・第ニ章・『離人症の英雄~主賓品評会~』
自分と言う一点に向けられる、威圧的な警告音と騒乱の叫声で混声された合唱。その歌曲に心躍らせつつ、僕は猫の様に軽やかに踵を返す。最早僕を追走する者は居らず、只誰もが遠巻きに傍観するのみだった。この侭失踪してしまおうか、と算段を付け数歩行った時、僕はふと見慣れない物体が視界の片隅に留まった事で一瞬足を停める。
それは普段ではお目に掛かる事も無い、今日の祭典の為に用意された馬車だった。……それを暫し見遣り、僕は思わず唇の片端を上げた。街路を行進する仮装行列の一部で在り、有料で市民も乗車可能な都市名物……。この馬車を逃走手段として用いる事を思い付いたのだ。
僕は充足していた。神に転身したかの様な全能感すら在った。逃げ切れる、と言う根拠の無い自信に満ち満ちていた。本来であれば近代的な都市の景観にはそぐわない、典雅な意匠が施された馬車に跨る。すると、今迄の騒動に丸で無頓着な侭悠然としていた二頭の馬が、怠惰な形相の侭で徐々にその足取りを進め始めた。
段々と歩調が速まり軽快な蹄の足音が大路に響き出した頃、僕は振り返り茫然と眺め続ける観衆へ愛嬌付く様に、大仰に片手を振りながら叫んだ。
「さようなら!」
馬車は更に加速する。遂には馬達も、風に乗り昂揚し始めたのか戦慄きを挙げる。その速度と戦慄きへ呼応する様に、僕も更なる大声を張り上げた。
「僕は仮面舞踏会から抜け出すのさ!!」
*
・第ニ章・『離人症の英雄~主賓品評会~』
【―破壊された祝祭―ヒルサイド通り魔事件】―デカート通信―
未曾有の大事件が発生した。事件発生地は先進都市インダーウェルトセインの繁華街ヒルサイド。同日午後1時40分頃、祭典の熱気に包まれたその街中で、一介の男性が突如通り魔と化したのだ。
現場は百貨店やブティック、飲食店等が軒を連ねる繁華街。容疑者は同都市名物である祭典『デジタルマスカレード』が盛況の真っ最中に仮装行列の一群を急襲し、劇団員が纏う仮装の一部たる仮面を強奪しようと試みた。
周囲の関係者がその暴行を取り押さえる為に駆け寄ると、乱心を極めた容疑者は制止から逃れようと暴れ廻り、遂には自身のヘッドギアに手を掛けたと言う。
そう、何とヘッドギアを自ら着脱し、並み居る群集に向けて自身の素顔を露出させたのだ。