† 一の罪――堕天使斯く顕現す(玖)
そのとき、
「――Fortes fortuna adjuvat.(運命は、強い者を助ける)」
空気を裂かんばかりに冷たく、何者かが呟いた。
あたかも世界の意思が空から降ってきたかのように唐突で不気味で、およそ生きているものに出せるとは思えない迫力を伴った、それでいて気品のある声。いよいよ幻聴が聞こえたか。見渡す限りの怪魔がひしめく戦場で僅かに一言、発せられただけながら、そう思わずにいられないほど、それは鮮明に耳朶を打った。
乱戦の真っ最中にも関わらず、一帯の空気が凍ったかのように、誰もが一瞬その動きを止めたことが、俺の錯覚ではなかったと物語っている。
数秒の間を置いて、ゆっくりと見上げると、そこに彼はいた。
ビルの屋上、十メートルはあろうかという強大な黒影。
それは、天使と言うにはあまりにも禍々しく、悪魔と言うにはあまりにも気高い――力強さと華麗さが限りなく拮抗した翼だった。
「うそ……でしょ…………」
力なく座り込む三条。人間が脅威を感じると逃げるのは本能だが、真に圧倒的な存在を前にすると動けない。得物を携えているようには見受けられないものの、害意の有無に関わらず気圧されてしまう。
なれど、これまで目にしてきた達人とは全く別物――任務や訓練で見かけた戦士たちの清澄さとは異質のオーラ。悠々と佇む、漆黒から溶け出したような痩身は、この世に存在していないかとすら感じられる。
「其の方、其処な雑輩を滅せと所望したか」
銀髪の隙間から俺を見下ろす切れ長の眼は、意外と穏やかだった。
「え、まぁ……」
「ほう。人間にしては強き念であった。然れば我が力の一端、見せて呉れよう」
硬直したままの怪魔たちを一瞥して、無人の交差点に舞い降りる黒衣。再び風が騒めきだす。
「刮目せよ」
そう彼が口にすると、その背より、さらなる翼が二枚現出した。
「貴様らに墓標は要らない」
全世界の視線に敵意を含ませ、一度に浴びせられても、これほどの圧力には遠く及ばないだろう。
「――――告げる」
一歩も動かずして鳥たちが飛び去るほどの重圧だが、彼の視界に収められた怪魔は一体も微動だにしない。俺たちも一連の挙動を、固唾を飲んで見守るのみだった。