† 十三の罪――崩壊への序曲(肆)

「……多聞さん…………」
 茫然と立ち尽くしている桜花。どう声をかけたものか、信雄が迷っていると――――
「だ、誰だ……!?」
 数人の気配が近づき、瓦礫越しに喚声が発せられた。

「さっ、三条――隊長……!?」
 一人が顔を覗かせると、後続も出て来る。
「榊原! 岩永! 菅生! なんでここに……!?」
「みんな……よかった」
 予期せぬ遭遇に驚きつつも、思わず頬を緩める桜花たち。
「隊長たちもご無事で」
「なんとかね。アダマースは、もう――――」
「はい……この通り、都落ちです。妖屠、職員はことごとくあちらの手に落ち、所長も行方不明――我々も、蘇我さんが知らせてくれなければ一貫の終わりでした」
 所長の秘書・蘇我修之は、元々チーム多聞丸の妖屠で、鼻が利く男だった。

「……で、蘇我さんは?」
「ええ、直後に…………喜多村先生も姿が見えません。もはや帰趨は決したかと――我々は東京を出て身を隠します。隊長たちもどうかお早く――」
「おいおい、アダマースって人外の脅威から人間を護るためにできたんじゃねーの? それに東京は日本の首都。ここを取られりゃどこに逃げようが無駄だよ」
「緑川さん……何を……!?」
「別にあんたらがどこ逃げようが勝手だ。ただ、俺は性に合わねーんだわ……ちょっと壁がデカかったからって下がんのはさ。決めたこと諦めらんねー人間なんだよ」
 古巣を睨むように、信雄は彼方を見据える。

「いや、象山方は名だたる悪魔を大量に擁しています……支部ごと覆されるような事態に今更一人で挑んだって――隊長もなんとか言ってくださいよ!」
「……そうだね――あいかわらず、きみは間違っているよ」
「そうです! あの惨状を見てから気づいても遅いんですよ。もう、我々のアダマースは終わりました」

 少女は溜息をつくと、顔を上げた。
「わかってる。三条班もこれで解散にしよう。まったく……性に合わないんじゃなくて、子どもなだけでしょ。そんな青くさいお子さまだけじゃだから、ぼくも行ってあげるよ」
 彼も不敵に笑う。
「っつーわけで、ちょっくら悪あがきしてくんな。昔っからさー、こいつと一緒にケンカすると、なんでか力が出んだわ」

「正気ですか……?」
 唖然とする部下たちに、桜花は目を移した。
「いきなりで納得できないのも無理はないよ。でもぼくは、もっと納得できないことがあって苦渋の決断をしたんだ。これ以上、組織の駒でいることはできない。むしろ彼らの野望を止めようと決意したの。罪なき者を犠牲に、人ならざる存在として暴走させる。人間の世をつくるっていうけど、そのためなら人を化け物に変えていいっていうような指導者なんて信用できない。どういう惨劇が引き起こされるかも分からないのに、黙ってされるがままに受け入れるのなんて納得できない。ぼくは今の生活を得られる世の中に感謝している。かけがえのない人たちに囲まれて日々を過ごせる、おいしいものをお腹いっぱい食べられる、明日が来ることに安心して眠れる――そんなささやかな幸せを、もう……理不尽な暴力で壊されたくない」
「し、しかし……逆らえば命は無いと――」
「人々の幸福を踏みにじってまで理想を押しつけるような人間に仕えるのが妖屠なの? 妖屠は人を守るもの。筆頭顧問も人には違わない。救済というのは、かならずしも助けることではない。上が過ちを犯そうとするのなら全力で止める。彼が倒(とめら)れるか、ぼくたちが倒(ころ)されるか――受けて立つよ」
 迷いの感じられない、限りなく真っ直ぐな瞳。
「みんながこれからどうするかは、それぞれが好きに決めなさい。一緒に来てほしくないと言ったら嘘になるけど、もう隊長じゃないのに巻き込むような野暮な真似はさすがにしないよ。背負う者がいる人はすぐに決められないだろうし、あくまで忠誠心を貫き通すって生き方もあることでしょう。ただ、考えることをやめないで。歴史が動こうとしている今、自分がなにをするべきか。それがぼくの歩む道と違った答えだったとしても、ぼくに非難する権利はない。ぼくが間違っていると思うのなら、全力で立ち向かえばいい。遠慮は無用。戦場で会えばこちらも手加減はしない。今まで身につけたすべての技でかかってきなさい」
 身を強張らせていた部下たちも、いつの間にか、涙ながらに聞き入っていた。

「……じゃあ、最後に――」
 一同を見渡し、表情を崩す元隊長。
「みんなに会えて、ほんとーによかった。最後までこんな陳腐なことしか言えない隊長を許してね。みんなといろんな任務につき、いろんな経験をした。この先どうなろうと、ぼくたちの心にある思い出は嘘じゃない。どうしようもなくなった時は、一緒に過ごした日々を思い出してくれたら嬉しいな。みんなはどうだったか、わからない。人それぞれ思うことはあるでしょう。でも、ぼくは楽しかった。どんなときも全力で生きた。大切な仲間とともに生きてきた。全力で鍛錬し、全力で戦い、全力でご飯を食べた」
「俺より食ってたんじゃねーか?」
 信雄に構うことなく、彼女は続ける。
「まあ人生ってのは思い通りにいかないものだね。これから困難に直面することもあるでしょう。つらいこと、苦しいこともきっとあるでしょう。それでも戦(たちむか)わなければならない。だから――最後の最後まで一生懸命に生き抜きなさい。人生に勝ち負けなんてないけど、後悔のない一生だって最後に本人が思えたら、少なくとも負けては無いでしょ」

 少し照れくさそうにはにかむと――――
「今まで……ほんとーに、ほんとーにありがとう。みんな」
 三条桜花はそう言い残して、戦友たちの元を後にした。


「良かったのかよ、あれで」
「別れはつらいけど、笑顔で終われてよかった。やっぱりさ、ぼくの隊はしめっぽいの合わないじゃん」
「……ま、おまえがいいならいっか。さて、二手に分かれよう。象山のこともある。俺はルシファーの知覚があるし先に行って様子を見てくる」
「気をつけてね。ぼくたちも被害者の救助をしながら向かうよ。ベルゼブブ、追える?」
 彼女に尋ねられ、ベルゼブブは当然とばかりに鼻を鳴らす。
「フン――同じ世にあって、吾輩がご主人さまを見失うはずがないじゃろ。付き合ってやるから好きにせよ」


 燃えゆく街並みを桜花は駆(はし)った。
 暑い。なれど足を緩めず、熱風の中を駆け抜けてゆく。鼻腔を衝く異臭。肺が痛む。
 それでも――彼女の疾走は、何人にも止められない。
(組織は辞めようと、なにがあってもぼくのすることは変わりはしない。多聞さんの遺志(ほこり)を守り、戦士としての生き様(みち)を守り、人々を守り抜く! ちっぽけなぼく一人の力でできることがある限り、ぼくは……ぼくは、なにがなんでもそれをなし遂げてみせる……!)

 呼吸は乱れ、すすに塗れようと、なおも直走る。眼前を埋め尽くす地獄絵図を、どこまでも生存者を捜し続ける。
 もう、どれだけ走り続けているのであろうか。いつの間に怪我を負ったのか、道筋に点々と血の跡が続いている。だが彼女は、依然として速度を落とそうとしない。そのようなことは、彼女にとって問題ではなかった。降りかかる火の粉が身を焦がそうと、その鋼の心までは焼き尽くすことはできない。

「――――ッ!?」

LucifeR
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