† 四の罪――現世(うつしよ)の邂逅(参)
謎の幼女をまじまじと見つめ、頭に被っている触角のような飾り物をツンツンといじくる、百八十センチ超えの中年男性。
「あ、ちょっと……!」
三条が制止したが、時すでに遅し。丸々とした目がゆっくりと開く。
その、あまりに愛らしい顔立ちに、一同が思わず息を呑んだ瞬間――――
「なんじゃそちはーッ!? ぶ、無礼者め……吾輩は地獄元帥だぞ」
飛び起きた彼女が多聞さんの手を振り払い、甲高い罵声を浴びせた。
「……えっとー、地獄元帥でハエっつーと、ベルゼなんとか?」
「そこまでわかるなら言ってあげなよ。あと、この子ハエっていうといじけちゃうんだ」
困り笑いを浮かべる三条。
「ま、けっこーブラックな仕事だし、ちっちゃい生き物でも飼いたくなるのもわからんでもないなあ」
「動物禁止っすよー」
「えー、そうだっけー? まあ犬とか役に立ったりするじゃん」
「警察じゃないんで」
「そっかー。猫も?」
「アレルギーで戦闘に支障が出そうだから、とか? そういうのじゃねーすかね」
「ベルゼブブは?」
「まあ虫ぐらいなら」
「虫ではないわ! なにゆえここには吾輩も知らぬ阿呆しかおらんのだ。まさか、ご主人さまも存ぜぬというのならば、たっ……ただじゃおかぬぞッ!」
まくし立てて、顔を近づけてくる。
小学生ほどの体格だが、羽を小刻みに動かして、目線を合わせているようだ。語勢に反して、高度を維持するのに精一杯なのか、必死にプルプルしている様子が申し訳ないけど滑稽だった。
「ああ、あいつなら俺ん中だ」
「なっ――そち、喰ったのか……ご主人さまを喰いおったのかー!」
さらに顔を赤くするベルゼブブ。
「いや、どっちかっつーと、あいつの方から侵入してきた」
「フン、そちごときにご主人さまが敗れるなど有り得ぬものな」
彼女は一変して、鼻を鳴らす。忙しいヤツだ。
「……なんであんたが偉そうなんだよ」
恐ろしい悪魔と有名だが、残念ながら威厳は皆無である。しかし、三条のばつの悪そうな表情と、室内の空気がこの僅かな間で腐敗するかのように濁ったことから、本物に相違なさそうだ。
「偉そう? 当然だ。吾輩はバアル、ベリアル、アスモデウス、アシュタロトとともに魔界四天王としていふされ、その中でも筆頭として――」
「四天王なのに五人いんのかよ」
「まあ今さら名を変えるのもな…………」
「って、ホントにベルゼブブかいー! 最強クラスの悪魔が二体も……やめて! 中間管理職おじさんの胃袋をこれ以上痛めつけないでー。ってなわけで、成仏してもらうのってだめ?」
「こっくりさんじゃねーんだし、戻し方なんてわからんすよ。ほら、アドラー先生だっけ? 多聞さんのお気に入りの学者さんも未来志向がうんたらっつーノリじゃないすか」
「……ええっと、霊とちがって式神みたいに、地獄にいる悪魔のコピーが契約者の魂を燃料に維持されてるんだっけ?」
「うむ、そうじゃぞ」
胸を張って、本人が回答する。
「だからなんで自慢げなんだよ」
「……たしかに、召喚しちゃったものは仕方ない。よし、その代わり、条件が一つある!」
やはり頼れる上司。多聞さんに視線が集まる。なんだかんだで、この人は解決策を考えてくれるから、俺たちはついて来られた。
「僕のこと、お父さんって呼ぶこと。そしたらチーム多聞丸で面倒見てもいいです」
本能的な危険を察知したのか、壁際までベルゼブブが飛び退く。
「……いや、だってお父さんって呼ばれたいじゃん」
「まだ俺らは何も言ってないっすよ」
「ほら、この前さ、同級生を見かけたら親子連れで……やっぱ憧れるよねー。いや、まあ僕だってこの仕事じゃなかったら、選り取りみどりでとっくに美女とゴールインしてるけどね」
「ま、こいつよりは望みあるんじゃないすかね」
口を閉ざしたまま多聞さんを凝視している三条の肩に、手を乗せた。
「き……きみだって似たようなものでしょ! って、勝手にさわらないで。今の犯罪だよ」
「軽くポンってしただけじゃねーか。くっそ、どうせ犯罪になんなら胸にしときゃ良かった……」
「やっぱり下心あるじゃん。法廷で会おう!」
「あんた法廷がどんだけ大変か知ってんのかよ」
「そういうそっちこそ知ってるの?」
繰り広げられる不毛な攻防を、ベルゼブブは楽しげに眺めている。
「おお、なんだかとても愉快なのだ。そちたちは仲が良いのだな」
「……これ見てそう思えんなら、愉快なのはあんたの脳内だと思うぜ」
夜も更け、三条の部屋で輪になって腰を下ろしている三人と一匹。
「つまり、桜花くんは力を欲するあまり、魂を対価にベルゼブブを召喚した、と。いちおう成功はしたみたいだけど、さすがに一から自分でやったわけじゃなく、アジトの最深部に高位の悪魔を召喚したと思われる術式の痕が隠されてて、霊脈にも沿っていたから流用したんだね」
灯台下暗し、か。信じ難いことだが、初の悪魔召喚で地獄トップツーがこうもポンポンと出てきてくれる、なんて方が考えにくい。
「現場の状況が気になるところだけど、この件に深入りするのは危なそうだから、しばらくは見なかったことにしたほうがいい。で、これからは彼女?をパートナーとするつもりかな? 正式に契約していないとはいえ、この部屋の汚染されっぷりは見ての通りだ。これほどの大物と、呑み込まれることなくやってゆけるのかい?」
「なっ……にゃにを申すか! 魔軍の長たる吾輩がこのような小娘ふぜいに仕えるとでも?」
うとうとしていたベルゼブブが、たどたどしい呂律で割り込む。
「きみのほうが子どもっぽく見えるじゃん」
眉尻を下げて呆れる三条が言いたいのは、主に胸のボリューム的な意味だろうか。
「たわけが! 吾輩に命じることができるのはご主人さま、ただ一人! 召喚に応じてやったのも、ご主人さまがこちらに来ておるがゆえ。この者の魂なぞいらん! さあ、はよご主人さまを出すのだ」
出し入れする方法があるのなら、俺も知りたいぐらいだ。
「そーいや多聞さん、さっきこの仕事じゃなかったらって……軍隊にいたときはどうだったんすか?」
話題を変えたかったのと、ふとした疑問から、俺は悪気もなく口にしてしまった。
「の、信ッ……そ、その話は――――」