差出人や文面を見る迄も無く、緊急事態を告げる一報である事は瞬時に察知出来た。一般のメールとは異なる別件用の赤々しい装丁で、政府要人達へ一括配信された直属メールである事は明白なのだ。
「差出人:インダーウェルトセイン政府事務局
件名:各庁通達~緊急招集案内~
関係者各位
インダーウェルトセイン政府由り緊急速報です。近頃の『デジタルマスカレード通り魔事件』から端を発し頻発する犯罪事件ですが、その被害の拡大は止まる事を知らず、更なる重大な不祥事が発生致しました。
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重篤な事態を前に、政府は各庁上役に限定した緊急招集を決定致しました。付きましては添付された資料、地図、ガイドナビゲーションを基に指定の場所へ速やかに御越し下さい。
場所:------------------------------------
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………………………………………………」
室長は事件の詳細や指定された場所を読み進める内に、驚愕し声を失った。
(もう事件はここ迄加速し広範に波及し始めているのか……! 今直ぐ現場へ駆け付けなければならない……!! これは喫緊の事態だ……!!)
*
政府機関御用達である黒塗りされた高級車の一群が、『シュガーポッドシティセンター』の一角で鳴りを潜める様に停車している。昼下がり、食事時の為にビル内から吐き出された会社員達で街区は色めき立ち、俄かに雑踏の様相を呈し始めた。
黒服で全身を固めた精悍な警護者達は、高級車の内外で寡黙に待機している。彼等は人出の増加に警戒心を一層研ぎ澄まし、周囲の動向を終始窺っている様子だった。
―この一帯は、硬質な外観が特徴的なオフィスと商業施設の複合ビルで形成されている都市の経済中心地だ。競合する様々な会社で犇いてはいるがそのどれもが一流企業の水準を誇るだけ有り、街区全体の雰囲気は歓楽街の様な猥雑とした熱気を孕む事は無い。寧ろ人工的に整備された故の冷感や、新緑に葺かれた様な涼感さえ漂っている。
そしてそんな第一等の商業地区で、ロイトフを筆頭とする各界要人達は指定されたセンター内の工場区域へ既に集結を果たしていた。
件の工場内―。要人達は全員が眼前の光景に呆気を取られ、延々と立ち尽くす侭だった。それは事前に緊急通達が為され、全員が到着する以前から想定されていた状況にせよだ。
誰もが茫然自失とする中、やっとの事で一人が沈黙を破る様に恐る恐る口を開く。しかしそれは独白なのか、場に語り掛けているのか、誰へとも付かない自他の曖昧な調子だった。
「これは……、酷い有様ですな……」
その当惑した台詞も、空虚な雰囲気の現場では空々しく響くのみ。各人は思い思いに視線を逸らし、聴くとも無しで終始無言を湛えていた。誰もが申し合わせた様に素気無い態度である事は無理もない。
―何しろ現在、彼等を取り巻く広大な工場施設の一面が、焼け散った無数の精密機械部品やヘッドギアの残骸で埋め尽くされているのだから……。
社会基盤を担う為に日夜稼動していたヘッドギア生産工場内部は天災が襲撃して来た直後の如く無残に破壊し尽くされ、尚且つ大火事で炎上した様な生々しい焦げ痕をも見せていた……。本来24時間体制で一寸の誤差も無く自動的に製造、供給されて行くベルトコンベアの工程は全てが停止され、役割を喪失した機器類も物々しく半壊している。焼失前後の火煙は空気清浄装置等でとうに除去された様なので、有毒ガスに由る被害を蒙った者達は居ない様だが……。
ヘッドギア生産工場内が壊滅状態に追いやられ機能を停止させられた現在では、周囲の虚無的な雰囲気が拭えない。それは、夜更けに閉店を迎える大規模な百貨店の様にどこか物悲しさをも漂わせている。日々栄華を誇るからこそ、閉鎖する時分には一層悲哀が増すかの様な心寂しさ、それに似ていた……。新品の製造機能を麻痺させられ頼みの綱で有る完成品の在庫迄が全壊された現状に、各界要人達は漸く我へ返り始めた。
「一体どうしてここ迄の犯行を許したんだっ!!」
「これもやはり、エスやその影響者達の仕業なのか……!? 工場内の機械の誤作動や不具合からの発火事故ではないのかね?」
誰もが口々に怒号を発し息巻く中で、ロイトフは冷静に否定的見解を述べ彼等を神妙にさせた。
「……いや、不審火だ。工場内の全自動防災システムならば、発火監視カメラが設置されている筈だ。カメラは発火初期段階以前の高温熱ですら、火災発生位置と見做し検出出来る。そして位置情報を特定し、自動放水銃が照準を合わせ消火を開始するからな。
