第十五話 白い絵と、ローブの絵描き

 美鳥を家に送り、美佐枝さんに事情を説明した後、俺は帰路に着こうとした。
 だが、美鳥の母である美佐枝さんからこんな話を聞いた。

「ねぇ、啓一君。ちょっといい?」
「はい」
「……あまり心配させたくないんだけど、美鳥ってば、自分の画材を全部捨てようとしたのよ」
「え!?」

 画材を?
 部活をやめようとしているからか?
 でも、唐突すぎるだろ。

「その、画材は?」
「こっそり元に戻したわ」
「そう、ですか」
「私、夕食の準備しなきゃ。どうする? 美鳥はいないけど、食べてく?」
「いいえ、俺用事あるんで。すいません、ありがとうございます」

 おいしいお誘いではあるが、今はやる事がある。
 美佐枝さんに挨拶をして、家に帰るやいなや、父さんの部屋を漁り始めた。
 もうここくらいしか記憶のヒントになりそうなものは残っていない。
 この部屋には記憶を失う前の俺が使っていたであろう画材も保管されている。
 イーゼルだって美鳥に使わせなかったし、まともに整理する事もなかったんだ。
 掃除ついでに、美鳥の気を引けそうなものを探して見よう。
 鍵を開けて中に入り、部屋を見渡す。
 美鳥が鍵を勝手に開けていた時は何を見ていたんだろう。

『あ、ご、ごめんなさい! かか、勝手に部屋に入っちゃって……』

 ……なんで、美鳥はここに入ったんだろう。何かを探していた? 人の家で?

「父さんの絵が見たかったらしいけど、本当にそれだけなのか?」

 これだけ画材があると、どれが俺の使っていた画材なのかわからない。
 もしかしたら、俺の画材は一部にだけ紛れ込んでいるかも。
 父さんは死んだ後、俺に画材を残してくれたんだろうか。
 鍵も俺の部屋にあったんだし、そう考えるのが妥当かもしれない。

「でも、美鳥の目的がやっぱりわからない。こればっかりは本人に聞かないと」

 といっても、今の美鳥はそれどころじゃないか。
 今はローブの絵描きについて知りたい。美樹の姿をしたローブの絵描きのことも。
 あいつを見つけられれば、何かがわかるとは思うんだけど、そう簡単に会えるものでもないよな。
 母さんは仕事で忙しいし、達也だってすべてを知っている訳じゃない。自分の事は自分で思い出すしかない。
 みんな、ローブの絵描きと出会っているけれど、男だったり女だったり、 なんで見た人によって違うんだ。利き手にしてもそうだ。俺は左手。俺が会った絵描きも左手。
 美樹……美鳥が美樹と間違えた絵描きは右手を前に出していた。右利きなのか?
 出会った本人と性別が同じだったし、もしかして、ローブの絵描きって言うのは?

「あ、こんなところにいた」
「うわっ! た、達也、お前、チャイムくらい鳴らせよ!」
「鳴らしたよ」

 呆れ顔で言われてしまった。

「気付かなかった」
「何してたの? うわ、随分荒れてるね」
「探し物をしてたんだよ」
「ここって確か啓示さんの部屋だよね」
「今じゃ、ただの物置きだけどな。で、何か用なんだろ」
「えっと」
「もう八時だぞ。何かあって来たんだろ」
「一応ね?」
「どうした」
「バイトの帰りでさ、智明先生の家に寄ったんだ」
「寄ったって、まさか昼休みの事で?」
「うん。頭下げに行った」
「律儀な奴だな」
「そういう啓一だって、その、ありがと。僕の事、フォローしてくれたでしょ。先生から聞いた」
「……まさか、それだけ言いに来たのか?」
「そのつもりだったんだけど……今日川辺であった事も聞きたくてさ」
「それで直接家に来たのか」
「うん」
「電話でいいんじゃないか?」
「やだ。定額じゃないからバカにできないんだよ?」

 随分ケチるな。

「あ、何か進展あった?」

 美鳥のことだろう。

「まったく。でも、手紙を見つけた」
「手紙って、美樹との?」
「ああ」
「読んだ?」
「いや、読んでない」
「だと思った」
「え、だって読めないだろ。見てしまえばいいんだろうけど、やっぱりこれは、俺が書いたものだけど……俺が書いた訳じゃないんだし」
「啓一は啓一でしょ? それに、読まないと美樹に申し訳ないと思わない?」
「……思う」

