† 十九の罪――禁じられた呪い(弌)
荒廃した戦場で、対峙する二人。周辺の地域ごと空間を変成した象山の異界が、そのあり方を保てなくなろうというほどの損壊で、攻防の凄まじさを訴えている。
「台湾でも日本でも、ボクに勝てる奴はいなかった――人をやめてからはなおさらさ」
口調までも以前の面影がなくなっている茅原は、顔面を流血で染めながらも、涼しげに語った。
「そう、ボクがこんな本気になるなんて初めてだよ……!」
降り注ぐ氷柱を嬉々として弾いてゆく。粉々に飛び散った破片で、狂気じみていると同時に、幻想的な光景が織り成された。
「面白い……全力での戦いとは、こうも面白いのか――――」
双剣より風の刃を撃ち出して、反撃に転じる。
「……緑川くん。キミとの夢追い以外にも、やっと心躍ることが見つかったよ」
次々と浴びせられる熱線を、流れるように躱してゆく茅原。
「うぉおお、まだまだーッ!」
とうとう撃ち墜とされた彼に、さらなる追撃が斉射される。
「まだだ……!」
魔術障壁で凌ぐが、圧倒的な出力を殺しきれない。
「ぐ……ぐぅうう、うぉあおおおおッ!?」
障壁を遂に破られ、茅原は後方へと吹き飛ばされた。
「がはっ! ふぅふぅ、クフフ……まだだよ。いや――――」
立ち込める土煙の中より、ゆっくりと起き上がる。
「もっとだ…………」
その見開かれた双眸は、嗤っていた。
「もっと、もっと! もっとさ! おおおおおおお……!」
怒号と共に、彼は突進する。
「ルシファアアアアアアッ!」
魔王の面前に魔力弾が幾重も螺旋を成し、数十発の掃射で迎え撃った。
「ブハッ! むぐぅ、ぐふふふふ……そうだ。フフ……これだ、ボクの血をわき立てるのは――――」
続々と被弾して失速しながらも、依然として茅原は前進を止めない。
「これなんだよ!」
今や全弾が撃ち尽くされ、数メートルの距離で双方は正対する。
「人をやめたのなら、相手は人間じゃなくちゃなあ。堕天使」
その不敵な目つきを見据えると、ルシファーは静かに沈黙を破った。
「やはり貴様は余を興じさせる――宜しい、至高の剣で葬るに相応しき男よ」
優雅に、それでいて一切の油断もなく、構えるのは魔剣(カルタグラ)。
「最期に謳え。古より剣士(グラディウス)の魂を吸い続けし我が刃を以て、其の猛る血潮を鎮めよう」
回廊の壁面は崩落し、焼け焦げた床にベルゼブブが倒れ伏している。異形の巨像は跡形もなく、舞い落ちる火の粉と駆け寄る桜花の他に、もはや動くものは皆無であった。
「意外とあっけないものじゃな。もどるの、か――あの暗い、常闇の中へ」
「そんな……大丈夫って、言ってたのに……!」
霞みかけている彼女を悲痛な面持ちで抱き起こす。
「そちは一人でもじゅうぶんにつよい。吾輩がおらずとも、だいじょうぶじゃよ」
地獄の猛将は薄れゆく中で、穏やかに伝えた。
「ベルゼブブ……なんでこんな無茶を――」
「すまんな。お望みのいけめん悪魔でもなかった上に、最後までこれぐらいしかできることがなくて」
彼女はそう言って、困ったような笑みを浮かべる。
「……イケメンだよ。とっても」
涙ながらに首を振る桜花。
「まったく、とんだ茶番につき合わされたものじゃ。だが――たまには茶番も、わるくないじゃないか。うつしよの食卓もなごりおしいが、もう吾輩はもどらねばな――――」
ベルゼブブは、表情を改めると、
「三条桜花よ!」
「は、はいッ……!」
「主はいらんと申したが、そちは吾輩の最高の相棒じゃったよ」
そう言い残して、ささめ雪のように消えていった。
「ぼくにとってもそうだよ。そしてきみは――今までも、これからも、かけがえのないたったひとりの相棒」
少女も泣きながら笑って、友の残像に呼びかける。
初めて出会ったとき、召喚者(かのじょ)は落胆し、悪魔(ベルゼブブ)は苛立っていた。
最後に過ごしたとき、涙と共に見送る桜花に、相棒は微笑みかけながら消えていった。
「……ばか」
その掠れた独白に、応じる者はいない。
「みんなほんとーに……ばかなんだから――――」
部下たちとベルゼブブの去った傍らで、彼女は糸の切れた人形のようにへたり込んだ。
迷宮の中枢たる一室で、視線を交錯させる隻眼同士。先に口を開いたのは、信雄だった。
「久しぶりだな」
少年の冷たい声色が響く。
「はて。貴殿と直に話すのは初めてではなかったかな?」
包帯から覗く象山の無機質な左目を、睥睨する信雄。
「……化けもんになって、忘れちまったか――緑川真備」