† 十六の罪――父の手(参)
「……遂に、この日が来てしまったか――――」
仄暗い地下道に木霊する、青年の独白。
(来てしまった……? 何を憂うのだろう。人類の未来に至る道を拓く第一歩にして、不可欠の門出というに、何故こうも後ろ髪を引かれるのか? 覚悟も準備も決した以上、あとは我が魔道の果てに答えが示されるのみ)
切れ長の両目を伏せ、自問する。
「そうやってとまどうのも人間の証だと、実感していたところかな?」
聞き慣れた声に、彼は顔を上げた。
「登輝……!?」
不敵に佇む影から、細く煙が流れている。
「ボクに黙ってぬけがけかい? ずっとがんばってた研究の成果を見せてくれないとは冷たいなー」
そう呼びかけつつ革靴の音を反響させ、軽やかに近づいて顔を覗き込むと――――
「……やめなよ。キミには似合わないって」
男は、低く告げた。
「いかに友の申し出といえど、退く訳にはいかない。人を超越せずして、人の世を救済には導けぬと、説いてきたではないか。我が悲願にかける想い――お前が最もよく存じている筈だ」
静かに、しかし切実に訴えかける象山を正視する彼。
「だからこそ、だよ」
そのまなざしは、あまりにも哀しげで、どこまでも真摯で、誰よりも強い意志で満ちていた。
桜花は沈黙を貫いたまま、少年の後ろ姿を見つめていたが、意を決したように息を吸い込む。
「のぶ――」
「よせ」
それは、すかさずベルゼブブに制止された。
「泣いている」
彼女は穏やかに、相棒を諭す。
「信雄、涙は嫌いって…………」
「泣いていると申しておるのだ。あやつのうしろ背が――――」
温和な物言いながら、反論も飲み込む他ない、地獄元帥の気迫。
「誰が泣いてるって?」
二人は、時を同じくして振り返る。
「のわっ……!?」
動揺のあまり、桜花が足を滑らせた。
「一番泣きたいヤツの前で、部下が泣けるかっつーの」
間一髪で受け止めると、言い放つ信雄。
「う、うるさい……って――ちかかかかかかか近い近いーッ!」
身体を支えたまま、彼女がばたつかせる両腕を躱し続ける。
「むぅ、なんという妙技じゃ……!」
ベルゼブブが目を丸くする一方で、自在に操られて、ますます桜花は取り乱すばかりだった。
「だから一緒に泣いてやるよ。全部終わったら多聞さんの墓の前で」
そう声をかけ、姿勢を起こしてやると、彼は仲間たちを目を移す。
「俺は無駄にしねーよ。あの人が命に代えても貫いた想いを。そして、教えてくれたことを――あんたらもそうだろ?」
声を詰まらせ、深く首肯する一同。
「……意外と早ぇ再結成だったな」
苦笑を浮かべると、信雄は握り締めた右手を突き出す。他の四人も周りに集まり、拳を合わせた。
「主要部はもう抑えられてる。連中よっぽど強力な悪魔を大量入荷しやがったのか、結界も何重にも張りまくりだ。外部からの支援は期待できねー」
腕組みして、信雄は報告する。
「我々だけでやる、と……?」
顔を強張らせる同僚たち。
「他に誰がいんだよ――いや、まだいるっちゃいるか。最終兵器が」
「まさか……ちょっと、信雄!」
踏み出した桜花を、彼は目で制する。
「どっかの誰かさんがそこの蝿っ子を見せちゃってるし、組織もなくなったってのに、今更もう隠すこともねーよ。ほら、あんたも窮屈だろ? いい加減エコノミークラス症候群になっちまうって」
「ご主人さまに会えるのか……!?」
信雄の提案に、ベルゼブブが瞳を輝かせた。