第二話 幼馴染その2
今日四回目の終鈴。昼休み突入の合図だ。
終鈴前に自分の片付けを終わらせていた連中は、そそくさと購買へ走り去って行く。
この学校では美術室が購買から一番遠い位置取りになっているせいか、焦る連中は廊下は走るな、なんて張り紙をガン無視して走り去っていく。
だが、購買ダッシュを本気で狙っている奴らは体育館またはグラウンドから直行できる選択体育を取っている。
それがウチの購買ダッシュ事情だ。
選択美術を選び、既に諦めている奴らは喋りながらゆっくりと購買へ歩いて行く。傍から見るとこのギャップに口元が緩んでくるな。
俺はそのどちらでもない弁当組。
「啓一君はいつも通り?」
「ああ。屋上で飯にするよ」
「いいなー……」
「来ればいいのに」
「私は学食で友達と食べてるから厳しいかな。達也君によろしくね」
「了解」
美鳥を背に、俺は一人屋上へ足を運んだ。
筆記用具置くためだけに教室へ戻るのも面倒だし、寄り道せずに行こう。
弁当も取りに行くが必要ない。弁当はもう一人の幼馴染みに作ってもらっているからな。
階段をすべて昇り終え、屋上へ出た。
扉を開けると、まるで歓迎でもしてくれているかのように、一陣の風が吹き荒れた。
次の瞬間には、何事もなかったように風が静まった。
「あ、啓一」
屋上には弁当を二つ重ねて待っていた幼馴染みがいた。
「早いな」
「美術ならさっさと来るかなと思って。待たせたら悪いでしょ?」
「ゆっくりすればいいのに。ま、ありがとな」
「いいよいいよ」
弁当を作ってもらっている幼馴染みってのは男。この冬木達也だ。
中性的な印象のせいか、時々女に間違われたりする。本人にとってはコンプレックスらしい。
一緒に街を歩いていると兄弟に間違われたりもする。言わずもがな、こいつが弟に見えるのだろう。誕生日は俺の方が遅いんだけど。
ちなみに同じような例で俺が兄、こいつが妹に間違われた事だってある。ひどい時はカップルに間違えられたことさえあった。
ただ、こんな見た目している割に運動神経が良い。人は見た目で判断できないって言う良い例だな。
「どこ座る?」
「日陰でいいだろ。そろそろベンチ取り付けてほしいな」
「少し不便だよね」
学校事情に文句を垂れつつ、適当な日陰を見つけて達也と並んで座り込む。
「しかし、毎度のことながら屋上には誰も来ないな」
「そうだね」
「飲食禁止ではなかった気がするけど」
「学食が結構快適だからね。この学校の売りでもあるし」
「俺達だけなのかね。屋上派は……」
床で食うしかないから、屋上には人が来ないんだろうか。
「落ち着けていいところなんだけどね。ささっ、食べ始めちゃおうよ」
「よし。達也、いつもの」
「行きつけのバーみたいに言わないでよ。はい」
達也から俺の分の弁当を受け取る。
「やっほーい!」
「毎回嬉しそうに受け取るねー」
「メニューが毎日変わってるから楽しみなんだよ」
受け取った弁当箱の包みに手をかける。
ここで胸を躍らせるの俺はどうかしているんだろうか。男の作った弁当だぞ?
いや、こいつの作る弁当は美味すぎるんだ。それがいけないんだ、きっとそうだ。
「啓一?」
「どうした」
「いやなんで包みを開けようとしているだけで葛藤してんのかなって」
「……男友達の作る弁当が楽しみになっている自分への葛藤だと思う」
「それは複雑な心境だね」
そんなどうでもいい俺の葛藤は、弁当から漏れ出してきた食欲をそそる匂いに負けたらしい。
気付けば、いつも通り最短の手順で弁当の包みを広げ、蓋を開けていた。
「……あれ。達也」
「なに?」
達也も弁当を開ける。……あ、やっぱりだ。
「俺の好物ばっかりなんだけど」
「うん。そうだよ」
「なんで? なんかいい事でもあった?」
「はは、聴きたい? 啓一君」
なにこの子。そっち系の人だったの?
「今、変な想像しなかった?」
「い、いや別に……」
結構鋭いなコイツ。否定したものの、しばらく疑い目を向けられたが、すぐにいつもの表情に戻った。
「ちなみにいい事なんてないよ。話はあるんだけど」
話?
