† 終わりの罪――夢の彼方(はて)に(弐)
「待ってたのに素通りしたのはそっちでしょ」
岩陰から不満のこもった声がした。隠れて人の独り言を聞いてるなんて、相変わらず悪趣味なヤツだ。
「知んねーわ。もっと存在感を放てよ、あいつみたいに」
目の合ったルシファーも近づいてくる。
「昨晩、彼奴が地獄に来おったぞ」
「ずいぶん早ぇな。さすが重罪人。で、なんか言ってたか?」
† † † † † † †
「やはり貴様が此処に堕ちるは必然であったか」
闇底の主は、現れた男に玉座から話しかけた。
「魔王殿、愚弟が世話になり申した。私が天に召されようものなら、世界の意思を疑うというもの」
直接ルシファーを前にしても、気圧されることなく挨拶する象山。
「礼には及ばず。余は斯様に退屈を極めていた故な。現世を覗いた折、目に留まった迄の事」
「もう対価とする魂も無い身で恐縮の限り。しかし、一つだけ聞き届けてもらえるのならば、どうか今後も信雄を護ってやっていただきたい。私には叶わなかったが」
その要請に殺気だった傍らの悪魔たちを、魔王は手で制する。
「人間とは不完全なもの。然れど、其れが故に面白い」
是非を返すことなく、彼はそう呟いた。
「なあ、あんたって実はいいヤツなんじゃねーの? 戦に敗れ、天から落とされる直前、ルシファーは最後のあがきで、人間へ火を放ったって聞いたことがある。でも実際、それは攻撃じゃなくて、一見は危険だけど使い方をを理解すれば便利なものを人類にあえて与えたんだろ? 自分で考えて活用しろって」
信雄の質問に、魔王は振り向こうともしない。
「さてな。斯様に古き事、疾うに忘却(わす)れたわ」
「つまり、それも自分で考えろ、そういうことか」
ふてくされたように無視していたルシファーだったが、居た堪れなくなったのか、冷淡に告げる。
「己で考えよと申しておる」
「ほら、やっぱそうじゃねーか! 俺もさ、自分で考えた上で選んだこの道を全うするって決めたんだ。っつーわけで、これからもよろしくな」
「……好きにせよ」
彼は観念して、切れ長の目を伏せた。
「意外と純粋だから誘導尋問にひっかかっちゃうんだね」
横で桜花が微笑む。
「そう云えば、其方の事もベルゼブブが話していたな」
「え、なになにー?」
瞳を輝かせ、身を乗り出す彼女。
「恥ずかしい故、伝えるなと口止めされておる」
「えー、じゃあなんで言ったのー。逆に気になるじゃん」
「話題を変えるために適当こいただけだろうから、あんま気にすんな」
桜花に周囲を回られてルシファーが迷惑そうにしているので、信雄もまた、適当に宥めた。
「二人とも、元気でね」
軍服に身を包んだ桜花が、右手を差し出す。
「ほんっとベタなことしか言わねーな。ま、でも意外と似合ってんじゃん。あんたは日本を頼むぜ」
次に信雄が彼女の手を取るのは、いつになるのだろうか。
「すぐに戦争が起きるようなことはないと思うけどね。まあ魔力は隠してるけど、特訓のかいあって、新人の中じゃ使えるほうみたいでよかった」
「日頃から戦えるようにって、いつも多聞さん言ってたもんな。俺もまだまだ強くなるぜ」
「して、お前が赴くは昏き夜明け。日輪の無い朝で、何処迄で剣を執る?」
ルシファーを不敵に見つめ返す信雄。
「さあ、どこまでかな。あいにく死ねないもんで」
「奇遇よな。余もまた、死ねぬ身だ。進み続けるが良い。其の生き様(たたかい)、見届けて遣ろう」
「心得た。然れど長くなるぞ」
彼の口調を真似て、少年は笑ってみせる。
「望むところよ」
「あんた、実はけっこー暇だろ?」
遠ざかってゆく二人が見えなくなるまで、少女は見送った。
緑川信雄は、どこにでもいるような普通の高校生ではない。少なくとも、桜花(かのじょ)はそう思っている。
この世の限り、果てのない道を歩み続ける彼は、今日も人知れず剣を振るうのだった。
「あんたが本気でこの魂を糧にしてたら、俺は何度でも死んでた。死なない程度に苦しませるのを観察とは、素敵な趣味をしてやがる。でも実際、俺の時間を止めたっつーのはウソだろ。不死身だと思って無理しすぎちゃったらどうしてくれんだか」
歩きながら信雄が口にする。
「其の為に余がいる故、案ずるな」
「どんな代償かとビビらせやがって、結局はボランティアかよ」
溜息をついた彼を、ルシファーはまじまじと眺めた。
「勘付いておったとはな」
「気づいてねーフリ、なかなか上手かったろ? ぼくは歳をとるから、きみたちの足をひっぱっちゃうよね、とか遠慮してたあいつには悪いが、真相を知ったら付いてくって言い出しそうじゃん」
「違い無い」
上機嫌そうに、相槌を打つ魔王。
「あんた、意外と笑うよな」
「なっ、何を……! 置いてゆくぞ、戯けが」
顔を背けるように、彼は足を速める。
からかうように笑い飛ばし、その意外と小さな後ろ背を信雄は追った。