† 十の罪――贖いの雨(参)
「助けて、ぼくを……!」
虚空に響く、切実な望み。
「ぼくを助けて! ぼくの、ぼくの名前を呼んで……!」
わかっていた。ただ、大人しく受け入れることが昔より、少し受け入れられなくなっただけ――――
そう自答して、精神(こころ)の扉を閉じようとした時。
「おい」
あの日と同じような、けれども、少し低くなった声が飛び込んできた。
† † † † † † †
「おい、三条。聞こえるか」
朦朧としながらも、彼女は縋るように見上げる。
「みっともねーな。あのときみてーな目でまた俺を見やがって」
ぶっきらぼうな物言いに反し、害意は含んでいない隻眼。
「おまえさぁ、人の心をなくしてまで手に入れた力は本当に強さなのか? もう――やめにしようぜ」
「やめたいよ……けど、やめられないよ! ぼくの犯した罪の代償がゆるしてくれない」
震える喉で、桜花は吐露する。
「これ以上はあぶないよ、はなれないと……!」
重い頭を上げ、喚起する彼女。
「危ねーことぐらい分かってんだよ」
「あ、うぅ……はぁはぁ……きみを傷つけたくないんだ!」
叫びと共に、黒く変色した全身が脈動する。
「そう言われて退く程度だと思われてんなら心外だ。おまえが死んだほうが傷つくに決まってんだろ!」
「……化け物になるなんて、死ぬのと変わらないよ」
「心配ねーよ。誰がなんと言おうが、おまえは断じて化け物なんかじゃないって俺が保障する」
彼女を抱き締めて、信雄は囁いた。
「なん……で……あぶないって言ってるのに」
振りほどこうと、痺れる手足をばたつかせる。
「だめだよ! 逃げ――」
言葉より早く、桜花を覆う黒煙が無数の棘を成し、彼の肢体を穿った。
「え……そんな……いや!」
寒空の下、悲鳴は虚しくかき消える。
「ぐふぅっ……心配ねーって、言ってんだろがよぉ」
したたり落ちる鮮血。
「なんで! 逃げてって言ったのに……ぼくなんか化け物になろうとほっといて逃げればいいのに……!」
「ったく、こんな人間くさく泣くことができんじゃねーか。おまえはこの世に一人しかいない三条桜花っつーれっきとした人間だ」
咽び泣く彼女を抱擁して、信雄は言い聞かせる。
「――ッ、うぉあ……ッ!」
桜花が上体をよじった拍子に、ズルズルと鴉色の穂先が引き抜かれ、傷口からあふれ出る漆黒の瘴気が彼女を包み隠すように、たちまち彼らを隔ててしまった。
あのときは、距離が二人を別ったけれども、今回はそれよりも遥かに厚い壁に阻まれている。その事実が、少女の理性を絶望と混濁で押し潰していった。
(いやだ……またきみと、はなればなれなんて――――)
二人が出逢って以降、同じ時を過ごしたのは一度だけ。
「きれいだね」
それも公園で駄菓子を食べて、僅かな会話を交わした程度に過ぎない。
「ちゃんと笑えるようになったじゃん」
ジャングルジムに腰かけ、旅立つシャボン玉たちを見守って桜花は笑い、その彼女を眺めて信雄が笑った。
「……シャボン玉はすぐこわれちゃうけど、その瞬間までキラキラ綺麗。せっかく生きたくなったから、最後の最後までぼくも輝けたらなって思ったのに。思った……のに――――」
闇に染められた桜花の心身は、もはや人としてのあり方を失いつつある。
(ぼく、もっと高く飛びたかったな…………)
その想いは、シャボン玉のように儚く風に流され、声になることはなかった。