 なぜか鉄橋のガード下にいたローブの絵描きのことを思い出した。俺をあそこまで誘った奴だ。

「啓一は気が進まないだろうけどね」
「どうしたらいいか、俺にも正直わからない」
「複雑だね。変わりに僕が見る訳にもいかないし」
「まずは美鳥だ。あいつは今、きっと、追い詰められてる」
「何に?」

 もう限界だろう。

「達也、ローブの絵描きの話だ」
「うん」

 美鳥が家から出てこない理由。退部届けなんてものを出した理由。その原因は、数日前のあの出来事。

「美鳥が、ローブの絵描きを見た?」
「ああ。そいつの事を、美樹だって」
「…………」
「なるほど。急に啓一が美樹の事を思い出したのも、それが原因だったんだね」
「隠すつもりはなかったんだけど、ほら……信じてくれないかもって思ってな」
「もう。でも、これでやる事は決まったね」
「え?」
「手紙。読んでよ」
「ええ!?」
「啓一が美樹の事を思い出さないと、美鳥と会っても納得させられないでしょ!? 美鳥はきっと、美樹の事を忘れてたんだよ。ううん、忘れようとしてたんだ。啓一と同じように」
「俺と?」
「僕は啓一が思い出すまで、美鳥とも美樹の話はしないようにって思ってたんいだけど、美鳥はもしかしたら、本当に忘れちゃっていたのかも知れないね。そして、ローブの絵描きを見た時、全部思い出したんだ」
「それで、引きこもった?」
「今更、いなくなった人の事でそこまで落ち込まないと思う。こう考えるのが、自然だと思うな」
「……じゃあ」
「啓一が先に、美樹の事を思い出さないと。美樹以外の記憶でもいい。何かない?」

 俺が美鳥を救う方法。
 手紙は美樹とやり取りをしていた時の物。できれば思い出すまで見たくない。
 夢でも、ローブの絵描きでも、美鳥を救うヒントを俺にくれ。

「……!?」
「うわっ!」

 背後で何か落ちる音がした。

「達也、大丈夫か!?」

 金属音はない。紙? 本か何かだろうか。
 入口のすぐ近くの棚。その上に置かれていたものが落ちたようだ。

「う、うん」

 他の本が落ちてこないかと少し警戒しつつ、落ちていた紙束を拾い上げる。紙は色褪せていて、数十枚程度、紐で綴られたいた。

「白い絵とローブの絵描き――筆者、榎本啓示」

 達也が口にしたのは父さんの名前。一緒に呟いたのは、タイトルだろうか。筆者って事は画家の活動だけじゃなくて、いろいろやっていたんだな。

『ローブの絵描きは、男に言った』
『絵は描かないのか』

 聞いた事のない声が脳裏を掠め、消えていく。

「……!」

 待て待て、消えるな!
 思い出せる事なら何でもいい。ローブの絵描き? 白い、絵?
 俺は必死になって記憶の糸を手繰り寄せた。

「啓示さん、画家だけじゃなくて小説も書いてたんだ」
「そういえば、父さんからいろいろ話を聞いた気がする」

 あまり覚えていないけど、難しい内容じゃなかったっけ。
 哲学的な話が多かったはずだ。でも、まだ漠然としか思い出せない。
 多くの絵を見せてくれて、いろいろな話をしてくれた父さん。

『なんだ、また聞きたいのか?』

 俺が好きだった話や絵があったはずだ。

『それは見るからに怪しい、一人のローブを羽織った絵描きだった』
「父さんが話してくれた昔話の中に、ローブの絵描きって単語があった気がする」

 ダメだ、思い出せない。
 どういう因果かは知らないが、ローブの絵描きは実際にいたらしい。
 父さんもローブの絵描きを見たんだろうか、それともこれは聞いた話か。
 それを俺に言い聞かせたんだとは思うけど。
 なら、俺以外にも知っている人間がいるはずだ。話の内容がどうしても思い出せない。

「白い絵と、ローブの絵描き」

 白紙の絵を見せる、ローブの絵描き。これは?

「まるで今の状況を暗示しているようなタイトルだね」
「……どんな内容だったかな、これ」
「読んでみるか?」
「うん。啓一は?」
「お前が音読してくれればいい」
「はいはい。えと……」

太刀河ユイ
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太刀河ユイ

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