† 八の罪――剣戟の果てに(肆)
部下が退出すると、象山は本を閉じて苦笑する。
「所長殿も人がお悪い。あの男を放っておけば、彼らの元へゆくのは目に視えていたものを」
彼の独白が吸い込まれてゆく部屋に、どす黒い気配が生じた。
「もう人ですらなくなってしまったようですがねえ」
血塗れた老人の屍をつまみ上げて、栗毛の美青年が大げさに嘆息をつく。
「フッ、やはり人間とは儚いものよ。初代の一位にして日本支部の所長ともあろうお方とて、こうも呆気なく命を落とすとは」
薄暗い空間に浮かび上がる、包帯の隙間から覗く双眸は、言葉とは裏腹に悲しんでいる様子がない。
「春は、雨で見られぬ日こそ桜のことを考えてしまう。年に一度の僅かな間だけ脚光を浴びるが、散る時は誰も気に留めない……英雄の最期も、花に似た虚しさか。しかし、嘆いてばかりもいられぬゆえな。やむを得ん、ここは悲しき事故で急逝された彼に代わって、この象山紀章が日本支部を預かる他ないか」
変わり果てた沢城是清を見下ろし、朗々と象山は語った。
「所長亡き今、十位の三条桜花が出奔し、九位の喜多村多聞も加担。今や幹部は筆頭顧問たる御身のみ。本部からの代理を待つ猶予もない以上、自ずと答えは出ております」
道化師もまた、恭しく同調する。
窓の外が荒れ始めていた。
「いずれにせよ、信雄(かれ)は必ず戻って来る。そういう者よ。もっとも――――」
嘲け嗤うようにして、包帯男は続ける。
「奴(あれ)を倒せたら、の話だが」
閃く稲妻が、醜く歪んだ横顔を照らし出した。
「人間みんな平等? 多数派こそ正義? 笑わせる。民主主義で代表者が選ばれた結果がこれか……愛と平和を掲げて異教徒を殺戮する信者と、まるで変わらない。目的と手段が逆転した虚栄の大国には、逆臣による世直しが必要だ。斃すべき相手は敵兵ではなかった。彼らとの戦争に導いた生天目筆頭執政官こそが、倒されるべき悪の根源なんだ。日本が生まれ変わるため、繰り返される愚行を断ち切るため、すべてを失った僕が謀叛人の烙印を一身に受けよう」
行政省に侵入した国防陸軍きってのエリートは、息もつかせぬ内にガードマンを一蹴。執政官が不在であったため、部隊より持ち出した最新の小型地対地ミサイルで執政官官邸をロックした。
生天目鼎蔵が利害のためなら人命も平然と犠牲にし得ると知る人質の職員や政府関係者は、絶望ですっかり青ざめている。
しかし、ただ一人、このような状況にも関わらず、むしろ愉しんでいるかのように、苦笑いをこぼす若者がいた。
「それ程の武勇を有しながら、こうも愚かしい凶行に奔るとは。貴殿はこのようなところで死すには惜しい方よ」
「そりゃ覚悟の上さ。日本が生まれ変われるなら本望だよ」
襲撃者は銃を突きつけたまま、自嘲するように微笑む。
「貴殿が死のうと、世界(みらい)は何も変わりはしない。だが、貴殿がいれば変えられることもある」
「我が武勇は日本のためにこそ! 他に手がないのなら……こうでもしなきゃ救えないのなら、喜んで行使しよう」
その口上を受けて、さも残念そうに美青年は切れ長の目を伏せた。
「そう自らに言い聞かせて、死に急いでいるのであろう? 大陸より帰還するも、戻るべき場を失い、存在理由と生きる希望を見出せず自暴自棄になった挙句、護るべき筈の国に責任転嫁して散り際を飾り付ける気か。本末転倒なのは貴殿のほうと見受けるが?」
ハッとしたように、この男に見入る犯人。
「勘違いなさらぬよう。私は貴殿の行いそのものを非難している訳ではない。ただ、貴殿程の力があれば成功させることもできたがゆえに、憂いでいるだけのこと」
「……君なら勝算があると……?」
「そうさな――貴殿程の味方がいれば、の話になるが」
「お前……何者だ?」
「しがない外交官だ――――」
そう返すと、彼は声を落とし、付け加える。
「……アダマースという組織に顔がきく、というだけのな」
「ア、アダマース……!?」
満足気に首肯して、おもむろに歩み寄る青年。