6話 天へ昇る人々

 八尋の隣を、頭の寂しくなったおじさんが駆け抜けていく。
 止まっている八尋に気をかけることはなく、むしろおじさんの顔は笑っているようにも見える。わざわざ自分の代わりになる被害者が残ってくれるというのだから仕方のないことかもしれない。10体ほど見えるゴーストたちはきっと、逃げる人々の後ろから襲っていくだろから。

 だが、八尋はあえてその足を前に進めた。
 もちろん、おじさんのために犠牲になろうというわけではない。むしろそんなおじさんのことは彼の目になど入っていないのだ。
 彼が考えていることは、たった1つ。

『家へ向かうこと』

 学校を飛び出してより、その考えは一切として変わっていない。
 ただひたすら、今は母親のことだけが心配なのだ。

 幸い……というべきか、飛行機の衝突によってひしめいていた人々は消えた。駅はごっそりと抉れ、通り抜けるのに邪魔なものはそこまで無い。未だ顕在の飛行機体と、飛び散った瓦礫だけだ。動かないこれらは、さっきまでの人の塊に比べれば通り抜けるのは容易い。

 そう判断しての八尋の行動。しかし、今は横並びで迫り来るゴーストが道を塞いでいる。まずはその敵を、何とかしてやり過ごさねばならない。

「ふぅ……」

 溜まっていた息を吐いて、気持ちを落ち着かせる。

 ――大丈夫……さっきは大丈夫だった。

 学校のホールにいたときは、一度自分を狙ってきたはずのゴーストをやり過ごしている。その自信が、八尋の体を前に動かす。

 だが無謀にも突撃するわけではない。ゴーストがどのように人間たちを感知しているのかはわからないが、少なくとも彼らの視界からは逃げようと、前に横たわる飛行機の陰へと姿を寄せる。

 全ゴーストは、向かって飛行機の左側から来ているため、八尋はそのまま飛行機の右側面に手を這わせながらゆっくりと前へ進む。できるだけ音を立てないよう、できうる限り足の動きはゆっくりにして、息も意識的に大きく吸って大きく吐く。

 飛行機の陰へ隠れるまでに、駅のロータリーを走っているところを見られてはいないか気が気でない。脈動する心臓の音が大きく聞こえる……それは、先ほど学校でゴーストと遭遇したときと同じ。

 小さくしているはずの息の音が段々と大きく聞こえてきて、更に呼吸を小さくすると苦しくなってくる。それでもゴーストに気が付かれるよりはマシだと八尋は我慢する。もちろん浮遊しているゴーストから足音などするはずもなく、彼らが通り過ぎてくれたのかなどはわからない。

 飛行機の機体半分くらいまで進むと、さすがに八尋の体からは酸素が不足し始めた。脳がギューッと大きくなっていくような感覚から始まり、体を巡る血液の流れがはっきりと感じられるようになる。

 ――そろそろ通り過ぎたかな……。

 苦痛を感じれば、自然と気持ちはそれから逃げたくなるものだ。
 八尋自身の動きとゴーストの動きを考えれば、飛行機を挟んでそろそろすれ違っていてもおかしくは無い。そんな油断が彼の恐怖を押しのけて心の中に広がり始める。いつしか足の動きが速くなり、緊張も消え始めた。

 さてピンチというものは、油断したときにやってくるものだ。
 ましてこんな世界が、油断などという行為を許してくれるはずもない。

 ゆえに八尋の歩く先、衝撃により大きく崩壊した機体から1つの手が突き出されたのは必然といえるだろう。
 なんとか八尋がやり過ごしたゴーストたちはどこから湧いたのか……それは、飛行機が落下してきたところに現れたことから簡単に想像できる。

 しかしゴーストたちは何故、飛行機などから出てきたのか……その答えを考えぬまま、八尋は先を進んでしまった。
 人間と同じく、五感で様々なものを感知するらしいゴーストたちは当然、飛行機内の人間たちを襲っていたのだ。そしてゴーストに襲われ、死に至った人間が向かう先を、八尋は知っている。ついさっき学校にて目の前で目撃したのだから。

 火に包まれたがゆえに真っ黒な、体が炭化してすらまだ動く、ゾンビ。
 死者の肉体が、生者の肉を求めて外へと出てくる。

 当然、身の危険を感じた人間たちは周囲にいない。さっきまではザワザワとしていた駅前は、ゴーストたちの登場によって閑散としてしまった。
 なればそこにいる生者は……八尋だけ。

 軽い酸素欠乏から立ち直りはじめ、じんわりと体に熱が戻ってきたところで、八尋の体は冷水を被ったかのごとく低温へと逆戻り。だが今回は、恐怖に支配されて体が動かなくなる前に彼は地を蹴った。

 賢い思考が無いらしいゾンビたちは、大きくは無い穴に彼ら同士が詰まって動作が遅い。それなりに大きな飛行機なだけあって多くの人を乗せていたのだろう。腕だけしか動かせない今であれば何事も無く抜けられるとの判断だ。

 気持ち大きく飛行機の穴を迂回して、その先に待ち受ける半分ほど崩れ去った階段を一気に駆け上がる。所々未だ火が燻っているが、不思議とそこまで熱さは感じない。真っ黒になり、いつも通っていた駅の面影は一切無くなってしまっている。

 ――誰もいない。

 当たり前だが、八尋の目に人影は映らない。そして死体すらない。
 人の体は全て、炎に包まれたことで消滅した。昨日より発現している不思議な光の粒子よりも小さな粒となって、空に溶けてしまったのだ。

 ――逆に……良かったのか。

 例えばここに、焼け爛れた人間の体が横渡っていたとする。
 八尋はどう感じるだろうか。
 恐らく動けなくなるだろう。今・は・ま・だ・、彼は普通の人間なのだ。

 少しばかりホッとして、しかしそこで頬を叩いて気合を入れ直す。油断による失敗はさっき経験したばかりだ。これほど速くに二の舞を踏むわけにはいかない。

 ――でも……これで駅は越えた。

 目的地までは……あと少しだ。

相羽 桂
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相羽 桂

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