† 十九の罪――禁じられた呪い(弐)
迷宮の中枢たる一室で、視線を交錯させる隻眼同士。先に口を開いたのは、信雄だった。
「久しぶりだな」
少年の冷たい声色が響く。
「はて。貴殿と直に話すのは初めてではなかったかな?」
包帯から覗く象山の無機質な左目を、睥睨する信雄。
「……化けもんになって、忘れちまったか――緑川真備」
その言葉に、彼は双唇を歪ませた。
「クッ、クフフ……そうかそうか。こうも立派になって会いに来てくれるとは、相も変わらず兄想いではないか。あの日のように考え無しに再会を喜ぼうと駆け寄らぬ辺り、確かに成長しているな」
「あんたは逆に退化したみてーだがな……なあ、なんでだよ? なんでこんなことした!」
冷静さを失った信雄が喉を震わせる。
「愚問。人間のみが弱者に甘い。本来は淘汰されゆく劣等を愚かにも護ろうとしたツケを、必要経費で支払うまでのこと」
「必要だあ? 何様なんだよ…………」
拳を握り、息を荒げる少年。
「仮に神が世界を創造したとしよう。ならば破壊する者もまた、神となるのではないか? そう、再生が求められているのだ。人間共は力こそが唯一、万能たる法という事実より目を背け、綺麗事で誤魔化している。自然界を見よ。人間は違うと言い張るのなら、歴史を振り返るが良い。そこにある真理は動かずに迎えてくれよう。力に綺麗も汚いも無い。そして、この世のどこにも正義なども存在しない。ゆえに私が最強の力で裁き、半永久的な命で平安を保ち続ける――これが人間に残された、最大にして最後の救済だ」
「……組織を、罪なき市民を、多聞さんをあんなにしといて、それが救済だと……?」
象山は、向けられる殺意を嘲笑うかのように嘆いてみせた。
「復讐心に囚われる哀れな妖屠など、元より駒でしかないに決まっていよう。組織も実験場に過ぎない。それに、誰だから等ではないと言ったのだ。必要な分のみを切り捨てたのだと。そこに個人的感情は存在しない。ただ、弱かった者が勝手に死に絶えるだけの話だ。環境変異とそう違わないだろう。取捨選択、高校中退のお前も聞いたことがある筈だ。お前は今、犠牲者をその他大勢と喜多村多聞に分けたな。逆にお前には、選ぶ権利があるのか?」
「……選ぶ権利がねーなら、みんな救うしか――」
「クハッ、滑稽だ。出来たらヒーローが世界中に溢れてしまうな! 綺麗事とは現実から目を背ける弱者の妄言に過ぎない。今の我々が享受しているのは、夥しい犠牲の上に成り立つ日常だ。流れた血に目を背けて夢物語をほざくな。これ以上の血を流さない為には、暴力ごと根絶すれば良いだけではないか。私は人類凡てを争いの苦痛から解放するのだよ――滅びをもって、な」
溜息を挟むと、彼は続ける。
「人間とは救えぬもの! 怪魔との戦いの中で、何を見出したのだ」
「ああ、そうだよ……人間の闇が奴等を吸い寄せる……! 人は弱い。信じられない。本当に救えない生き物なんだ。それでも、俺は――俺は人を護りたい! 親父は弱かったから死んだんだ。負けただけのこと。仕方ねーさ。だから連中より強くなって、俺が仇を討ってやる――そう、剣を振るってきたんだ」
「しかし、その武力で人を制したことも少なくはないだろう。任務であろうと、誰かを護るのは、その者と敵対する別の誰かを討つことに相違は無い。助けること、即ち選ぶこと。発展途上国を訪れたことはあるか? 一人に手を差し伸べようものなら最後、全員が欲して途方に暮れる他無いのが定め。理想で救いたがる輩に、現実は厳しく立ちはだかる」
顔をしかめ、信雄が唸った。
「そのために、根本的な問題を解決すんのが政治じゃねーのかよ。あんたの言ってることは一理あるかもしれない。ただ、今のあんたは目的にすがりつくだけで、ただ暴れ回ってるだけだろ。強い者ほど力に頼ってはいけない、暴力はさらなる暴力を生むだけだって言ってたじゃん……俺の知ってる兄貴は、平和のために頭を使って働く外交官だったぜ」
「弱者が語る平和は現実逃避。まず誰かを護ろうとする等、弱者のすることだ。偽善者が護るのは他人ではなく己。より弱い者を助けようとすることで、強者に潰されないだけの人物であるよう演じる。そうでないのなら、メサイア・コンプレックスにでも取り付かれた我侭坊やであろうよ」
暫しの間、沈黙が続いたが、軽く吐息をついて仕切り直す弟。
「平行線、か……これ以上は無駄だな。悪いが俺も、俺なりに曲げられねー想いがあんだわ。思うとこあって命かけてるわけ。だから最後まで、俺は俺として生きさせてもらう! お互い妥協できなそうだし、力こそが正義っつーなら――ここで俺にぶっ倒されても文句ねーんだろなぁ?」
「ふむ。出来るのなら結構だが、得物さえも失った身で私を倒すと?」
魔力を漲らせた信雄を、不思議そうに彼は眺める。
「ほう。それは死神の大鎌か」
禍々しさと流麗さが極限の域で調和された、機能美に満ちた凶刃。姿を現したみつきのデスペルタルを一瞥し、象山が口にする。
「……誰のせいで死神が生まれたと思ってんだよ。あんな小さい女の子をぶっ壊して、実験場だなんだって、いい加減にしやがれ」
「この世が残酷なのは不変の理だ。お前は自分を変えることで世界も変えようと望む、めでたくも哀れな若者――そう、私は未来のお前だよ」
信雄は魔力をさらに上昇させて、
「そうかい――――」
と答え、眼帯を外した。
「なら、ちょうどいい……!」