† 十八の罪――地獄元帥(弐)
十代の時分より実業家として頭角を現し、政府でもその頭脳に加え、魔法にかけられたような、との形容が流行ったほどの独特な妙味に魅了される者が後を絶たず、出世を重ねていた若き外交官・緑川真備。
訪欧中、彼は懇意の有力者から、ある秘宝を受け取る。
「緑川くーん。ソロモン王の指環って、それ本物かなー」
「かの知恵王を登輝が知っているとはな」
大海原をゆく船の甲板。真備はいつの間に現れた友に、手元の指環から目を移した。
「ひどいよー。ボクだって武芸以外に一般常識ぐらいは――まあ欠けてるかもしれないけどさ…………」
露天船橋の手すりに上体を預けた茅原は、煙管をくるくると回し、口を尖らせる。
「まあ魔術オタクのキミが思うぐらいなら眉唾でもないのかもしれないけど、トランシルヴァニアの片田舎にそんなものがあったとはねー」
「古代の品ではあるが、内外共に劣化が少ない。これを賜わった方は地域の大領主。その筋に手入れをさせていたのだろうよ」
空と海の曖昧すぎる境界に、彼は鉐色の指環をかざした。
「その筋、ねえ――――」
茅原はゆっくりと息を吐き出し、それだけ言い残すと、階段を降りてゆく。置き去りにされた紫煙が、潮風に溶けていった。
「魔力の器としても優秀と見たが、大切なものを差し出すことで、使い魔として本来は手に負えぬような格、数の人外を使役できるようになる、か」
一人に戻った彼は独白する。
「……そうか。フフフ、そんなにも――そんなにも私に天下を治めよと……!」
震えが混じる声。三日月のように、その口元は歪む。
「いいだろう。くれてやろうとも……! そう、凡てくれてやる! 新たに従えた怪魔で手放した肉体の再構成を繰り返し、力とそれを揮い続ける永遠を手に入れるのだ。あの時、届かなかった奇跡を今こそなし得る時! 迷うことは無い。対価だと? 上等だ。私ごと持ってゆくが良い……!」
両腕を広げて空を仰ぐ真備の哄笑が、青天に響き渡った。
「魔道に手を出してから、しゃべりかた変わってきたとは思ってたけど、見た目も今や別人だね」
茅原の言葉は嫌味ではなく、心身共に若返った結果ゆえの純粋な感想である。
「気に入らぬか? 覚悟はしていたが、いざなってみると醜いものよ」
問いかける真備の全身は、包帯で覆われていた。
「いやいや、前も言ったじゃん。キミが一生懸命やった結果なら、ボクにとってそれが美しいんだよ。それに、どんな見てくれになろうと、友だちであることには変わりないさ」
無邪気な笑顔で、彼は答える。
「今日も儀式(あれ)かい?」
「ああ、この世界を塗り替えるには、いまだ及ばぬゆえな」
「……そう。くれぐれも、無理はしすぎないようにね――そのために、ボクがいるんだから」
暗がりの中、禍々しい祭壇の前に倒れ込み、呻く男が一人。
「あ……ッ、ぐッ! ふぅうう……ぬふぅうううう――――」
彼は右面を押さえて悶えつつ、嗤っていた。
「フフ、フッフフフ……クハハハハハ! 眼を捧げてなおも足りないと!?」
隻眼を瞠り、虚空に吼える。
「いや、私にとってさして大切なものではなかったというだけのこと……そうか――人類の未来と引き換えだものな。秤にかけるのなら、私にとって重ければ重い程いい……!」
石室に木霊するのは、自嘲と高揚が織り成す不気味な叫喚だった。
閑静な居間に、少年が入ってくる。
「親父、今日は早いね」
声をかけられた男は、背広を脱ぎながら振り返った。
「ああ、珍しくあいつが帰ってくるらしいって言ったら、残業なしで帰らせてくれたよ。ほら、最近イケメン外交官だのなんだのって、テレビよく出てるだろ。上司たちの間でも好青年って評判でな。そう言う信雄はちゃんと剣道やってきたのかー?」
「失礼な。俺は部長候補だぜー。今日なんて、また強くなったって顧問にほめられたとこだよ」
勝ち気に応じる彼だったが、その面持ちにふと寂しげな色が差す。
「……兄貴もたまには試合観に来られるといいんだけど――って、言ってるそばからお帰りみてーだ。おーい、兄貴―! 久しぶりー」
玄関へと走る信雄。
しかし、
「兄貴……?」
帽子を目深に被った彼の異様な雰囲気に、思いがけず立ち止まる。
長男・真備は、顔を上げることなく、
「……ただいま――――」
と、呟いた。