……そして捜査要素が増加する事で、機動の比重が攻性から防性へと推移し始めた事にロイトフは懸念を感じていた。エス個人への追尾や包囲と言う攻性の捜査から、エスからの襲撃を危惧する事での防備へと……。
―世界が個人を追い詰めて行く筈が、個人が世界を突き詰めて行く……。
そんな形勢の逆転すら覚えて目眩を感じてしまう。『もしエスが政府へと反旗を翻した所で、たった一人の力ではたかが知れている……』。当初ならば、それが論議を待つ迄も無い全員一致の感想だったに違いないが……。しかし助力者迄が出現したらしい状勢から鑑みると、今後は大規模なテロへの対応も念頭に入れて置くべきかとロイトフは予見し始めた。
何由り、目下人員が割かれ捜査力が低下する要因は他にも顕在化して来たのだ……。『それ』はロイトフの慧眼から既に予測していた案件ではあったのだが。そして『それ』は捜査の散漫にも撹乱にも繋がる上に、第二、第三と言えるエスの出現や、エス本人への助勢となる危険性も憂慮される。
足音が硬質に反響するリノリウムの通路を闊歩するロイトフ。その足音の中で、無数の嗚咽や気勢が漏れ聴こえて来る……。事情聴取室へ赴くと仕事中の部下一同が一斉に振り返り、その頭を垂れて彼を出迎えた。防音壁の硝子越しに取り調べの光景を一瞥すると、机を差し挟み対峙する刑事と容疑者が見て取れた。時に恫喝し、時に懐柔する様に質疑を進行させて行く刑事と、時に居直り、時にさめざめと告解する容疑者と……。古株のロイトフに取って本来は然程感興も湧かない日常的風景に過ぎない筈なのだが、現状でのその光景は丸で未体験の如き異質の様相を呈していた。ロイトフは振り返ると、皮肉る様に側近の部下へ言い放つ。
「……いつからここは精神病院になったんだ?」
はっと恐縮し肩を竦めるも、結局部下は終始無言で平身低頭した侭だった。自然、澱の様な暗鬱とした沈黙が一同へと垂れ込める。刑事と対峙した容疑者は、真摯な調子でこう主張し続けていた。
「……だから何度も言ってる様にね、刑事さん。僕が犯人なんですよ。僕が世間を騒がせているエスなんです……」
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