よりも見ていてくれたんだね。
(兄貴……俺、兄貴の道を歩けてるかな――――)
「手を緩めるな! お前はその身に魔を宿し、魔を討つ戦士だろう? それとも、その自覚が能力に追い付いていないのか!?」
息もつかせぬ攻防の中、彼の大喝が耳朶を打つ。
「お前までもが奴等に屈し、我々兄弟の夢を、夢で終わらせる気か……?」