† 四の罪――現世(うつしよ)の邂逅(肆)
「そーいや多聞さん、さっきこの仕事じゃなかったらって……軍隊にいたときはどうだったんすか?」
話題を変えたかったのと、ふとした疑問から、俺は悪気もなく口にしてしまった。
「の、信ッ……そ、その話は――」
「うん、いたよ」
三条の顔色と、彼の用意したような微笑みから、今はいない、それも別れたからというわけではない、という推測が俺を後悔の淵へと叩き落とす。
こういう渇いた作り笑顔をどれほど、この人はしてきたのだろうか。
「ごめんなさい……何も知らずに…………」
「いや、いいんだ。ほら、これから先の建設的な話をしよう」
「そっ、そうですね……ぼくのせいでこんなことになっちゃったんだし」
「さっきの報告を聞いた感じだと他の悪魔も来ちゃってるみたいだし、今まで以上に鍛錬が必要だろうね。ゼブブっちが乗り気になってくれたとしても、桜花くんの身心が耐えられなければ――――」
当の本人は、騒ぐだけ騒いだら眠ってしまっている。本当に子どものような寝顔だ。
「つらいのは覚悟の上です。かならずや乗りきってみせます!」
「俺も稽古よろしくお願いします!」
俺たちを確かめるように交互に見比べると、多聞さんははじめて、嬉しそうな顔で笑った。
「今日は二人とも模擬戦で疲れたろうから早く寝なさい。明日は朝からしごきまくるよー」
† † † † † † †
ただでさえ、重苦しい空気に満ちている地下室。空間そのもの以上に、そこにいる人間がその禍々しさを増幅させているかのようだ。
「やはり彼女はここに来ましたか。ククッ……あれほどの大物も小娘が呼び出してしまえるとは、相も変わらず悪魔と相性がよろしい場で」
栗毛の美青年が嘲笑を響かせる。中性的な面立ちをしていながら、そのオーラは暗い天井に負けじと、どす黒い。
「あれをただの小娘とぬかすのなら、お前の目に失望だ」
闇の中より、決して低くはないが、その漆黒でも塗り潰せぬ鋼の如き芯を持った声が加わる。
「これはこれは、失礼いたしました……ところで、元帥殿はわたくしの存在に気づいておられるのでしょうかね。どう思われますか――最強の妖屠様は」
道化は目を細め、暗がりに問いかけた。
† † † † † † †
「ラッシュが甘い! 隙を与えるな!」
叱咤激励を受けながら、多聞さんに挑む俺たち。徒手格闘はチーム多聞丸に入った当初から習っているが、いつもの脱力っぷりが嘘のような彼には、いまだ気圧されてばかりだ。
高速でワンツーを繰り出し、流れるようなローキックにつなげる。時折スイッチして変化をつけるものの、教わったことだけをしていても師には勝てない。
(……やっぱ三条はシュートボクシングやってただけあって安定してんな。接近戦じゃ並んだと思ったけど、こいつも日々強くなってる――くそっ、こいつは魔術型の妖屠なんだぞ……この距離で後れをとってどうする!?)
一人称がこうなのは、両親が怪魔にやられたとき守ってくれた男に育てられたから、と言っていたが、男も顔負けの格闘術もその人物に伝授されたのだろう。彼女の攻撃には、格闘技経験者ならではの無駄がない型と、実戦向けの稽古を数こなしてきた勢いが共存していた。
しかし、その三条と二人がかりでも崩せないのが、眼前の上司だ。防衛大、陸自、国防陸軍、と戦いに人生を捧げてきた男――年齢と巨躯に見合わぬ身のこなし、鋭いジャブをはじめとするボクテク、何より、戦場で敵兵を屠ってきた気迫。
俺とて、アダマースに入る前から蛍光灯の紐シャドーを欠かさず、川沿いをランニングしながら迫り来るアブラムシをかわして鍛えた動体視力には、自信を持っていた。平和の使者たる外交官だからこそ強くなきゃいけない、と言っていたキックボクシング経験者の兄から習った格闘技の知識も多少ある。
けれども――――
(単発のローなんて実戦じゃ……これはムエタイの崩しか!?)
軽々と叩きつけられ、壁の厚さを思い知らされた。
俺が倒れている間に、三条もミドルキックの連打を浴びて、ペースを握られてゆく。
ついに、口の開いた彼女に一突き。
「か……は……ッ!」
どんな人間でも鍛えられない親知らずを狙う、多聞さんの得意技が炸裂した。悶絶する三条に、右ストレートを寸止め。今日も、あっさりと決着がついてしまった。
「……さすが多聞さん! 親知らず打ち、効きました」
涙目で苦笑する三条。
「いや、ミドル連打から殴るだけでいいじゃん。口に手を突っ込めるぐらい怯ませたらストレート決まんだろ……俺には通用しませんよ」
息を整え、俺は起き上がった。
「いい目だ。何も考えずに転がっていたというわけじゃなさそうだな!」
打ち合いが再開する。
(この体格差の上、こうも守りが堅いんじゃストレートで崩しきれねーな……ならば)
ガードの脇から、フックを――――
「ッ……!」
左でブロックされた直後に、その腕でフックを返されてしまった。やはり、ボクテクでも差があり過ぎる。
(焦んな、焦ったら三条の二の舞だ……!)
実戦に判定はないが、ヒット・アンド・アウェイを常にアウェイで終われるように繰り返せれば、いつかは勝つ――そう語ったのは、他でもない多聞さんだ。
(……それをあんた自身を相手に、証明させてもらう!)
当然、彼も烈火のように撃ち込んでくる。
(そうやってローを蓄積させてハイキックを狙うのはバレバレだ――こ、これは……!?)