† 十二の罪――存在(たましい)滅(ころ)す刃(弐)
「……の、のぶ……お――――」
理性を取り戻したのか、呪詛の海から解放された三条が薄っすらと目を開き、そして――――
「「桜花……ッ!」」
彼女がふらつくや否や、俺とベルゼブブは我に返ったように、どちらともなく駆け出していた。
「もう……頭クラクラしてるんだからさわがないでよ。それにそろって名前なんかで呼ばれたら驚いちゃうじゃん。ただでさえ、戻って来られるかわからなかったのに、起きたそばからこんなの……驚いちゃうよ」
つい先ほどまで重圧に苦悶していた三条とは別人のように、半笑いで文句を言ってくる。
「どっかで思ってたくせに」
「……ばか…………」
顔を背けて呟く彼女。このかわいげのないあたり、紛れもない三条桜花である。
「は? この十数分だけで何回バカって言われなきゃなんねーんだよ……ま、おまえはそれでいい。笑いながら不満たれるような、ワガママでバカ正直な嘘つき背伸ビスト。いつも一生懸命で、自分に嘘がつけない」
そんな、どこにでもいるようで、ここにしかいない、十代の少女――――
「それが、三条桜花って人間だろ」
今度は、子犬のような両目でこちらに振り返った。
「なーに、間の抜けたツラしてんだ。そういうおまえを受け入れるっつっただろ? むしろ、そんなおまえがいいんだよ、俺は。息切れしながら走るぐらいなら歩いてもいい。もし転んでも、俺が手ぐらい貸してやる」
「うん……ありがとう。助けてくれて」
「別に俺はきっかけを作っただけにすぎねーよ」
「そのきっかけに、また――助けられちゃった……ん……だって――――」
消え入りそうに吐露し、三条は声を詰まらせる。
「ったく、みっともねーな。涙は嫌いっつっただろが」
何より、泣き顔を見たことで、後々に理不尽な仕打ちが待ち受けている気がしてならない。
「じゃあどうすればいい――の……っ!?」
潤んだ瞳で覗き込んでくる彼女を、強引に抱き寄せた。
「だから見ないどいてやる。んなもん、とっとと流し尽くしちまえよ」
まだ震えが収まらないのかと思いきや、三条の荒い息に混ざっているのは、くすくすと漏れる笑い声。
「おいちょっと待て。珍しく心配してやったのにおかしくね? どうせアレだろ。いつもと立場が逆だからおかしくなっちゃったよ、みてーな感じだろ」
彼女はゆっくりと離れると、いつの間にか上がった雨に代わって頭上を彩る虹を背に、澄んだ面持ちで彼方を見渡す。
「……むふっ。ううん。ぼくが弱いのはもとからだよ。自分の弱さと向き合えなかったぼくは、強くあろうとするあまり、自分を愛(ゆる)せるのは自分なんだってことを見落としてた――これからは、ぼくがぼく自身を救うよ」
気遣ったのが馬鹿らしいぐらいに、晴れ渡る青空にも負けない笑顔で、三条は口にした。
「てめェらの頭、いや――もう元、か。沢城のじじいは死んだ。うちもみんな死にやがったわ」
平穏も束の間。折を見て林原の切り出した言葉に、衝撃が奔る。
「しょ、所長が!?」
現実に引き戻されたのか、絶句するチーム多聞丸二代目隊長。
「……何か起きてるとは思ったが、ずいぶんとまためんどそうなことになったな」
「正確には俺様以外皆殺しにされた。俺様ァずば抜けて強ェから生き残ったがな。象山の野郎、政府上層部(しろふく)と組んで国盗りでもおっぱじめッ気だろう」
「そーいや茅原に東京が攻められたとき、あいつが軍の防衛網を考えたって――あのとき構成と指揮を確かめたのか」
「それに東京湾にベリアルが降臨したのも…………」
「それも野郎の仕業だろ。アダマースは人間が怪魔に操られるなんて気に食わん教会勢力の後押しでできたぐれェは知ってんよなァ? 悪魔の研究は宗教家ん得意分野。悪魔契約を禁じてやがんのも、妖屠んこと思ってじゃねェ。おそれてやがんだよ、奴らは。悪魔を味方につけて反逆されることを。まあ悪魔に対抗できんのが悪魔ぐれーだからな」
脳ミソまで筋肉でできてんのかと思ったが、万年反抗期なだけで意外と頭いいな。このおっさん。
「あんたはどうすんだよ。古巣に帰るキャラじゃねーのは分かるが、ローマに戻りでもしなきゃ消されるぜ」
「奴らが海外への逃げ道なんか残してるわけねェ。たとえ本部にたどり着けても象山が手ェ回してんだろ。ここァ敵討ちと洒落込むかー。コッチから喉元喰らいついてやらァ。アイツらは弱ェから死んだ。だから――生き残った強ェ俺様が、奴らをぶち殺してやる」
「ま、俺らもこいつらの件がバレてっから本部に逃げ込むのは自殺行為だな。悪魔といや蝿っ子。ありがとな、アホ主人を救ってくれて。悪魔から契約を切るなんて聞いたことねーぞ。燃料もなくなるし、あんたにとってはデメリットしかねーだろ」
「フン。なにを申すかと思えば、あれは吾輩の意思でしたことじゃ」
眠たそうだったベルゼブブが、無愛想に即答する。
「ふふ……でも、ありがとう。ずっと魔がこわくてこわくて、見えなくなるよう望んでいたけど、今はきみがいなくなっちゃうほうがこわいよ」
「なっ、なにをぬかすか……! わわわ吾輩は不死身じゃぞ。それに、ちっぽけなそちの魔力なぞ止まったところで消えたりせんわ!」
三条に打ち明けられると、彼女は取り乱し始めた。
「……ま、まあ! これからは主従ではなく、その――相棒になってやっても、良いぞ……?」
俯いて、小声で付け加える幼い悪魔。
「よかった。あらためてよろしくね。これから苦しい戦いが続くと思うけど、きみがいてくれるなら心強いよ」
「身勝手にかいちゃくするな! ずっと共におると言ったわけじゃなななないからなっ!」
また手足をばたつかせ、ベルゼブブが反論した。
「ま、今のうちにあんたは休んどけよ。ちょっくら放尿してくるわ」
退屈そうにしている林原に目配せで合図し、場を後にする。
「信雄――――」
彼と共に数歩ほど進んだところで、ふと呼び止められた。