11話 不運な邂逅
その3人はしっかりと八尋たちの方を見据え、小さな笑顔を見せながら近づいてくる。
1人は爽やかな雰囲気の好青年、1人はスーツを着こみ頭が寂しくなり始めた年のおじさん、そして最後はスーツを着こなしきれていない新社会人(らしき人)。八尋と同じように女の人の叫び声を聞いて駆けつけたのだろう。
「叫び声を聞いたはずなのだが……なにかあったのか?」
と、一番前でリーダーらしく振舞っている好青年が声をかけてくる。その視線は八尋の方へと向けられ、若干の警戒が混ざっているように感じる。
傍から見れば八尋と女の人だけがいるこの光景、ともすれば八尋が襲いかかったと見えてもおかしくはない。
勘違いされているように感じた彼は、すぐさま弁解しようと口を開いた。
「いや、僕も叫び声を聞いて来たんですけど……そしたら」「私が転んじゃって、思わず……」
ここでの出来事を隠すこと無く話そうとしたところを女の人が遮る。自然と八尋は彼女の方を向き、怪訝な顔を作った。
なぜ嘘を着く必要があるのかと、そう言いたいのだろう。なによりあの叫び声の原因がただ転んだだけというのは少しばかり真実味に欠ける。空気を引き裂くような声は、確かに絶望的な何かを目の当たりにした時の物だった。
だが大人3人を真っ直ぐ見つめる女の人の表情は至って真剣なもの。嘘を付いていることをそこから察することは難しい。好青年も真意を図りかねているようで、八尋に向けていた厳しい視線を今度は女の人の方へと向けている。
無言の時が数秒続き、そこで突然、好青年の後ろで腕を組み、何やら考え込んでいたおじさんがバッと顔を持ち上げて
「もしかして君、|紗凪美帆《さなぎみほ》?」
女の人を指差すと、興奮したような様子で尋ねる。
紗凪美帆。その名前を聞いて、この女の人を見たときに感じた既視感の答えを八尋はようやく思い出した。珍しくテレビを観ていた数日前、最近ヒット中のアイドルとして注目を浴びていた高校生だったはず。
叫び声のことなど忘れてしまったかのように、そこにいる4人の男が彼女の答えに注目する。
「そうですけど」
答えは肯定だった。
確かに彼女がアイドルであるというのなら、その身に纏う綺羅びやかな服装にも納得が行く。
「やっぱり! 良かった、無事だったんだ」
まるで知り合いであるかの如く……いや、むしろもっと親しい関係であるかの如く軽い調子でおじさんは言う。それと同時に紗凪に駆け寄ると、それが当然であるかのように自然な動きで彼女の手を取った。
「ここは危険だから、安全なところに行こう」
これがまだ俳優だったり、顔のいい誰かだったのなら絵になったのだろうが、残念ながらそれを行っているのは満面の笑みを浮かべるおじさん。その犯罪チックな光景に、八尋も、そして残る2人の男も唖然としてしまう。
「いや、いいですから」
その間に紗凪はおじさんの手を振り切り、一歩後ずさった。
これで八尋と紗凪が並び、やってきた男3人と向かい合う形となる。紗凪はおじさんに触れられたところを入念にさすって、その感触を消そうと試みている。そんな彼女をポカンと口を開けて眺めているおじさんはなんとも間抜けなものだ。
「えっと……まあとにかく、なにもないんなら良いんだ。この辺には幽霊もゾンビも居ないみたいだし……」
なにやら不穏な空気が漂い始めたところを、新社会人が慣らす。そして続きを好青年が担った。
「居ないと言ってもゼロってわけじゃないだろうが……お前ら、逃げ場は?」
「えっと……」「探してたところなんです」
八尋の答えを、またもや紗凪が遮る。
ここまでくれば八尋にも彼女の意図するところは理解できた。つまりは本当のことを言うなといいたいらしい。どんな考えがあるのかは知らないが、彼の頭の片隅にある冷静な部分はそれに従えと意志を引っ張ってくる。
「僕も同じです」
できうる限り好青年の目を真っ直ぐ見て、ハッキリと言う。
これだけで印象は良くなるものだ。
「そ、そいつ……よく見ればさっき俺らのことを見捨てた奴だ」
しかし、そんな努力はおじさんの言葉により無に帰すこととなる。
