† 七の罪――劫火、日輪をも灼き尽くし(参)
「今の俺は一騎討ちに特化した戦士でよ。傷だけで済むと思われてるなら心外だ!」
数段スピードの増した彼が、目にも止まらぬ連撃を仕掛ける。
二人の帯びる波動だけで、遠巻きに観戦する多聞たちを吹き飛ばしてしまいそうな圧力。風の如く駆け、大地を穿つ、神話さながらの光景が展開されていた。
「エデンの蛇」
ルシファーは眼前に投影した大蛇で、息もつかせぬ猛攻を逸らしてゆく。
「蛇が邪魔で狙いが……! くそっ、幻術で惑わすとは姑息な」
「然れば派手にゆくか――――」
茅原の足元から、大小無数の土杭が飛び出した。
「確かに、大盤振る舞いだな!」
縫うように駆け抜けつつ、行く手を阻む棘を双剣で粉砕して接近する。
「マグナ・カーデス」
天へ浮上し、焔の鞭で茅原ごと地上を焼き払う魔王。
「ったく、切り札がいったいいくつあるのだか」
火の海を斬り裂いて、溜息と共に茅原は顔を上げる。
「切り札? 斯様な物等、使っておらぬ。云うなれば――余自身か」
「くくく、ハハッ……ハハハハハ!」
割れるような哄笑。
「そうだよなあ。そうこなくっちゃなあ! 人間のままでは怪物なんか超えられない。しかし、こうして人間をやめてまでしても勝てないとは……! 堪らんな。自身が嫌ってやまない技を使わねばならん程に追い詰められること等、いまだかつて無かった。そして、そんな異常な相手が今、目の前にいる――俺自らが倒さずしてこの興奮、冷めやらんわ! 化け物退治は古来より英雄様の仕事。俺は英雄の資格など無いが、これ程の化け物を見て直々に狩らずにいられるか!」
構え直す茅原を無言で見下ろしていたルシファーだったが、意を決したように舞い降りてくる。
「……宜しい、お前程の強敵であれば此の刃に値する。現世の武技等手緩い。地獄の一撃を以て其の命――討ち果たそう……!」
主の言葉に呼応して、魔王剣カルタグラが紫の燐光を発し始めた。
「此奴もお前の魂を欲しているようだ」
禍々しい愛剣を一瞥して、ルシファーは囁く。
「さっきの矢を溶かした能力といい、ただの剣じゃないみたいだな」
十八世紀プロイセンの哲学者イマヌエル・カントは、物体を消し去っても物体が占めていた空間を消し去ることは不可能である、とした。
つまり、この武器は最初から――――
「対象が存在した、という事実ごと斬る刃に相違無い」
刀身越しに茅原を見定め、かの王は告げる。
「なんて規格外の権能――鬼に金棒、どころ……じゃ…………」
黒灰の魔王剣が纏う、妖炎の美しさに魅入るようにして、消耗しきった桜花は、眠りへと堕ちていった。
「ベルゼブブ……? 契約者の魔力を吸い尽くして幕を引いたか」
ルシファーが増幅させていた殺気を打ち切る。
「気色悪い雨が止みやがったか。この勝負、預けた。結界がなくなった今、大軍に邪魔されて興醒めは勘弁だからな。お前も連中に姿を晒すわけにはいかんだろう」
「如何にも。我等が覇を競うは、相応しき舞台のみ」
最強の悪魔と最強の人間は、どちらからともなく背を向けた。
「……あんなに盛り上がってたのに、切り替え早いなー」
部下を抱きかかえながら、独白する多聞。
「昔っから茅原さんはそーゆー人じゃないですか」
いつの間にか脇に立っていた柚木が、呆れたように口を挟む。
「おお、柚木くん。応答しないから大変なことになっちゃってるのかと思ったよ」
「すみません。立て込んでいたもので」
軽く頭を下げると、彼女は腰を沈めた。
「追います。多聞さんは二人を」
言い残し、まだ薄暗い街へと瞬く間に消える。多聞は煙草に火をつけ、部下の走り去った方角を眺めていた。
「……そうか、承知した」
電話を切って、男は歩き出す。口元よりほのかにこぼれる笑み。
「この滞在は、長引くことになりそうだ――――」
明け方の微風に、包帯の先端が揺れていた。
「……もう追いつくとは、流石だな」
流れるようにビルの屋上を跳びながら、背後の気配に茅原が呼びかける。