つまり機械の不調から火災事故が発生したとしても、大事へ至る前に自動的に鎮火される筈なんだ。……ヘッドギアを破壊する理由を持つ者は誰か、議論する迄もあるまい。それも工場ごと焼き払おうとする様な大胆不敵な者等はな」
ロイトフが淡々と述べた考察に、一同は息を呑んで絶句した。
「それでは、やはり……!!」
「―そう、この一件も、エスやその狂信者達の犯行と見てまず間違いなかろう」
その冷厳な返答を受け、彼等は顔を見合わせ再度騒然とし始めた。ロイトフは周囲の動揺を他所に、首を向き直し今回の担当官に問う。
「しかし、検品する為の作業員位は駐在していなかったのか?」
当該事件の青年担当官は、四方から刺す様な非難の視線が一身に集中した事を感じ、萎縮しながら返答した。
「はっ、全自動の生産工場である為に、就労者は少人数でして……。いつ、如何にしてここへ入り込み爆破工作を講じたのか等は、今以って捜査中の段階です……」
青年担当官は見る影も無く憔悴し言いあぐねる。しかし明晰なロイトフはその言及を緩めない。
「各所に監視カメラや防災システムは設置されているだろう? 人的な警護体制も当然敷かれている筈だが……?」
ロイトフは冷徹に適切な指摘を為して行く。彼は何も青年役人一人に対し全ての罪責を圧し付けるつもりも無く、相手をやり込めて憂さを晴らしたい訳でも無い。只鋭敏なロイトフは青年の態度を見て取り、彼の胸中に未だ何等かの秘匿がある事を嗅ぎ取ったからこそ、容赦無く鋭利な質問のメスを切り込んで行くのだった。
しかしロイトフからすれば詰問と云った意図では無いものの、矢継ぎ早な質問の逐一は青年に取って後ろ暗さを抉ってしまう的確な指摘の様だった。彼は殊更に恐縮し言い淀む。
そして無益な沈黙が場を支配して数瞬。出口の無い無言にも業を煮やさず、敢えて無感情を崩さぬ侭対峙し続けるロイトフに観念したのか、青年は遂に閉ざしていた重い口を開いた。
「……実は、当方としましても不可解な事態が起きてまして……」
漸く吐き出された告白の一節に、全員の注目がより一層青年へと集中する。
「現場で無人の時間帯が全体を占めるにしても、勿論監視カメラシステムは24時間体制で稼動しています。更に、棟内を定期巡回する警備員達も一定数の雇用はされている。
しかし……。検問所に常駐する者や施設内を巡回する者達にも、誰一人として侵入者を目にした記憶が無いと言うんです。誰にも気配を悟られずどうやって犯人が侵入したのか、爆発発生迄、何故誰も非常時だと気付く事も無かったのか……!? スプリンクラー等の自動消炎装置が作動しなければ、それこそ施設全体が炎上してしまっていたと思うのですが……。
そして最も不可解なのが、各人の記憶に無いだけに留まらず、デジタルな外部記録にも一切痕跡が残っていない事なんです……!!人間が侵入者に気付かなかった、と言うのならまだしも、各所監視カメラの映像記録からすら何も発見されない……。カメラは最大350℃の全方位型で、死角は有りません。当日の記録を幾ら巻き戻し精査しても、犯行映像が微塵も検出されず、普段の日常的な作業風景が淡々と流されるばかりで……。じゃあいつ襲撃されたのか?丸で犯行現場の時間や場所だけを切り取られたみたいで、我々も何かの手品を見せられている様な気分でして……」
青年の狐に抓まれた様だと云う告白に、周囲の要人達も動揺の気色を隠せない。中には、『透明人間でも出現したと言うのかね』等と精一杯の揶揄を振り絞る者も見受けられたが、その当人も事態を把握出来ず虚勢を張っているに過ぎない事は一目瞭然だった。そして暫くの間、現場はざわめき立ち収拾の付かない状態へと陥る……。取り留めの無い雑談が場を流れ始めたが、各人の反応を半ば無視するかの様に、ロイトフだけは只一人沈黙を保っていた。
(記憶にも記録にも残ってない……?)
(現場の時間や場所だけを切り取られた様に……?)
(だとすると若しや……!)
ロイトフは自問自答から得心を得たと云った風情で沈思を解き、周囲の中心に居直った。青年役人へ対峙すると、ロイトフは謎を仄めかす様な調子でこう語り掛ける。そしてそれは同時に、自身だけが真相を掴んだかの様な確信に満ちた口調でもあった。
「……君は、何かの手品を見せられている様だと言ったな? しかし手品はどんなに不思議でも魔法では無い、確実に種は隠されている物だ。今回の一件も不可解な様でいて、巧妙な仕掛けがトリックとして用いられている筈だ。私の思い違いでなければな……!」
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