9話 孤独の静けさ

 バタンと、音を立てて扉が閉まる。
 それと同時に、八尋の体がゆっくりと傾いた。
 直射日光下の長々とした話の中で貧血を起こした生徒のように、突如として彼の体を支えていた力が無くなった。そのまま為す術もなく頭から地面へと打ち付けられる。
 ゴッと音が鳴って、八尋の頭の中ををひんやりとした風が吹き抜ける錯覚。同時に閉じられた目の中に星が瞬く。程なくして冷たくなった場所が熱くなり、尋常ではない痛みを訴え始めた。

「あっ……っ……ぐ……」

 体が何処かへと飛んでいきそうな痛みに八尋は呻く。さっきまでの冷静な思考は完全に消滅し、いつも通り正常な思考が戻ってきた。当然彼の体を纏っていた白い光も消滅している。
 時間切れだ。
 一番最初に発動したときよりは長くなったが、駅からここまでフル活動した脳が悲鳴を上げ始めたのだ。白い光のお陰で特異な力が生まれたものの、体への負担が無くなったわけではないらしい。いや、母親を亡くしたショックという線もある。
 とにかく、八尋はしばらく動けなくなった。
 更には痛みに呻く間に部屋の中から小さな物音が聞こえてきて、彼なおさら身を固くする。
 母親のゾンビ化が完了したのだろう……しかし、いつまで経っても八尋の目の前にある扉が開く様子はない。やはりゾンビとなった元人間は知識が大きく欠如するようだ。八尋の頭のなかでは、燃える飛行機から這いずり出てこようとするゾンビたちの姿がフラッシュバックしていた。
 来ないのであればと、彼は逆に静かに過ごす。頭の痛みを耐えつつ、静かに体を動かして体勢を楽な状態へと持っていく。
 さすがにこの緊張感の中で眠ることはできないものの、目を閉じて体力の回復に勤しんだ。

   □□□

 八尋が地に伏して1時間が経過しただろうか。
 母親の部屋からはドタンバタンと何かに躓き倒れ、起き上がっては再び倒れているような音が続いているのみで、絶望を告げるドアノブの音が響くことは無かった。幸いゴーストが廊下へひょっこり出てくることもなく、脳を活性化した反動はほぼ癒えたと言っても良い。
 そこで八尋はゆっくりと立ち上がる。
 後に引きずるような調子の悪さは無く、むしろ倒れる前よりも元気になった様子。母親の中から出てきたのだろう手の中に収まる緑色の結晶を一度見て、それをポケットの中へと仕舞った。

 ――これから……どうするか。

 静かに暮らすことができるのなら、このまま家に残っていても良いかもしれない。ゴーストに対抗しうる力を手に入れたとはいえ、反動がこれでは迂闊に歩きまわることも出来ないのだ。それに外はゴーストの被害によってゾンビの数が増え、動きにくくなっていることだろう。

 ――食事は……必要だよな。

 今も八尋は空腹を感じている。あれだけ頭を働かせたのだから当然のことだ。
 取り敢えず廊下で突っ立っている時間を勿体無く感じて、家の階段を登って自分の部屋へと戻った。前に住んでいた人の趣味の関係か、たった一つだけ防音仕様となっていた部屋を自分の物としてあてがってもらったのだ。ここで活用しない手は無い。
 扉をゆっくりと閉め、鍵をかける。

「はぁ……」

 一つため息を漏らすと、そのままベッドの上へダイブした。

「母さん……」

 静かにしなければならないという緊張から解放され、気の緩んだ八尋は眠るように息を引き取っていた母の姿を思い返す。
 知り合いの居ない新天地でただ頼ることの出来た人間。なにより肉親。八尋にとっては今一番居て欲しい人だった。
 涙は出ない。まるで頭の片隅に居座る冷静な部分が、感情の動きを押しとどめているようだ。しかしその想いだけは押しとどめることが出来ず、燻ぶる感情は行き場を無くして頭の中を動きまわるしか無い。

「取り敢えず食事、そして安全な場所と、あとは……誰か居れば」

 悲しみを残しつつ、八尋はこれからのことを考えていく。
 人間として食事は必須。朝見た限りでは家の中に食材は殆ど残って居なかったため、なんとかして調達しなければならないだろう。
 拠点はここでも良いかもしれない。防音仕様のお陰で誰かに気が付かれる心配は低く、ゴーストはどうせ壁を透過してくるのだからどこにいても変わらない。
 人は……いずれ嫌でも接触することになるはずだ。
 と、そこまで考えたところで、八尋は素早く体を起こした。

「行こう」

 学校でのことを思い出したのだ。
 あの時八尋は確かに、助けに来たという言葉を聞いた。それならたくさんの人々がその言葉に惹かれて集まっていてもおかしくはない。ほんの少しの間だけ頼ってきた少女のように、助かりたいがために付いて行った人々もいるだろう。
 もし彼らが生き残っているのなら、大きな集団となっている可能性が高い。
 そして人が多いのなら、それだけ多くの食料を必要とする。
 人々は皆、逃げるのに必死だったはず……物を持って逃げる余裕など無かっただろう。なら、物資は周りから調達するしか無い。つまりは早い者勝ち。誰もが近くにある店から、生きるために様々な物を持っていくことだろう。
 動くなら素早いに越したことはない。と、八尋はベッドより立ち上がって部屋のドアへと向かう。そのドアノブに手をかける寸前、はたと何かを思い出したかのように動きを止めると、進む方向を変えてクローゼットを開いた。

「っと、ここに……」

 収納棚と、ハンガーに掛けられた服の入ったクローゼットを漁る。そして奥からやや大きなカバンを引っ張りだすと、それを背負う。せっかく物資調達に行くのなら必要なものだろう。

「よし」

 これで忘れている事は無いと心の中で確認し、八尋は気を取り直して自室のドアを開いた。
 そこからはまた緊張が彼の身を包む。静かに階段を降り、外へ。
 ゾンビとなっても肉体の疲労は無視出来ないのか、母親の部屋から聞こえていた物音は完全に消えていた。

相羽 桂
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相羽 桂

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