† 九の罪――殺し屋殺し(弐)
「気に入らねーんだわ。あんたも、あんたを生み出したお偉いさんたちもよ」
溢れ出る勢いで、波打つ紫炎。
(……ルシファー、あれを使う)
彼の得物は、俺の意識がない内に解放されたみたいだが、脳裏に刻み込まれているかの如く、ありありと見出せる。
「だからあんたは……死体も残さない。存在のすべてを消してやる。出でよ、魔王剣――カルタグラ……!」
呼応するように、禍々しい瘴気を伴い、虚空を斬り裂いて闇色の剣が威容を現した。
「……あなたがなにを言おうと、みつきには勝てない」
これほどの不気味なオーラを湛えた魔王剣を目の当たりにしても、世界三位の妖屠は微動だにしない。
「――――Ad augusta per angusta.(狭き道によって高みへ)」
彼女の姿が掠れた、と思いきや、
「幻影の処刑人――――」
数十人の分身、みつきと同じ姿かたちの少女が視界を埋め尽くした。そっくりさんなどではなく、服装から表情まで、本人と完全に一致していて見分けようがない。
「の、信雄ッ!」
三条が珍しく下の名前を叫んだ気がするが、当の俺は顔が引きつって、声も上げられないでいる。
(……あ、これ終わったかも)
人生どうしようもなくなったとき、なぜ人は笑ってしまうのだろう。
† † † † † † †
多聞と柚木は、訪れた一室の異様な主を無言で見つめていた。
「いやー、喜多村さん。此度はまことに嘆かわしいことに相成ってしまった」
座したまま、口火を切る筆頭顧問。
「茅原の愚行に引き続き、これでは私も都内を離れるに離れられぬというもの」
来客は、いずれも沈黙を貫いている。象山は溜息を挟み、続けた。
「と、いえど……飼い犬に手を噛まれてばかりともゆかなくてね――――」
多聞の横に控えていた柚木が、おもむろに下がってゆく。
「悪魔と契約した者は必ずや裁くのが掟。彼等二人も例外でない」
「いや――三人だと、おじさんは思うなー」
一閃。
薄暗い室内に火花が奔ると、暗器が床に転がった。
「ふむ」
象山の呟きは、得物を叩き落されるや否や、宙吊りのまま天井を滑って退いた柚木ではなく、ガンブレードへ瞬時に変成したデスペルタルを構え、自身を狙う多聞への感嘆である。
「なっ、なぜ正体が……!? 暗示までかけていたのに……!」
クモさながらに壁を捉え、柚木が喚いた。
「腐れ縁、ってやつかね。地獄大公さん」
多聞がウインクを飛ばすと、翡翠色の魔力縄が彼女を拘束する。
「大切な部下を乗っとってくれたことは追々おしおきするとして、悪魔ばらいの前にまずは君ほどの魔界的有名人が象山くんに肩入れしているわけを教えてくれるかな」
ベリアルは肩を震わせ、高笑いを響かせた。
「ふふ……人間って意外と死なねーんだな」
咄嗟に魔法陣を張っていなければ、信雄は細切れになっていただろう。いや、障壁が破られた以上、次こそ即死は免れない。
「強がっとる場合か! ここは吾輩が――」
「いや、まだ終わっちゃいない。剣(こころ)が折れない限りは負けじゃねーよ。人間の相手は――――」
カルタグラを持ち直し、
「人間がするさ」
彼は言い放った。
「ベルゼブブ、ここは彼を信じよう。ぼくたちの相手はあっちだ」
桜花がガンランスと化したデスペルタルで指した先には、またも十は下らない新手。
「むぅ、人づかいが荒いのう」
愚痴をこぼしつつも、自分から彼女に憑依する。
「まったく――――」
深緑の燐光を発しながら、桜花は苦笑いを浮かべた。
「きみ、人じゃないでしょ……ッ!」
翼を得たかの如く、華麗に天へと舞い上がる。
「な……ッ!?」
三次元を自在に飛び回る桜花と、平面にとらわれたエージェントたちでは勝負は見えていた。一方的に頭上から呪詛を浴びせられ、成す術もなく腐り落ちてゆく一同。
「これが腐蝕の力……すごい、け……ど――――」
一掃し終えた頃には、桜花は苦痛に身悶えし、バランスを崩していた。人の身に余る権能を行使した負荷が、容赦なく彼女を襲う。
大地へと墜ちゆく身体より、ベルゼブブが抜け出て、彼女を抱えて降り立った。
「あんたは強い。でも、本当にそれだけでいいのか? その奥義だって自我がうっすいから使えんだろ。せっかくかけがえのない一人として生まれたのに、身代わりいっぱい生み出して自分を見つけてもらえねーなんて虚しいもんだぜ」
視抜こうとしても、いずれも虚無――信雄の瞳に映るのは、すべて他ならぬ北畠みつきであった。
ルシファーの力はいまだ健在なようではあるものの、暗示や幻に惑わされないはずが、この有り様とは、契約者が引き出しきれていないことになる。
(……やっぱルシファーの器として、俺じゃ素体が弱すぎるのか…………)
意を決したように、彼はカルタグラの魔力を増幅させた。
「本物がわからねーもんはしゃーない、力技で全て迎撃し尽くしてやるよ!」
波動だけで人の生命力を奪うほどの代物。刹那の機微が次の瞬間の首のありかを左右する瀬戸際で制御など、人間の域を超えた離れ業だ。
そうしている間にも、再び多数のみつきが殺到する。
「――ざんねん、無理だよ」
同じように小さな唇を動かし、同じような声質で四方八方から囁く分身たち。
(集中だ。ここで匙加減を見誤れば腕がちぎれる……暴れさせ過ぎちゃ自爆。おとなし過ぎても墜としきれねぇ。抑え込めるだけの量で解放し続けろ――――)
紫の業火がカルタグラの全周を駆け巡り、螺旋を成した。
「……だから嫌いなんだよ」
目前の敵影から、斬り捨ててゆく。
「そういう計算上は、とか――――」
反す刃で一つ、また一つ。
「可能性が、みてーなヤツはよぉ」
必滅の焔に触れた虚像が、ことごとく霧散する。
(……くっそ、なんつー活きの良さだ。抑えても抑えても暴れやがって……! それでも――――)
それでも、腕を苛む重圧に耐え、猛る魔剣を振るう狂乱の剣士。
「まだまだーッ!」
息もつかせぬ連撃は、幻影の接近を阻み続けているが、蛇の如くうねる魔力で無数の剣閃を描く信雄も、限界が近い。
そして、残る一人が間近に肉迫していた。
「無理できんのも……人間だからだろうがァああああ!」
すれ違うのは、他ならぬ北畠みつき本人。
対して、信雄の繰り出した胴払いもまた一筋。
「――――っ!」
交錯は、一瞬だった。