† 十の罪――贖いの雨(弐)
「なんと単純な……ですが、それゆえ強し。ならばこちらも――――」
ベリアルの言葉に応じ、多聞をとらえるようにして、深紅の魔法陣が展開される。
「その信念ごと、燃やし尽くしてこそ悪魔! 人間に使う日が来るとは思いませんでしたが、特別に我が奥義で灼き尽くして差し上げましょう。弱者を踏みにじることに躊躇はないが、強敵を心ごと折るほうが好ましい」
弾ける轟音を皮切りに、火柱が彼の周囲を埋め尽くした。
「――嗚呼、そこに神はいない
烈火が汝等を冥府へと葬(おく)ろう
灼熱の日輪をも焼き尽くす魔炎にて等しく灰に還らんことを」
地獄大公の足下より、荒れ狂う熱風の狭間を衝いて、魔炎を帯びた双輪がせり上がってゆく。そびえ立つ威容と、莫大な熱量。
標的を見下ろし、その真威を解き放つ呪言を彼は謳いあげてゆく。
「今、ここに放つは絶速の一撃
必中 必殺 必滅
この身、一筋の閃光となれ――――
“煉獄の業火を纏いし一閃(パガトリグナス・ツォライケンス)”……!」
ベリアルが紡ぎ終わると、その象徴たる焔の戦車は、待ち構える幾重もの魔力障壁を蹂躙して、圧倒的な火力で多聞へと迫った。
† † † † † † †
悪魔にすがった弱さを糾弾するかのように、降り注ぐ雨。しかし、罪(かこ)は洗い流せない。
どれほどの時間が経過したのか。未知の不快感が体内を駆け巡る。経験したことのない衝動が込み上げる。
こんなに辛いのなら、壊してしまいたい。いっそ何もなくなれば、この焦燥も消えるだろう。そうすれば怪魔(かれら)も、こうやって人を喰らうことはなくなるのではないか。
そうか、人の闇が災いを呼ぶんだ。
――――なら、滅ぼしてしまえばいい……!
進行する腐蝕に反応してうごめきだした怪魔の残滓が、そう言っている。人間がつくるこの世界を、無に還してしまえ。
人が人であり続ける限り、傲慢、嫉妬、憤怒、怠惰、強欲、暴食、色欲――これらの七つの大罪が、今日もどこかで生まれている。人間が存在することによって憎しみが引き起こされるのだ。彼らと共に何もかも、すべて白紙に戻してやる。
「大人は泣きたくても泣いちゃいけないんだって。だから、ぼくがみんなの分の涙を流してあげたかった。でも、もう泣き虫はやめた。世界がひとつになっても泣く人はいる。だから、彼らを消すんだ」
こんな世界なんて――なくしてしまえ……!
(……なくしてしまえば、楽なのに…………)
なのに、忘れられない笑顔があった。思考が滅茶苦茶にされても、何度でも浮かんでくる。
混濁している意識の中で、後悔の念が絶えない。それでも自分は、今この世界を壊そうとしている。
「っつー、ちょっと無理しすぎちゃったか」
多勢に無勢。大の字に横たわった少年が苦笑する。
「なんで……あの人たちはきみの友だちじゃ――」
「友だちだからだよ。友だちがまちがったことしてたら止める、それが本当の友だちだろ?」
その顔は傷だらけなのに、頭上に輝く太陽にも劣らず眩しかった。見とれるあまり、お礼を言いそびれたのが悔やまれる。
それどころか、別れも告げられていない。その後まもなく、軍人であった父が発展途上国に転勤となり、自分は彼に黙って日本を後にした。
あの微笑みを再び見ることは、叶わぬ夢となってしまうのか。彼を知らなかった自分なら、こんなにも苦悩せずに諦められただろう。
もはや自分が誰であるのかも、思い出せない。どす黒く塗り潰された頭の中は、汚泥のような漠然とした破壊衝動に支配されている。
(やっぱり、まだ人間でいたいよ……せっかくこの世界にいたいって思えたのに――まだ終わりたくない。終わらせたくない。こんなぼくでも生きたい! 助けてほしい。おねがい……だれか――――)
「助けて、ぼくを……!」
虚空に響く、切実な望み。
「ぼくを助けて! ぼくの、ぼくの名前を呼んで……!」
わかっていた。ただ、大人しく受け入れることが昔より、少し受け入れられなくなっただけ――――
そう自答して、精神(こころ)の扉を閉じようとした時。