3人の大人たちは見捨てたという言葉に敏感にならざるを得なかった。よって好青年は、おじさんの指が示す八尋に、再び厳しい視線をむける。
「どういうことだ?」
八尋にしてみれば全くもって覚えのない言いがかりであり、特に反論することができるはずもなく、ただ首をかしげることくらいしかできない。どこにでもいそうなおじさんの姿など記憶に無いのだ。
「駅で何が起きてるか聞いたのに……あいつは俺らを見捨ててどっかへ走っていった」
「いや、あれは……」
確かに、おじさんの言うことは正しかった。家へ向かうときすれ違った者たちの中に、運悪くそのおじさんがいたのだろう。
だがあれは仕方が無かったのだと、そう反論しようとしたところで、好青年と新社会人からの鋭い視線に口が開かなくなる。
「そうか……なら君を連れて行くことはできないな」
「ど……どこへ?」
「俺らの避難所に。おそらく……そうだな、千人近くは居るらしいが信用出来ない奴を仲間に入れることはできない」
好青年から最初の笑顔は消えた。その後ろにいるおじさんは、逆に笑みを深めている。
既に2人は八尋を敵と定めたのだ。
「あまり情報を与えないほうが良いと思うが」
「……そうだな。それで、君は来るか?」
おじさんの言葉により、言葉を返すことのできない八尋から視線を外し、紗凪へと顔を移動させて好青年が尋ねる。
「来たほうが良い。そんな奴と一緒にいても死んでしまうだけだ」
おじさんはどうしても紗凪を連れて行きたいらしく、声に力を込めて説得する。きっとアイドルである彼女の熱心なファンだったのだろう。それにしては行き過ぎている気がするが、そんな人が居てもおかしくはない。
八尋よりもむしろ、邪な気持ちが溢れだしているおじさんの方が危険なのでは無いか……という考えが通ることはないだろう。既に彼ら同士は仲間であり、協力関係にあるからだ。
仲間では無い者の少数意見は、どれだけ正しくとも中々信じてはもらえないもの。特に今、皆が不安に包まれているときは尚更だ。
「わかりました」
そして紗凪は頷いた。
八尋と2人でいるより、大人数で居ることの安全を選んだのだ。それもまた、当然のこと。
「じゃあその……カバンと水だけでも返してもらえませんか?」
今の自分にはどうすることもできない。ならばせめて、回収した物資だけは返してもらおうと八尋は声を絞り出す。
「いや、悪いがこれは貰っていく」
「え?」
「こちらも余裕は無いんでね、せっかくの食料を見過ごすことはできない。この辺りの店には仲間が回ってるから……きっと何も残ってはいないと思うよ」
それだけ告げて、好青年は踵を返した。新社会人もそれに続き、おじさんは勝ち誇ったような笑みを見せてから振り返る。
八尋には離れていく3人の姿を唖然として見ていることしかできない。ゴーストならまだしも、人間に対して暴力を振るう勇気を彼は持ち合わせていないのだ。
得体の知れぬ敵がはびこる中、たった1人八尋は残される。
「ごめんね……でも待ってて」
頼れる人も、食料も、信用すらも全て失い、絶望感に打ちひしがれていた八尋の耳元で紗凪が囁いた。かすかに、しかし頭の中に浸透してくるような透き通った声。
驚きに八尋が視線を移動したときにはもう、彼女の姿は大人たちの真後ろまで進んでいる。
そこでふと、このままこっそりと追いかければ良いのでは無いかと、そんな考えが浮かんだ途端……
ゴウッ
と音を立てて、3人の大人と紗凪が去った道に火炎が出現した。
その向こうで、オレンジの粒子を体に纏ったおじさんが仁王立ちしている。
「悪く思うなよ」
どこかの悪役がいいそうな言葉を、らしい口調で再現しておじさんは去っていく。
燃えるものなど無いコンクリートの道で、八尋の背丈を越える炎の壁。少し離れている彼にもその熱波は届き、喉が焼けそうな熱さを感じさせる。
「くそが……」
絶望が八尋の頭を埋め尽くし、その陰から怒りが這い出てくる。
白い粒子が彼の体に現れてドス黒く染まりかけた頭を冷ましてくれるものの、今の彼に出来ることは無かった。