† 十四の罪――咎人たちの慟哭(弌)
呼吸は乱れ、すすに塗れようと、なおも直走る。眼前を埋め尽くす地獄絵図を、どこまでも生存者を捜し続ける。
もう、どれだけ走り続けているのであろうか。いつの間に怪我を負ったのか、道筋に点々と血の跡が続いている。だが彼女は、依然として速度を落とそうとしない。そのようなことは、彼女にとって問題ではなかった。降りかかる火の粉が身を焦がそうと、その鋼の心までは焼き尽くすことはできない。
「――――ッ!?」
ふと、幼子の泣き喚く声が耳に飛び込んできた。咄嗟に桜花は、一帯を見回す。
黒煙の狭間に女児を見つけたとき、彼女は考えるよりも先に駆け寄っていた。
「大丈夫だよ、大丈夫だからね…………」
何と声をかければいいか考えつかず、彼女の薄い肩に手を遣る。
この年齢ということは親がいるはずと気づいて、朱い視界で眼を凝らす桜花。瓦礫の下より覗く半身に、その目が止まった。
(まだ生きてる……!)
一直線に突進する。どこにこれほどの力が残っていたのだろうか。自分でも理解らない。傷つき、疲弊したはずの肉体は、彼女自身も驚くほどに軽かった。
(……ぼくは多聞さんに憧れ、妖屠になりたいと思った。でも、妖屠という肩書きなんてもういらない)
崩れた家屋が行く手を阻むが、構わず押し退けてゆく。傾いた柱に、跳ね返された。
(多聞さんみたいに、人を守れる強い妖屠になりたかった。妖屠の大義とは、組織に尽くすこと――だけど、野望のために民をこんな目にあわせる組織につかえるのが大義なら…………)
「……そんな大義なんて――――」
燃えたぎる炎にも負けず劣らずの形相で、桜花はデスペルタルに手をかける。
「ぼくが斬って捨てる!」
勢い良く振りかぶり、繰り出す撃ち込みは全力。
「そうまでして世を再生するっていうなら……ぼくは妖屠をやめてでも止める!」
幾度も斬りつけて突破したが、重なっていた別の柱が滑り出して脇腹を突いた。
「ごぶぅ……ッ!」
膝から崩れ落ち、悶絶する。
なれど、顔を上げた彼女の瞳は、今なお闘気を失っていなかった。震える手で、再び得物を握る。
(……多聞さん、力を貸してください……!)
いつか彼に言われた言葉が、頭をよぎった。
「願うことは人間にゆるされた特権だ。人の想いというのは、時として不可能を可能にする。君が苦しいときは、だまされたと思ってやってみるといい。おじさんはウソなんか言わないよ。無理だと決めつけたら、なにも起きない。強く、鮮明に思い描くんだ」
止まっている暇は無かった。組織に属さくなった桜花にとって、今や任務は存在しない。逆に、その身は常に任務中にあるようなものだ。
無謀な挑戦だとは承知している。しかし、彼女はそれほどまでに――この世界を、人々を、愛してしまった。
「罪なき人の家族を――――」
亡き師の笑顔が脳裏に浮かび、激情が肢体を駆動させる。
「奪わないで!」
次から次へと障害物を斬り払い、遂に倒れている子どもの父と思わしき人物の元へと、桜花は達した。
(助け出さないと……ぼくのせいでバラバラになった隊のみんなにも顔向けできない……!)
しかし、時は待ってはくれない。無慈悲にも、火の手は強まる一方であった。
「せめて……娘だけでも…………」
男が絞り出すようにして、懇願する。
「あきらめないでください!」
懸命に瓦礫を持ち上げようと試みる少女。
「生きることを、あきらめないで……!」
「ありがとう、お姉さん。でももういいんだ……この子を連れて安全なとこへ。早くしないと火が――――」
巨大な残骸は動く気配がない。力を込める度、彼女の傷口に激痛が迸った。
「パパ死んじゃいやー!」
濁った天(そら)を衝く、娘の悲痛な叫び。
「お姉ちゃんヒーローなの? ならパパをたすけて! ヒーローは強いんだってパパいつも言ってるもん。パパたちがなにも心配しないでお仕事がんばれるの、ヒーローの人たちがいるからなんでしょ……?」
桜花が父を亡くしたころよりも幼い、少女の涙声が耳に刺さる。
「大丈夫。お姉ちゃんがヒーローの力を見せてあげるよ。そんなよくわかってらっしゃるパパさんを死なせるわけにはいかないからね」
微動だにしない巨塊。見知らぬ子どもに、何をできない約束をしているのだろう、と頭では理解している……してはいるが、どこの誰とも知れない生命が今、目の前で尽きようとしている、その現実が彼女には受け入れ難かった。
「お姉ちゃん、なんでないてうの? パパたすからないの……?」
痛いほど視線を背後より感じる。苦しい。体力的にも限界をとうに超えていたが、桜花にとって、この場で起きている悲劇に成す術もないことが、何よりも辛かった。
(……多聞さんに助けられてばかりだったぼくは、一人前の妖屠になって多聞さんを守りたい、そう願って鍛錬を重ねてきた。けど彼は死に、そして今日、踏みにじられる命を見捨てられずに、妖屠であることも捨てた。なのに……もう終わるの? 目の前の一人も救えずに、ぼくはここで終わるの……?)
噛み締めた双唇より、深紅の血が流れてゆく。
(多聞さんが与えてくれた生きる道。信雄が助けてくれたこの命で、ぼくも多くの人々を助けるって決めたのに――――)
無力な己に押しつぶされるようにして、項垂れる彼女。
そのとき――――