「うん。新しくバイトを入れるから、こうやって弁当が作れなくなるって話」
「へぇ」
……。
「ええええええええッ!」
屋上だったせいか、わりと声は響かなかったが、俺の心にこの報告はいささか重すぎた。
「弁当が作れない、だと?」
「う、うん。しばらくは食費もらっても作れないから」
呆然とせざるをえない俺。
「なんてこった……俺の生命線が……」
しばらく作れないから、好物ばっかり入れてくれたのね。
「元気出してよ。ね?」
「お前の優しさが少しばかり痛い」
「そんなに残念なの?」
「お前の弁当、なんか懐かしい味がするんだもん」
「おふくろの味って言ったら殴るよ?」
「はあ。明日から購買ダッシュって奴かね?」
「美鳥に弁当作ってもらえば?」
「今更頼めるかよ、あいつ友達と食ってるんだぜ? そもそも恥ずかしくて頼めないだろ」
「またまたー。男の僕よりそっちの方がいいんじゃないの?」
「………………」
「あれ? どうしたの?」
「いや、脳内でお前を女装させているところだ。少しは報われるかなって」
「それ禁止! 脳内女装禁止!」
「弁当お預けになるなら、これぐらいしないと気が済まないんだよ」
「僕がそういうの嫌だって知ってるクセに……」
「バイトやめても作らないよ?」
そ、それは困る……。
「とりあえず、頼もうとすると周りが茶化してくるだろうし。美鳥にも迷惑だろ」
「美鳥も料理上手いんだけどね」
「そうなの?」
「啓一も食べた事あるでしょ?」
「いや、文字通り……記憶にない」
「あ、ごめん」
「……えっと、中学生の時は交代で弁当作ってたよ」
「交代? 達也と美鳥で?」
「うん。そんなとこ」
「そうか。でも無理だろ、そろそろ盛夏祭だし」
「あー、そっか。すっかり忘れてた。今月末だっけ」
「正確には夏休みの直前だな」
「この学校って珍しいよね。盛夏祭って名前になってるけど、七月に文化祭なんて」
「体育祭は秋。普通は逆だよな」
「ほとんどの学校ではね」
「ま、炎天下の体育祭がないのは好都合だけど」
「その点、夏の文化祭は出店でカキ氷とかやるよね」
「それもそうだけど、焼きそばとか火を扱うところは地獄だろうな」
「それは気がどうにかなりそうだよね。食材の保存も厳しかったりするし。あと、オバケ屋敷。夏は怖いよ」
「オバケ屋敷?」
逆に涼しそうな気もするんだが……。と、考えながらも箸を進める。
「この学校の事調べるときにね。オバケ役の生徒が倒れたって話を聴いた」
「シャレにならねぇなオイ」
「盛夏祭での着ぐるみは、例外なく使用不許可とする。って校則にも乗ってるよ?」
「マジで!?」
「この校則を入れるために、僕らの学年から生徒手帳が新しくなったみたいだし」
達也は箸を置いて、制服の裏ポケットから生徒手帳を取り出した。
しばらくページをめくっていると、目当てのページを見つけたのか、見開きの状態で俺に手渡してくれた。
「うっわ、本当に書いてある」
なんでこんな校則を採用したんだ。これくらい全校集会で充分だろ。
「熱中症には気をつけないとねー」
「お前の体力なら、本当に着ぐるみ装備しない限り倒れないだろ」
「あはは、鍛えてますから」
「あ、達也。ちなみに、新しいバイトって?」
「新聞配達。朝刊だよ」
「今度は早朝か。お前いくつバイトやってんだ?」
「ちゃんと健康管理はしてるよ」
「加減しないと、夏が来る前にぶっ倒れるぞ。着ぐるみなんて着なくてもな」
「そうだね。でも、少しの間って言われてるんだ。急募で給料もよかったし」
「でも、お前バイクの免許ないだろ」
「足があるよ。陸上部だし」
陸上部だし、って……。もう少し説得力のあるセリフがほしいぞ。
「よく採用されたな」
「うん。自分の学費を稼ぐ為に応募しました。自分は陸上部なのですが、朝練として走り込みをしたいなんて事を言ったら、なんか感動された」
それでいいのか人事。
「範囲提示されたら、一時間足らずで走れる距離だったよ?」
「その提示された範囲はわからないけど……どちらかと言うとお前の足に感動した」
「……でも、お前が体を壊さないように願ってるよ」
「ありがとね。でもさ」
「ん?」
「未だ朝僕に起こしてもらってる啓一の方が心配だけどね」
「うっ、申し訳ない……」
「新聞配達だから起こす程度はできるかもしれないけど、少しでも睡眠時間増やしたいかな」
「増やしたいって、配達終わってから二度寝するのか?」
「厳しいかな」
「走った後だろ?」
「ま、まあ……寝ちゃうかもしれないからさ? できれば起こしに行くよ?」
「つまり、できるだけ自分で起きろと」
「そういうことだね。お母さんはまだ海外なんでしょ?」
「ああ。お前だけが頼りだったのに……」
「もう。なんでそんな寝起き悪いのかな?」
「体質じゃないか? ……昔はそんなでもなかったよな?」
「うん。むしろ積極的に起きてたよ」
「ふうん……」
「あ、その顔禁止」
「え?」
感慨にふけっていると、達也が突然俺の顔を指差してきた。
「昔の事を思い出そうとしたり、俺迷惑かけてんのかなーって思った時はその顔するでしょ」
「顔に出てた?」
「わかりやすいほどにね」
「……すまん」
そう。達也の事だって覚えていなかった。こいつとだって出会って三年しか経っていない。それでも、幼馴染みとして傍にいてくれたんだ。
「別にいいんだけどね。お医者さんには少しずつ戻るだろうって言われてるんだし」
「そう言われて、早くも三年が経ちました」
「あっはははは……」
「渇いた笑い声だな」
「こ、この話は終わりにしよっ? ほら、しばらく食べられないんだし、感想聞かせてよ」
達也は箸を止め、屈託のない笑顔で感想を求めて来た。
「ああ……相変わらず美味いよ」
いつも通りの感想、ただ美味かったと告げた。
たまには別の感想がほしいと言いたげな達也をよそに、俺は弁当へとがっつき始める。
「がっつきすぎ。もう少し落ち着いて食べなよ」
「んくっ。美味いんだから、仕方ないだろ」
「ま、まあ、そうやってはおいしそうに食べてくれるのが、一番の感想になるから、いいんだけどね?」
記憶がない俺にとって、達也と美鳥は心の支えでいてくれた。
こいつらがいなかったら、俺は今頃不安で押し潰されていたかもしれない。
「達也……」
「ん? なに?」
「唐揚げ、おかわり」
「いや、ないからね?」
記憶が戻らなくても、こいつらがいれば俺はいいとも考え始めていた。